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アルカディア学報

No.815

『競争的成熟の時代』を生き抜く日本の大学
―時代の創造力が試される

研究員 田中義郎(桜美林大学特命副学長(グローバル)・大学院教授)

 『競争的選抜(Competitive Selection)の時代』から『競争的成熟(Competitive Maturity)の時代』へと移行してきたアメリカの大学の経験を概観し、これが日本の高等教育に及ぼした影響を検討する。アメリカの大学は、学生獲得に重点を置いた競争選抜の時代から、学生数の増加だけでなく大学全体の持続可能性や社会貢献を重視する競争的成熟の時代へと移行してきた。「競争的成熟とは、短期的な利益ではなく長期的な発展を目指すものであり、具体的には、持続可能性重視(長期的な発展の追求)、組織健全性重視(財務だけでなく組織文化や教職員満足度)、心理的安全性重視(個性が尊重され、何事にも挑戦しやすい環境)、戦略的思考重視(変化への適応と継続的な意思決定)、社会貢献意識重視(大学が社会に提供できる価値の追求)などが挙げられる。少子化や財政難が深刻化する中、従来の「勝ち負け」のみを競う競争はもはや通用せず、大学には「質の高い教育を維持し、社会に貢献し続ける」ことが求められる。アメリカ高等教育の1970年代の経験は、その後の発展の基盤を築く重要な転換点であった。この時期の研究は、日本を含む世界の高等教育に大きな影響(開放性、学際性、実践的教育、社会貢献など)を与えており、現代の大学が直面する課題(研究大学モデルの確立、多様性の受容、質の保証への意識、国際化の萌芽など)を理解する上で重要である。
 アメリカの大学は、1970年代、大学間の競争の激化に対応して大きな変革を遂げ、学生獲得と研究力の向上を目指し、多様性を重視した方策を推進した。多様な視点や経験を持つ学生や教員を受け入れることで、大学自体の価値を高めようとした。多様な背景を持つ人材を結集することで、学問の深化、創造性の向上、社会への貢献といった効果が期待された。これは、大学が競争的選抜の時代から競争的成熟の時代へと移行したことを象徴するものではあったが、こうした多様性重視の潮流の中で、たとえば、新入生の基礎学力の低下を支援する新たな「リメディアル教育」課題が浮上した。アメリカの大学におけるリメディアル教育は17世紀には始まっており、基礎学力を強化することを目的とした。現代でも、多様な学生構成に対応するために、その都度、進化を遂げながら、大学教育を支える重要な役割を担っている。1970年代のアメリカの状況は、ベトナム戦争の終結とベビーブーマー世代の大学教育の終焉を背景に、大学志願者数が減少した。この状況は大学経営に大きな打撃を与え、学生の確保が喫緊の課題となった。学生数の減少に直面した大学は、それまで学力重視だった入学者選抜方法を大きく見直し、より多様な学生を受け入れることで大学の存続と発展を図るべく戦略的転換を行なった。学力だけでなく、多様な個性、潜在能力、将来性を評価する競争的成熟の時代への移行を反映したものであった。
 大学入学者の選抜方法の変化は、教育内容と社会貢献に大きな影響を与え、専門性と実践力を重視する多様なプログラムが増え、社会のニーズに応える機関へと進化した。入試改革により、大学はより多様な学生層を惹きつけることが可能となったが、同時に、競争的な選抜方法では実現が困難であった社会人学生、パートタイム学生、留学生が増加した。著名な高等教育研究者であるトロウ、クラーク、リースマンは、それぞれ独自の視点から当時のアメリカ高等教育の発展と変遷を分析した。これらの視点は、現代のアメリカの大学が直面する課題を理解する上でも不可欠である。トロウは、高等教育の普及度に基づいて発展段階を3段階に分類し、それを社会全体の変化と高等教育の役割と関連付けた。クラークは、大学の組織と社会における役割に焦点を当て、特に各大学独自の「文化」と「組織」の重要性を強調した。リースマンは、学生の価値観や行動様式が大学文化に与える影響を考察し、多様な学生が大学生活に適応するプロセスに焦点を当てた。
 大学入試は、学力・能力試験のみの競争から「成熟競争」へと進化を遂げている。選抜は、学生と大学の相性だけでなく、入学後の成長、そして卒業後の活躍も重視されるようになったし、学生には明確なビジョンと大学への貢献意欲が求められ、大学と学生が共に未来を築く、より洗練された選抜へと進化している。日本初の大学教育研究センターが広島大学に設立され、高等教育研究が本格的に始動した1970年代、アメリカの高等教育は競争的選抜の時代から戦略的な多様性を重視する競争的成熟の時代へと移行し、学生支援の重要性が増した。日本の大学は、1990年代以降、少子化と大学進学率の上昇により、競争的成熟の時代に入り、学生間の学力格差が顕在化する中で、アメリカの大学のリメディアル教育や、サウスカロライナ大学のFYE(First―Year Experience)等が注目を集めた。これは、その後、日本の大学でも修学支援のための「初年次教育プログラム」として導入され、その枠内で、学生の基礎学力等向上の支援という課題に貢献してきた。
 日本の大学進学率は2025年度に過去最高の58・63%に達した。これは主に、経済的理由等で進学を断念する学生の減少によるものと推測される。
 しかし、少子化の影響で18歳人口が減少し、一方で、大学数は増加し、大学の供給が需要を上回る需給バランスの崩れが生じており、大学全入時代における質の向上が懸念され、「新視点スキル」の議論が期待される。現代社会に求められるスキルとして近年注目されている「フィードフォワード型スキル」とは、目標を達成するために「次に何をすべきか」を考える力(すなわち、目標設定力、現状把握力、計画立案力、実行・モニタリング力、改善力の総体)である。過去を振り返るだけでなく、未来を見据えて行動を計画・改善していく視点が特徴であり、変化の激しい現代社会において、新たな課題に対応するためには、自ら学び、考え、行動を変化させる力は不可欠である。現代の大学では、「選抜から育成へ」という流れの中で、多様な学生の可能性を引き出すことに重点が置かれてきており、フィードフォワード型スキル育成モデルの開発・展開が急がれる。
 アメリカの大学の場合、1970年代当時、多様な学生の受け入れでは、学生の基礎学力低下に対応して従来型「リメディアル教育(前提条件型)」が普及し、近年まで続いてきた。最近のTHE世界大学ランキングで上位(47位)に位置するUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)でさえ、2025年版レポートでは、多くの新入生が高校入学以前の数学レベルから学び直している。数学のリメディアル教育が必要な新入生は、2020年の32人から2025年には921人(新入生全体の11・8%)へと大幅に増加した。日本でも1990年代以降、大学進学率の上昇に伴い、基礎学力未充足の学生への対応が課題となっている。現在、アメリカ大学では、学力格差解消のため、大学レベルの授業と個別サポートを同時に受けられる斬新な支援策である「コ・レクイジット(併修型Corequisite Remediation)」モデルが拡がっている。これは、「より多くの学生をいかに成功へと導くか」への高い関心を反映している。
 カリキュラムの革新的再構成あるいは再構築を伴うが、コ・レクイジット(併修型)モデルのメリットは、単位取得(履修科目の正規単位を取得できる)、モチベーション維持(大学での学びにすぐに参加できるため、モチベーションを維持しやすい)、学習効率(必要なサポートを適切なタイミングで受けられる)などが挙げられる。この制度は、従来のリメディアル教育(前提条件型Prerequisite Remediation)の課題であった時間の浪費やモチベーションの低下といった問題を解決し、学生の大学での学びへのスムーズな移行を支援する。この取り組みは、学生が標準的な期間で学位を取得できるよう、多角的にサポートすることを目的としている。具体的には、学習面での支援強化、キャリア指導の充実、そして個別の状況に応じたきめ細やかなサポート等を通じて、学生一人ひとりがスムーズに学業を修了できるよう尽力し、結果として、学生の満足度向上と大学全体の教育成果の最適化や最大化を目指している。
 現在、日本の高等教育は『競争的成熟の時代』にある。これは、大学間の競争激化、多様なニーズへの対応、教育の質的向上、国際的認知への意識を特徴とする。今日の日本の大学は、これらの課題に直面しており、それぞれの独自性を活かした発展が期待される。強みの再認識、新たな価値の創造、国際連携の強化、地域社会との共生が求められており、急速な『変革』が進む現代世界では、もはや適応、進化、再定義が当たり前となり、高等教育の将来の形やモデルを特定することは容易ではない。個々の大学は、時代を生き抜く戦略の最適最大化とともに、この時代の創造力が試されている。