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学園草創期編

学園草創期編

学園草創期編では、各大学の草創期に想いを馳せてみましょう。創立者の偉大な意志、建学の精神に至るまでの想いのほかに、知る機会の少ないエピソードを募りました。創立者の横顔から、今ある大学の横顔を連ねてみると、これまで知らなかった学び舎の奥深さが見えてくるかもしれません。

梅光学院大学

ヘンリースタウト夫妻が遺したもの

 明治2年、すべてが東京へと集中する時代、同学院の創立者・ヘンリースタウト博士夫妻は、アメリカから長崎の地に降り立った。はるか東京から離れ、いまだキリシタン弾圧が残るこの土地で私塾を開き、神学教育と女子教育を志したのだ。スタウトは、約40年間にわたって苦難の中で神学校設立に奮闘した。しかし、この運動は南日本伝道会社などの賛同を得ることができず、その志は叶わなかった。傷心のまま帰国するスタウトを見送ったのは、たった二人の日本人と一人の外国人だけであった。
 しかし、何をなしとげたかではなく、何を遺したかという問いに、スタウトはその生涯をもって答えたと言うことができる。「多くの人々を教える教師たちの教師になりたい」と語った彼の育てた弟子たちは、その後、西南地区の伝道の大きな礎となっていった。そして長崎の地で開いた彼の私塾は発展して、山口県の下関市に移り、梅光学院として138年後の今も続いてい