アルカディア学報
カリフォルニア州高等教育の動向
「キャリア教育のためのマスタープラン」
カリフォルニア州の高等教育と言えば、有名な1960年のマスタープラン(A Master Plan for Higher Education in California, 1960―1975)を想起する方も多いだろう。オリジナルのマスタープランでは、州内の公立高等教育機関(研究大学であるカリフォルニア大学、師範学校等を前身とする総合大学であるカリフォルニア州立大学、短期高等教育機関であるコミュニティ・カレッジ)の歴史的な発展経緯を踏まえつつ、授与できる学位のレベルに対応した使命や機能、入学に要する学力基準等が差別化された。そして、別々の理事会が統治する独立性の強い各公立セグメント(および私学)が単独では対処できない政策課題に取り組むために、州全体の調整機関が置かれた。マスタープランは同州高等教育の代名詞とも言えるが、その整然とした印象が強すぎるためか、単純化されて理解されている点や、認識が更新されるべき点もある。(ご関心のある方は、拙著『アメリカ高等教育のガバナンス改革――カリフォルニア大学の自律と統制をめぐる葛藤』九州大学出版会をご参照いただきたい。)
2025年4月2日、同州のギャビン・ニューサム知事が「キャリア教育のためのマスタープラン」(California's Master Plan for Caree Education)を公表した。この新マスタープランの内容や策定の経緯から、同州の(高等)教育政策の変化をうかがい知ることができる。
新マスタープランの概要によると、今回の提言の背景には同州における経済や労働需要の変化、高等教育学位の有無による経済的格差の拡大などがあるとされる。1960年のマスタープラン以降の同州高等教育の構造は、各レベルの正規の教育課程を効率的に提供する仕組みだった。だが、先述の社会経済的変化のために新たな戦略が必要となり、同州は多様な対象者に応じた教育訓練の取り組みを構築してきた。しかし、それらは実施機関、資金提供方法などがそれぞれ異なり、潜在的な学習者にとって適切な訓練やその後の仕事を見つけることは容易ではなかったという。また、生活費や授業料が高騰する中で、より公平で、アクセスしやすく、同州の多様な需要に対応するキャリア教育のインフラが求められており、もはや学位は万能薬ではないとの記述も見られる。
そのような中、2023年8月31日、ニューサム知事の行政命令に基づき、既に同知事が設置していた私的な諮問機関を改称した「キャリア教育のための知事カウンシル」が組織された。同知事が任命した高等教育機関や実業界のリーダー、政権幹部などがその構成員となり、州内各地やオンラインで州民の意見を収集するなどしつつ、タスクフォースによって具体的な検討が進められた。
新マスタープランは、大きく分けて以下の6つの提言を行っている。「1.州全体の計画調整機関の創出」「2.各地域における調整機能の強化」「3.キャリア・パスポートを通した技能ベースの雇用への支援」「4.高校生およびカレッジの学生向けキャリア・パスウェイの開発」「5.若者および成人向け労働力育成の強化」「6.教育及び労働力育成へのアクセスや費用対効果の増進」である。紙幅のため幾つかに絞って取り上げたい。
新たに設置される州全体の計画調整機関とは、2011年に前州知事の意向で突如廃止された、カリフォルニア中等後教育コミッション(CPEC)の後継機関に相当する。CPECとは、先述のように(その前身組織が)オリジナルのマスタープランを受けて設置された、高等教育政策の総合調整のための審議会およびシンクタンクだった。そもそも、新マスタープラン自体が前知事時代からの懸案であった調整機関の再建問題の延長上にある。このことは、「キャリア教育のための知事カウンシル」の前身となった先述の知事直属の諮問機関が、州議会を通過した調整機関の再建法案にニューサム知事が拒否権を行使した際に設置されたことからも明らかである。新マスタープランの提案では、(高等教育機関以外も含む)職業訓練の提供者や企業経営者らが調整機関に参画することが掲げられている。同州における従来の改革議論が、調整機関における高等教育関係者の関与の是非や知事や議会による管理・監督のバランスに焦点化していたことに鑑みると、これまでとは性格を異にする調整機関の創設が、高等教育と政府や市場との間に新たな緊張もたらす可能性がある。
キャリア・パスポートは、学歴だけではなく、職場経験、訓練、技能を可視化するためのデジタル・プラットフォーム構想である。まだ開発中のようだが、既存のeTranscript California(編入学支援等のために州内の教育機関間で学業成績等を共有するシステム)との連携が図られている。学歴による貧富の格差が米国の中でも著しいとされる同州だからこそ、正規の学位や学習履歴以外でも個人が適切に評価されるような労働市場を形成しようという新マスタープランの狙いは理解できる。しかし、従来のマスタープランが概ね発行する学位に対応する構造、機能を同州高等教育の各セグメントに期待していたことを踏まえると、新マスタープランは新たな方向性を打ち出しているように見える。
キャリア・パスウェイ(Career Pathways)にも、独特の含みがある。アメリカでは連邦法に基づく制度としてCTE(Career and Technical Education)と呼ばれるキャリア教育が行われている。CTEは、実践的な学びを通して大学進学準備と職業教育を両立させようとするものであり、学習者は領域ごとに設定されたパスウェイと呼ばれる一連のコースを履修する。これらは、就職希望者が将来の高等教育進学に備えることと、進学希望者が将来の職業への移行に備えることの両方を意図した取り組みであるが、その実態は専ら職業トラックではないかとの批判もある。カリフォルニア州では、CTEの内実を強化するためにLL(Linked Learning)と呼ばれる独自の取り組みが展開されており、新マスタープランの中でも数か所で言及されている。LLは、州立大学への進学要件であるA―G科目をパスウェイの中に位置づける、インターンシップや地域連携の機会を設ける、カウンセリングや補習といった支援を充実させるなどにより、高校生やコミュニティ・カレッジの学生らを進学にも就職にも備えさせようとしている。教育や社会の公平性を高めようとする取り組みと言えるが、新マスタープランはこうした既存の取り組みを一層推進しようとしている。
以上のように新マスタープランは、労働市場と教育訓練との接続を強化し、学位の有無にかかわらず十分な収入を得られる社会を目指している。教育機関の努力だけではなし得ない課題解決を掲げる意欲的な構想と言えるが、実は、マスタープランが高等教育を超えた問題を扱う政策文書となって久しい。2002年には、K―16までを視野に入れた「教育マスタープラン」(A Master Plan for Education)が議会の主導で策定され、同州が直面する様々な課題に高等教育も大いに貢献することが求められた。州内各地で集会を開催するなどして膨大な改革提言を盛り込んだ結果、総論賛成各論反対のような状況に陥り、「教育マスタープラン」は十分には実現されなかった。新マスタープランにも、それと似た部分が見られる。2025年度の州議会では、提言の実効性が疑問視され、具体化するための予算が十分に措置されなかったとも報じられている。新マスタープランがどの程度実現し、同州高等教育に何をもたらし、それらはいかなる示唆をもたらすのか。引き続き注視していきたい。
