アルカディア学報
物価上昇に対応する大学の財務戦略
―私立大学に求められる「守り」と「攻め」の経営転換―
このたび、筆者は東京大学の青木志帆氏との共著で『改訂版 制度とおカネのよもやま話~大学法人の財務・会計とマネジメント入門~(学校経理研究会発行、2026年4月27日発行)』を刊行した。大学法人の財務・会計を経営の視点から考えるという同書の問題意識は、物価上昇局面にある現在の大学経営にそのまま通じる。
私立大学を取り巻く経営環境は、厳しさを増している。18歳人口の減少、オンライン系大学の台頭などによる大学間競争の激化に加え、近年は物価・人件費上昇、建築費高騰、金利上昇が同時に進行している。大学財務は、単なる収支管理や予算執行管理ではなく、教育研究活動を将来にわたって持続させるための経営戦略そのものになりつつある。特に物価上昇は、大学経営に広範な影響を及ぼす。光熱水費、委託費、IT投資、施設維持費など、基盤的経費が上昇する一方で、私立大学の主要収入である学生納付金は、毎年度機動的に引き上げられるものではない。さらに、人件費も賃上げ圧力が高まり、施設整備では建築費の高騰、資金調達では金利上昇の影響も無視できない。
国立大学においても、人事院勧告に基づく給与の引き上げにより人件費の上昇が経営を圧迫しており、運営費交付金の物価連動なども検討されつつある。こうした動きは、設置形態を問わず、大学経営において人件費・物価上昇への対応が重要な経営課題となっていることを示している。
そのような経営環境の中、私立大学が取り組むべきことは、第一に従来型の「前年踏襲予算」からの脱却である。物価上昇局面では、各部門が前年予算を基準に一律で増減を求めるだけでは、重点施策に必要な資源を確保できない。むしろ、支出全体が膨らむ一方で、本当に投資すべき教育研究、学生支援、国際化、DXなどに十分な財源が回らなくなる危険がある。また、大学における「3つのPDCAの分断」も問題である。財務部門の予算管理PDCA、経営企画部門の中期計画PDCA、評価部門の自己点検・評価PDCAが個別に回り、相互に接続されていない。その結果、重点施策の優先順位と資源配分が一致せず、評価結果が予算編成に反映されず、改善が現場任せに留まることが多くの大学で起きている。物価上昇への対応は、単なる経費削減ではなく、「中期計画・評価・予算」を一体化した経営管理への転換として捉える必要がある。各事業・部署について、教育研究上の重要性、収支改善への貢献、中長期的な投資効果を評価し、予算配分の優先順位を明確にすることが重要である。経費を一律に削減するのではなく、大学の将来価値を高める支出に重点配分し、効果の薄い予算・業務は見直すというメリハリが求められる。例えば國學院大學では、新たな中期5カ年計画策定に合わせ、計画進捗管理システムと財務システムの連携を構築中で、これにより、中期計画に掲げた施策ごとの予算と進捗状況、執行実績を一体的に把握できるようになり、戦略的資源配分が可能となる仕組みを目指している。
第二に、コスト構造の可視化が不可欠である。物価上昇の影響は、光熱費や施設費だけに現れるわけではない。委託契約、情報システム、研究設備、実習費など、さまざまな費目に分散して表れる。そのため、単年度の増減分析だけではなく、どの費目が構造的に上昇しているのかを明らかにする必要がある。特に、施設・設備関連支出については、建築費の高騰が続き、2015年比1.4倍を超えるまでになっている。これは、キャンパス整備や老朽化対応が、従来の計画額では実行困難になりつつあることを意味する。施設整備については、「必要になったら建て替える」という発想から、長期修繕計画、施設総量の適正化、共同利用、資産売却を含めたキャンパスマネジメントへ移行する必要がある。教育研究上不可欠な施設には投資を集中し、稼働率の低い施設や老朽化した施設については、統廃合、外部貸付、売却、他大学・地域との共同利用も検討の余地がある。
第三に、収入構造の多様化が重要である。物価上昇に対して、経費削減だけで対応することには限界がある。したがって、補助金、寄付金、外部資金、資産運用収入、リカレント教育収入、産学連携収入を組み合わせた財務基盤の再構築が必要である。ただし、今後の大学経営に必要な考え方として、単に「外部資金を増やす」と掲げるだけでは不十分である。どの分野で、誰が、何件、いくら獲得するのかをKPI化し、URA、産学連携人材、研究支援人材、広報・ファンドレイジング人材への投資と結び付ける必要がある。収入多様化は、担当部署任せの活動ではなく、法人全体の経営戦略として位置付けるべきである。
第四に、学費政策の再設計が求められる。物価上昇が続く中で、教育の質を維持するためには、学費水準の見直しを避けて通れない大学も出てくる。しかし、単純な値上げは、学生募集への影響や家計負担への配慮から慎重な判断が必要である。重要なのは、学費を「コストの穴埋め」として説明するのではなく、「教育価値への投資」として説明できるかである。少人数教育、実践教育、国際教育、データサイエンス教育、研究体験、学生相談体制など、学生にとって見える価値を高めることが前提となる。あわせて、奨学金制度などを戦略的に整備し、値上げによって進学機会が失われないよう配慮する必要がある。学費改定は、財務戦略であると同時に、大学のブランド戦略、教育戦略、学生支援戦略でもある。
第五に、寄付・基金戦略を本格化させる必要がある。物価上昇に強い大学とは、単年度収入だけに依存せず、中長期的に教育研究を支える基金を持つ大学である。寄付を「大学を支援する寄付」という従来型の支援型から、研究知を活かし「目指す社会を共創する」未来創造型・フィランソロピー型へ転換することが重要になる。すでに大阪大学では、企業等との対話を通じて社会課題を設定し、その解決に向けた活動を伴走するというフィランソロピー型寄付や遺贈を呼び込む取組を進めており、大きな成果を上げている。私立大学においても、大学が課題を一方的に提示するのではなく、企業や寄付者と社会課題を共有・設定し、大学の教育研究上の強みと結び付けることが必要となる。大学の強みと社会課題を接続し、寄付者が「未来を共につくるパートナー」として参画できる仕組みを整える必要がある。寄付は不足財源の補填ではなく、大学の社会的価値を可視化し、共感を資金に変える経営活動へと転換すべき時期に来ている。
第六に、大学間連携・再編も財務戦略の一部として位置付ける必要がある。物価上昇下では、単独大学で全ての機能を維持することが難しくなる。大学統合・連携のメリットとして、事務組織の統合、ICT・システムの共通化、物品購入・委託契約におけるスケールメリット、施設・設備の共同利用、資産の有効活用、寄付金や補助金の獲得力向上が挙げられる。再編・統合まで至らなくとも、FD、IR、入試広報、会計、キャリア支援、学生相談など、標準化しやすい業務から共同化することは可能である。物価上昇への対応は、個別大学内の節約だけでなく、法人や大学の枠を超えた共同化によって実現すべき段階に入っている。
最後に、私立大学の財務戦略は、「耐える財務」から「変える財務」へ転換する必要がある。物価上昇は一過性の問題ではなく、大学経営の前提条件を変える構造変化である。必要なのは、短期的な支出抑制だけではない。中期計画と予算の連動、コスト構造の可視化、重点投資、学費政策、外部資金、寄付・基金、資産活用、大学間連携を一体的に進めることである。物価上昇の時代に問われているのは、「いくら削るか」ではなく、「限られた資源をどの未来に投じるか」である。その判断を可能にする財務戦略こそ、これからの私立大学経営の中核となるだろう。
