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アルカディアの風

教育学術新聞で月に一回掲載している、日本私立大学協会からの主張。高等教育の在り方、取り巻く情勢、そして政策に、時宜にかなった声を発していきます。

専門職大学とは何者か

新たな高等教育機関である「専門職大学」制度を設立する法改正案が今年の第193回通常国会で成立し、設置基準が急ピッチで整備されているという。

筆者は、去る4月21日に、衆議院の文部科学委員会の場で、この件について参考人として意見聴取に臨んだ。その際にも述べたことだが、新しい高等教育機関の発足については紆余曲折の経緯があったことも承知しているし、高等教育への多様なアクセスへの新たな機会が生まれる点は評価したいが、今なお「新たな専門職大学とは何者か」という点において不明な点等が多い。大学団体の職員としては、今一度、論点を整理したいと思う。

一つ目が、既存大学・短期大学との整合性である。制度上は、アカデミックな従来の高等教育機関に加えて、ヴォケーショナル(職業的)な高等教育機関であると説明されている。しかし、資格取得、職業養成は、多数の既存大学ですでに行われていることであり、今、このタイミングで新機関として設立する明確な理由が、あまりにも弱い。つまり、現行法の中で十分に取り組みが可能なのである。この点は、さらに政府・文部科学省による丁寧な説明が必要と考える。

二つ目が、現在、審議されている設置基準関連についてである。現時点では、おおよそ大学設置基準とそれほど変わらないものになるだろうと言われているが(そうであるならなおさら既存の大学でよいと思うのだが)、「大学」を名乗るからには、学位の世界共通性のもと教育・研究・社会貢献の質を保つ仕掛け作りが必要であって、その設置基準は職業高等教育の基本的枠組みを規定するのであるから、安易な緩和基準であってほしくはないというのは大学団体の驕りであろうか?

三つ目が、私学助成についてである。仮にこの新機関が発足するのであれば、既存の私学助成とは別枠による財政措置をしてしいと以前より訴えてきた。この点は、衆参両院の付帯決議にも採用されて明記されている。政府も、その要望を(なるべく)実現するように努力をすると述べているが、重ねて訴えておきたい。

四つ目が、東京一極集中の是正との整合性である。東京23区の大学は、定員増の抑制政策が行われているが、例えば、専門職大学であれば設置可能になるのであろうか。さらに言えば、全国的にどの程度の専門職大学新設を見込んでいるのか。これは高等教育の規模の問題にも関わってこよう。この問題は社会人や留学生の受け入れ施策とも同種の問題である。

いったん発足した教育機関は軽々に中止(廃止)することはできない。内閣府主導で見切り発車の新制度には前述の通り、更に詰めなければならない課題がある。この点は中央教育審議会の「高等教育の将来構想」で議論すべきことでもあるが、ことここに至れば小さく産んで確実に大きく育てる思想が重要になるだろう。関係者の英知の結集を望みたい。(H/K)


県ごとの高等教育計画策定を

 地方創生という政策課題が熱い。そこでは地元進学率や地元就職率が重要視されている。それでは、県と私立大学が共に協力してこれらの数字を伸ばそうとしているかと言うと、どうもそうでもないという話を複数の地域から聞く。

 地域の中小規模私立大学は、それぞれの地域にあって当該地域の若者に高等教育機会を提供している。それゆえ、地元進学率・地元就職率は高く、地域のリーダー人材の育成という重要機能も果たしている。学生が地域に飛び出し地域活性化の課題を発見し、様々な知見から解決を目指している事例も増加傾向だ。日本私立大学協会は平成18年から、大学と地域とは良きパートナーであり地域活性化の原動力であるとの認識のもとに、「私立大学の地域共創活動」を推進しているが、これらの事例は、ようやく実を結びつつあるとの感慨を抱く。地域の高等学校などと連携し、高大接続の取り組みを広げている私立大学も数多い。地元進学率は、結果的にこうした地道な取り組みによって高まっていくのだと考えている。

 しかしである。当然にも地域には依るが、肝心の都道府県側が地元私立大学に対して連携・協力の意思が乏しいようだ。ある地方の私立大学長は、「国立大学や公立大学こそ地元定着率が低い。地方創生政策においては、地元の私立大学は強力なパートナーになれるはずだが、県は足元を見ていない」と非難気味に述べていた。

 こうした傾向が様々な地域で起きているのだとしたら、なんと不幸なことであろう。東京で私学振興の執務を行う私どもからすると、遠い昔に死語と化したはずの「官尊民卑」の傾向が見え隠れする。

 全国知事会は東京の人口一極集中を背景に、東京23区の大学の定員増抑制を訴えている。その意図することは分からないではないが、若者流出を食い止めたいのであれば、各知事の地元の私立大学にも協力を要請して、国公立大学への財政的支援同様の支援を私立大学にも行い、その豊富な知見を活用し、若者の地元定着率を高めて頂きたいものだ。筆者らは地域・地方大学の学生と都心大学の学生の相互交流(欧州のエラスムス計画的な政策)も提案しているのだが、ほかにも有力な手立ては存在していよう。県内高等教育機関を紹介したパンフレットを作成し、県内高校生に配布するなどの方策も考えられる。特に、長野県の「高等教育振興基本方針」のように、県の高等教育計画の策定は、ぜひともお願いしたい。

 地域が急速に衰退する中、地域活性化はこれまでのように地域における官尊民卑の意識のままに、国立大学に期待を寄せ続けていれば持続していけるのだろうか。筆者はそうは思わない。地域のために汗をかく私立大学に注目して、産(産業界)・学(大学等)・官(自治体)・金(金融)・民(NPO)など、いわば地域の総力を結束した取り組みが必要だと考えている。このプラットフォームの構築こそが一筋の光明であろう。(H/K)


大学の成果をどう示すか

 「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)2017」をはじめ、高等教育の無償化の議論が盛んである。しかし、財務省の審議会等では、セットとして大学教育の質の向上も合わせて言及している。そして大学は、その教育成果を提示せよ、とのことである。

 「大学の成果とは何か、どう見せるのか」は古くて新しい問題でもある。この問いに対する大学関係者による回答は、「大学の成果はすぐには分からない」ということになろう。教育は、材料を組み立てればすぐに製品ができるものではない。若者は大学教育の中で自らの内面的思考を展開させそれぞれに成長していく。どのような刺激で自発的に学び始めるかは学生一人ひとりで異なる。また研究にしても、予測して起こせないから「イノベーション」なのである。乱暴だがいつ役立つかわからない、そういうものが基礎研究ではなかったか。

 日本はいつから明快な短期的成果ばかりを求める国になってしまったのだろうか。もちろん、過去には「大学のレジャーランド化」という批判に甘んじたこともあった。それをもって何もしていない、と指摘されたこともあった。しかしそれは社会、特に産業界から求められていたことでもあったのではないか。

 時は流れ、社会も政府も大学教育の厳格化を求め始めた。大学はそれに応じて教育を充実させてきた。恐らく筆者の学生時代、それは既に半世紀も昔のことだが、その時代よりも今の若者たちはまじめに、そして、熱心に勉強をしている。教員も同様であって、リメディアル教育やアクティブラーニングなど教授法の改善に追われている。留学をする学生も明らかに増加した。しかし、まさに先述の理由により、「大学は変わったのだ」というエビデンスを簡単に提示することは難しい。

 難しくはあるが、これだけの「大学の成果」を求める声を、やはり放っておくことはできまい。大学の成果とは何か。国民や時代が要請する今日の大学とは何か。私学団体では昨年度、「明日を拓く私立大学の多様で特色ある取り組み」という小冊子を作成、まさに見える化を図ったのである。Ⅰ.教育の質的転換、Ⅱ.地域社会の振興・活性化、Ⅲ.グローバル化の推進、Ⅳ.イノベーションの推進という4つのテーマに区分し、規模や地域別で約150の多様な私立大学の成果を提示した。紙面の制約から全てを紹介できなかったが、当然、本冊子は今後も更新を重ね、充実させていく予定である。

 私立各大学の現場レベルでも、コンピテンシー評価や国家資格試験の合格率といった数値的提示や、ルーブリック、ポートフォリオによる質的提示の試みが多くなされてきている。「それでも十分ではない」というのであれば、何を示せばよいというのだろうか。逆にご教示を願いたいものである。

 教育は、国民総評論家と言われるほど、誰もが一言語りたいテーマである。そして、概して「自分の受けた教育」を基に語ってしまう。それゆえに間口は広く奥は深い。関係者の真摯な熟議を望みたい。(H/K)


東京一極集中是正を考える

 政府の地方創生政策では、人口の東京一極集中の是正が目標の一つに掲げられている。昨年末、全国知事会が「東京23区の大学・学部の新増設の抑制」を提言して以来、内閣官房に「地方大学の振興及び若者雇用等に関する有識者会議」が設置され、その是非が精力的に議論されてきた。

 去る2月には、日本私立大学団体連合会がヒアリングに呼ばれ、佐藤東洋士桜美林大学理事長・総長と住吉廣行松本大学学長が会議に臨んだ。二人からは全国に展開する多様な私立大学の実態を踏まえた多様な意見や提言が開陳されたのだが、一般紙は、私大団体連は「抑制には反対」の立場を取ったと書き連ねた。その報道をめぐり全国から様々な意見が寄せられた。本稿では、これらの真意を含め、その全体像を考察してみたい。

 大学教育は「量から質へ」と叫ばれて久しく、その質的転換の推進を第一義と考えた取り組みが活発である。地方の私立大学については、本紙で常に取り上げるように、本質的な大学改革に切り込み、地域や時代の要請に応えた教育の質的転換を行っているところが多い。地域活性化に貢献して地域の大きな信頼を得ているのである。従って、高等教育全体を鑑みれば、地方部・都市部立地の大学の調和的発展の基盤形成や地方産業・社会の総合的な再生こそ優先されるべきであろう。

 しかしながら 一方、次のような有力な反論もある。すなわち、私立学校の自主自立的な営みに対して、政府の強い管理を認めてしまってよいのか。東京の大学の新増設抑制は、私立大学の多様な価値追求の阻害にもなるし、特に東京の中小規模私立大学が発展する道を塞ぐことになる、という意見である。

 従って、少子高齢化、グローバル化社会の進捗をみながら、5年計画・10年計画に期限を限定しつつ、暫定的な措置として、収容定員を変えずに、学部の改組を行う「スクラップ&ビルド論」はバランスが取れているとも考えられる。

 しかしである。この問題のさらに源流を辿れば、「高等教育政策の貧困」に突き当たる。すなわち、「若者の東京一極集中」は、なぜか大規模私立大学のみが問題視されているのであり、ここに国公立大学は登場しない。私立大学の新設抑制論よりも、国立大学の地方移転こそ、地方創生に効果が期待できるのではないか。繰り返すが、私立大学よりも市場原理を受けづらい国立大学こそ地方移転し、東京で私立大学ができるところは私立大学が担当すればよいのではないか。今こそ、国策を遂行する大学たる国立大学がその責務を果たす時ではないのか。

 「高等教育に関する将来構想(グランドデザイン)」については、こうした課題こそきっちりと議論すべきであり、今こそ高等教育政策の大転換を望むのである。(H/K)


機関補助と個人補助のバランスを

 引き続き、いわゆる「高等教育のグランドデザイン」について、四つ目の論点を提示したい。それは機関補助と個人補助に係る大学支援の在り方の問題である。

 機関補助としての私立大学等経常費補助金と国立大学運営費交付金は、大学の発展と存続を支え、ひいては日本の高等教育・研究の質的充実を支え続けている。

 私立大学等経常費補助金は、昭和45年、164億円の行政補助金として政治主導で始まった。当初は①私立学校の教育条件の維持及び向上並びに②私立学校に在学する幼児、児童、生徒又は学生に係る修学上の経済的負担の軽減を図るとともに③私立学校の経営の健全性を高めることを目的として私立大学総経常経費の2分の1補助を目指し、昭和50年7月、議員立法として法的根拠を得、以来、文教関係議員の特別な理解と尽力により増額の一途を辿ったが、昭和55年の補助率29.5%をピークに下降し続け、財政逼迫のあおりも受けて平成27年にはついに9.9%と2ケタを割り込んでしまったのである。さらに、一般補助から特別補助への付け替えも頻繁に行われている。

 他方、個人補助は学生個人を対象とする奨学金であり、これまで政府は主に貸与型奨学金、授業料減免制度の充実を図ってきた。これは昨今の家庭の経済状況(貧困)を鑑みて、給付型奨学金制度や所得連動返還型無利子奨学金が新設され、無利子奨学金の大幅拡充が決定されている。

 この支援は基本的には歓迎されるべき方向である。しかしながら、これらは大学への基盤助成としての機関補助の充実とともに措置されねば、大学の健全なる発展は達成されない。この点はどれだけ強調しても強調しすぎることはないと筆者は考えている。国大・私大を問わず、卒業生は我が国の持続的発展のマンパワーとして原動力を担っていく存在なのである。この点についても、理解を深め改善の努力が必要である。

 昨今、懸念される意見もある。それは財源論に関連するものだが、機関補助を削減して個人補助を充実させるといったものである。

 言うまでもなく大学には教育・研究・社会貢献の三つの役割が求められているが、個人補助は「教育」に大きく属するものといえる。よって個人補助の充実は、合わせて研究、社会貢献の財政的支援も充実しなければ片落ちの議論となろう。さらに付け加えれば、機関補助たる私立大学等経常費補助金の一般補助に「社会貢献係数(仮称)」を導入して地方中小規模私立大学の経営努力に応えることや、個人補助については、せめて教育費相当分については国立大学生と私立大学生で同額の補助となる財政措置を行うべきとする主張は、筆者がこれまで様々な機会において繰り返してきた見解である。

 いずれにしても、国立大学・私立大学間の機関補助格差・個人補助格差を野放しにしておいてよい道理はない。当然、財源問題があるので、両者はバランスをみながら、大胆に再構築されるべき時代を迎えていると考えるのである。(H/K)


今こそ"渡り鳥"制度展開を

 今号では、「高等教育のグランドデザイン」について、三つ目の論点を提示したい。それは、学生の流動化施策についてである。

 中央教育審議会大学分科会が公表した「今後の各高等教育機関の役割・機能の強化に関する論点整理」の項目「教員・学生の流動性の向上」には、「学生が所属する高等教育機関以外での学修や高等教育機関間の転学は多くはなく、都市に立地している大学と地方に立地している大学との学生同士の交流なども一部を除いてほとんど行われていないなど、学生の流動性は低い状況にある。(略)学生・教員の流動性を高めるための方策について検討する必要がある」と書かれている。

 日本私立大学団体連合会では、2009年に公表した「私立大学における教育の質向上~わが国を支える多様な人材育成のために」の中で、都市部の大学生と地方部の大学生との交流を「渡り鳥」制度として提案した。この要諦は、本紙2674号(平成29年2月1日号)の本稿でも触れたが、要するに、1年ごとに大学を渡り歩き武者修行をするのである。学生の知見を引き延ばすだけではなく、大学にとっても教員の能力開発、ひいては教育の質保証・評判に繋がる。

 当時は画期的なアイディアであったが、全国的な実現には至らなかった。また、政府では、日中韓で「キャンパスアジア」を進めていたが、大学院生レベルのごく限定された政策であった。

 昨今の地方創生の観点からも有力な切り札になると考えている。都市と地方の大学が交換留学をすることで、都市部の学生は地方の課題を、地方の学生は都市部のアイディアを知ることができる。学生は四年間を同じ場所で過ごすのではなく、在学中に都市と地方を交流しながら学んでいくことができると言える。

 こうした試みは、すでにいくつかの私立大学ではスタートしていると聞いている。半年や一年など長期ではなくとも、夏休みや春休みなど休暇期間中の滞在プログラムでもよいだろう。つまり、海外留学と同じ程度に国内にむける短期留学制度も整えていくべきである。また、国内留学中の学生の住居等については、大学の学生寮のほか、地域の空き家を利活用するなど、自治体等との連携も図る必要があろう。

 無論、現実には克服すべき多くの課題がその他にも存在する。設置形態に係る課題、大学財政の課題、単位の認定・接続の課題、カリキュラム編成上の課題等々、一朝一夕には解決は難しいものばかりである。しかし、100の困難を嘆くよりも、海外の事例や先行する私立大学の取り組みを参考にしながら、大胆に構造的な大転換を志向して一歩を踏み出すことが今必要な重要ごとだと考えるのである。(H/K)


国私間13倍の公費格差是正を

 前回に引き続き、いわゆる「高等教育のグランドデザイン」について、二つ目の論点を提示したい。それは学生納付金とこれに対する公的財政支援に係る問題である。

 比較の適正性を考えてデータは2014年を使用する。ご承知の通り、わが国の国公私立大学の学生納付金(年額・初年次)は国大生約80万円、私大生約140万円で、その差は約2倍である。公大生はほぼ国大並みである。あえて授業料とせず学納金の比較としたのは、授業料の定義が同一ではないため、後述する論点からも、むしろ家計負担格差の点からこの比較がベターと判断したためである。

 次に、わが国の大学生一人当たりの公財政支出額(2014年)は、OECD平均各国の99万円(2012年)を大きく下回り、69万円(加重平均)となる。しかし、これを国私立大学に分けると、国大生は218万円、私大生はわずか17万円で、その差はなんと13倍(!)となる。こうした国立大学に裕福な家庭の子どもが進学する傾向にもあると言われる社会的矛盾や、今日までに果たしてきた私立大学の公教育に資する社会的役割を鑑みれば、この非合理な格差は看過できるものではない。

 国公私立大学が真に切磋琢磨して競争し、教育の質、学習環境の充実が大学選択の基準となるためには、この金額格差を埋める授業料減免、給付型奨学金といった学生への経済的支援や基盤助成の抜本的拡充が必要になる。ある地方の私立大学では、先行して国立大学と同額の学納金で入学できる支援制度があるが、大学全体で考えると、それにも限界があると考えるのである。

 一方、社会を見れば、「わが国の大学数は多すぎる」、「私立大学は営利企業のようなものではないか」といった疑念の声すら聞く。高度にして成熟する知識基盤社会やグローバル社会の実現にとって、大学機能の強化と多様な人材育成が必須の重要事なのであって、これらの意見や批判はあまりに的を射ていない。私立大学はそれぞれの建学の精神のもと、学納金等を用いながら教育・研究・社会貢献に日々邁進している。その一端はこれまでも本紙で紹介しているところである。

 諸外国に目を向けてみれば(外国比較は軽々しくすべきではないが)、米国の有名私立大学の寮費・食費など含めた学納金が年間約700万円にもなる。しかし同時に、手厚い給付型奨学金等が整っているとも聞く。他方、韓国や台湾では、学納金額は政府が一律して決めるそうだ。わが国はと言うと、学納金、否、授業料はいかに積算されているか、あるいは、国の財政支援の根拠もまた不明である。等しく公教育を担当し、国立大学も法人化された今、大学生への国の公財政支出は、公平に配分されるべきであろう。せめて教育費に係る部分だけでも公正性が担保されるべきである。

 このテーマは今日のわが国の高等教育の基本問題であるだけに、着地点(無償化?)を見定めつつ、現実に横たわる国公私大間の13倍の公財政支出格差の是正は、高等教育予算全体の拡充を目指す方向において、早急にも実現したい課題である。(H/K)


高等教育の規模と配置を考える

 中央教育審議会大学分科会の「今後の各高等教育機関の役割・機能の強化に関する作業チーム」で、いわゆる高等教育のグランドデザインの議論が始まっている。現状に基づくその改善議論も必要だが、我が国の将来展望に基づく大学をはじめとする高等教育の基本構造の在り方や全体の公正な教育行財政の実現を大胆にゼロベースで検討した、画期的な提言を期待したいものである。

 筆者としては、いくつかの論点をぜひ議論し深化させてもらいたいと願っている。

 このたびは、「高等教育の規模と配置」の在り方を論じてみたい。

 今後縮小していく我が国の人口動態と国公私立の高等教育機関の分布やその行財政をいかに考えるかという問題である。もちろん、地域によってそれは異なるから、県単位、あるいは、東北地方、中部地方といった「地方区分」単位で議論をする必要もあろう。明治維新から一五〇年、成熟した平和国家を実現したとはいえ、そして、国家財政逼迫の折、また、官から民への政策潮流に呼応して、その公財政支出の抜本的拡充と国公私間の格差解消を、規模と配置の角度から検討して欲しい。率直に言えば、国立大学の学生定員は現状のままでよいのか、教育行財政における設置者負担主義の原則は、もはや時代遅れではという問題意識である。

 その際、旧帝大のように研究を志向する国立大学は、大学院大学化して研究に特化して世界に伍する研究型大学を目指してはどうだろうか。私立大学は、各自の建学の精神のもと、特色のある学術研究活動の推進も重要事であろうし、人間形成を志向する人材育成にしっかりとした軸足を置き、地方の国公立大学と連携しながら地域のリーダー人材を育成する等の視点から独自の専門教育・地域貢献活動を行うという方向性も考えられる。いわば、県内・地方区分内での機能別分化である。専門分野ごと、あるいは学際領域の開発という視点もあろう(例えば医歯薬系などでは先行事例もある)。

 こうして各地でカラーを出しつつ、学生には流動性を持たせて、例えば、エラスムス計画のように、1年目は東北地方の私立大学、2年目は九州の国立大学、3年目は関東の私立大学、といったように全国を巡る教育ができる仕組みの構築も十分に検討に値する。無論、その実現には、各大学の教育研究の質の画期的充実が必要であり、その教育改革を担保するナンバリング等も必要となってくる。実はこの仕組みは、鈴木典比古元国際基督教大学長(現国際教養大学長)が、2009年に日本私立大学団体連合会で提唱した「渡り鳥政策」そのものでもある。高等教育のグランドデザインの検討にあたっては、こうした「連携と流動化」をキーワードにした量と配置の検討が重要と考えるのである。

 次に、学生納付金の論点であるが、紙面の都合により、この点は次号に譲りたい。(H/K)