アルカディア学報
正解主義の終焉
α世代の到来は大学をどう変えるのか
はじめに
いま私たちが迎えているのは、インターネットを「学んだ」Z世代ではなく、AIと同時代に生まれ、AIを特別視しない最初の世代――α世代である。ギリシャ文字αが用いられたのは、Zでアルファベットが尽きた後の「新しい時代の始まり」を象徴するためである。2010年代以降に生まれた彼らにとってAIは、電気や水道と同じく"生活の基盤"であり、意識して使う技術ではなく、生まれたときからそばにある空気のような存在である。スマートフォンの設定に迷えば音声でAIに尋ね、レポートの構成に悩めばAIと対話しながら骨組みをつくる。放課後の部活動のポスターづくりでさえ、画像生成AIと共同作業する。こうした日常の当たり前の感覚が、すでに従来の大学像とは大きくずれている。
日本の教育はこれまで、二度の大きな外圧による改革を経験してきた。明治の近代化がもたらした「知識の国民化」、戦後民主化が推し進めた「教育制度の再編」である。しかしAI革命はこれらとは本質的に異なる。外から押し寄せるのではなく、日常生活の内部から静かに構造を書き換えていく点で、日本の教育史における"第三の断層"と位置づけられる。この新たな断層の上に立つのがα世代であり、従来の教育制度が想定してこなかった"はじまりの子どもたち"である。
ところが大学内部には、黒板・講壇・一方向型講義・模範解答を再現させる試験といった"昭和の空気"が色濃く残る。AIにアクセスできる環境をあえて封じ、レポートも手書き中心、授業も教員の一方通行という光景は少なくない。この断絶を埋めなければ、大学はα世代から「選ばれない場所」へと後退していく。
正解主義と沈黙文化の限界
日本の教育は長く「正解を速く、正確に出す」ことを目的として設計されてきた。明治の読み書き算盤、戦後の偏差値と標準化テスト。教室では、教員が板書し、学生はノートを取り、テストでその再現度を測るという構図が続いてきた。だが、この領域でもっとも強いのは人間ではなくAIである。過去問の解法、模範解答の再現、文章整形――いずれもAIの圧勝である。
さらに日本社会には、「阿吽の呼吸」「沈黙は金」「空気を読む作法」といった"問わない文化"が深く根づく。授業後に「質問はありますか」と問われても、教室に沈黙が落ちる光景は珍しくない。しかしAIは空気を読まない。沈黙を解釈しない。問いがなければ動かず、問いの質によって出力が左右される"問い駆動型の知性"である。すなわち、AI時代に不利なのは答えを知らないことではない。問いをつくれないことである。
本来、教室は「わからないことを持ち寄る場」のはずだが、日本の学生は「わからないと言ってはいけない」「質問は迷惑になるのではないか」と感じがちである。その一方で、α世代は家庭に戻れば、わからないことをすぐにAIに投げかけ、何度でも聞き直し、納得がいくまで対話を続けている。学校では沈黙し、家ではAIと饒舌に話す――このギャップこそが、戦後教育80年が残した最大の矛盾であり、大学が真正面から向き合うべき課題である。
私立大学こそ、AI時代の"柔軟な担い手"
筆者は『新制大学の誕生~戦後私立大学政策の展開』で、戦後日本の高等教育の量的拡大を私立大学が担ってきた歴史を整理した。また「戦後教育80年を迎えて―『成功』と『失敗』の交錯する日本の教育改革を問う」(教育学術新聞・アルカディア学報802)では、日本の大学改革が制度上の制約よりむしろ文化的慣性によって遅延してきたことを指摘した。この"惰性"こそがAI時代の最大の弱点となる。
AIが外側から制度を揺さぶるのではなく、生活の内側から学びを再構築する時代において、意思決定が速く、柔軟性を本来備える私立大学が、その遅れを挽回しうる重要な位置にある。学生募集の現場で危機感を肌で感じているのも、日々の授業改善に裁量を発揮できるのも、実は私立大学の教職員である。
・カリキュラムを迅速に再編する能力
・AIを活用した学びの文脈化
・専門知を「翻訳」できる教員の育成
・失敗を許容する学びのデザイン
これらは大規模な国立大学よりも、むしろ私立大学が得意とする領域である。未来を決めるのは「規模」ではなく、「スピードと柔軟性」である。
ICEモデルは"AI共創型大学改革"の基盤である
筆者が十年以上にわたり導入してきたICEモデル(Ideas-Connections-Extensions)は、AI時代において価値を大きく高めている。特にC=Connections(文脈化・つながり・動詞としての学び)は、AIが不得手とする領域であり、人間がAIと共創する際の中心的な働きとなる。
たとえば、ある情報系の授業では、教員があらかじめ正解となるプログラムコードを教えるのではなく、AIが提示した複数のコード案を学生同士で比較し、「どの案がこの現場にふさわしいのか」「利用者の立場から見ると何が問題になるのか」を討議させる試みが始まっている。AIがIdeasを大量に供給し、人間がConnectionsを担い、最終的なExtensionsとしてプロジェクトやポートフォリオにまとめていく。この循環こそが、AI共創型のICEである。
AIが提示する知識を、どの文脈に置き換え、どのように意味づけ、判断へと転換するか。それは人間にしかできない作業であり、ICEモデルの核心そのものだ。α世代はAIから日常的に「問い返し」を受けて育つため、批判的対話力や逆算的思考を自然に身につけていく。α世代自体が教育文化を変革する触媒となるのである。
AIの"冷たさ"と人間の"ぬくもり"
AIを使えば使うほど、合理性・機械性が際立つ。同じ言い回しを繰り返す、感情の襞に触れない、深層文脈に踏み込めない――この"冷たさ"は、人間の"ぬくもり"を逆照射する鏡でもある。
筆者はある夜、「天秤AI」と中国の新興AI「DeepSeek」の扱いに迷い、整理されていない思考のままChatGPTに投げかけた。AIは急かさず、叱らず、「いっしょに考えましょう」と伴走してくれた。その瞬間、筆者の胸には「我が家の石窯ピザ窯にAIを招いてみたい」という奇妙で温かな衝動が湧いた。もちろんAIは来ない。しかしその衝動は、AIとの対話を通して"自分の感情の揺らぎ"が浮かび上がった瞬間だった。
α世代は、この"冷たさとぬくもりの対比"をもっとも自然に読み取る世代でもある。AIとの距離感を誤解なくとらえ直し、「任せる領域」と「人間が引き受けるべき領域」を天秤にかけながら、共生のバランスを探っていく感性を備えている。
α世代は大学を「正解の場」から「問いの場」へ変える
AI時代に価値を持つのは、「前提を疑い、問いを立て、文脈を読み解く力」である。α世代はAIからの問い返しを浴びて育つ最初の世代であり、大学が果たすべき役割は明白だ。
・正解を教える場から
・問いを共に生み出す場へ
大学がこの転換に失敗すれば、学びの中心はAIとオンライン講座に移り、大学の存在意義は急速に薄れていく。
おわりに 私立大学の未来は「柔軟性」にかかっている
筆者はこれまで、戦後教育80年の歩みを検証し、制度改革の成果と限界を『新制大学の誕生』や教育学術新聞で繰り返し論じてきた。しかしAI時代の教育改革は、従来の制度的転換とは本質的に異なる。国や制度が主導するのではなく、α世代という"AI時代の最初の子どもたち"によって、教育文化そのものが下から更新されていく。
最近刊行した『α世代に日本の学校はどうなるのか?――AIネイティブの時代に、学校と大学は生き残れるか』では、「AIが人間を脅かすのではない。AIは"人間らしさ"を蘇らせる」という視点から、日本社会に深く根を張るタテ社会、沈黙文化、正解主義、問いを持たない教育風土を分析した。なぜ日本では質問が生まれないのか。なぜ教員養成が最大のボトルネックなのか。なぜ大学は「研究偏重」で教育が不在になったのか。なぜα世代が来ると学校は立ちゆかなくなるのか。そして、どうすれば学校は再生できるのか――こうした問いを通して、AI時代における「人間の学び」の再構築を探っている。
私立大学は柔軟性・スピード・創造性という独自の強みを発揮しうる立場にあり、これはAI時代における最大の武器である。α世代は大学に「共に考える場」「問いが循環する場」を求めている。今こそ私立大学は、自らの存在理由を問い直し、AIとともに"人間の学び"を再構築する責務を負っている。α世代が到来したいま、日本の私立大学がもっとも輝くときである。
著書の詳細は、『α世代に日本の学校はどうなるのか?――AIネイティブの時代に、学校と大学は生き残れるか』を参照。
