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アルカディア学報

No.795

「知の総和」答申をどう読むか
~量的規模の観点から

客員研究員 合田隆史(一般社団法人文教夢倶楽部代表理事)

 中央教育審議会の答申は、これを批判的に読むことは大切だが、我々大学の現場に関わる当事者としては、答申が書かなかったこと、書けなかったことを含めてメッセージを読み取り、自分なりの答えを導かなければならない。本稿は、その一つの試みである。

1.書かなかったこと―量的規模の政策目標

 今年2月の中央教育審議会答申「我が国の「知の総和」向上の未来像~高等教育システムの再構築~」(以下、「答申」という。)は、「知の総和」の向上を「目指す姿」として掲げた。答申のいう「知の総和」とは、人の数と能力を掛け合わせたものである。この考え方自体批判的に検討すべき点は多々あろうが、ここではこれを前提に考えてみよう。答申は、18歳人口が減るので、「数」が減るのは仕方がないから、その分「質」を上げて補うしかない、と言っているわけではない。「質の向上」は、これまでも繰り返しその必要性が指摘され、政策的にも、各大学でも、これまでもあらゆる手立てを講じてきた。今後もさらに努力を続けるのは当然としても、現実的に考えれば、これから急に飛躍的に変化するとは考えにくい。だとすれば、18歳人口が減ってもここでいう「数」、つまり高等教育人口は、少なくとも減らすわけにはいかない、という結論になりそうだが、しかし、答申はそうとも言いきっていない。

2.ブロック別、設置者別に、目指す姿を考える

 大学の将来像を考えるときには、都道府県単位で考えるだけでは十分でないことは言うまでもない。全国的な状況も踏まえつつ、ブロック単位で考えるとしても、ブロックごとに課題は大きく異なる。そこで、本稿では、東北圏を例に考えてみたい。また、設置者によっても事情は大きく異なる。考え方の整理のために、東北圏において、国立、公立、私立大学の将来の「数」について、予測としてではなく、政策的にどういう姿を目指すべきか、という観点から考えてみるとどうなるだろうか。

3.東北ブロックの「知の総和」

 量的規模の観点から見た場合、東北圏の最大の課題は、その進学率の低さと流出率の高さであろう。大学進学率の低さは、個人の教育機会というだけでなく、社会、経済、文化の発展とその担い手、県民所得、ひいては税収にも影響を及ぼす。いつまでもこのままでよいはずはない。
 人口減少が進む東北圏において「知の総和」の向上を目指すうえでは、質の向上とともに、進学率を少なくとも全国平均並みに持ち上げることを目指すことは、最低限の目標であるはずだ。東北圏の初等中等教育の水準は全国的にみてトップクラスなのであるから、少なくとも学力面から見る限り、これは決して不可能な目標ではないはずである。また、東北から全国へ、世界へ飛び出すことは大事だが、同時に、東北の大学は、東北圏外からも、さらに世界からも目標とされる大学群を目指すべきだろう。

4.国公立大学の場合

 答申の「推計」は、国公立大学への入学者数は、各県の大学入学者数の減少に見合う形で減少する、という仮定で推計している。しかし、東北の「知の総和」の観点から考えたとき、東北の人たちがそれを望むだろうか。また、詳述は避けるが、国の財政的な観点から考えても、これは実は得策ではない。問題は、国公立大学の側で、これ以上の学生の多様化に対応できるか、という点だ。私学の教員の置かれている状況を見れば、国立大学の教員が、さらなる学生の多様化の中でも、これまでと同じパフォーマンスを上げられるか。それよりは、学生数を絞って入学者の学力水準を維持するのが得策ではないか。
 公立大学については、もともと地元進学者が必ずしも多くないという課題を抱えている。ただ、公立大学の規模が多少変動しても、東北全体でみれば量的には大きなインパクトはないだろう。

5.私立大学の場合

 全国的に見てもそうだが、東北地方に関しても、実際に地元高校生の進学機会を支えているのは私学である。国公立大学は、圏外からの進学者も多い。私学では、一般に、成績中位層、自宅通学志向の層が多く、経済的に必ずしも豊かでない層も含めて、地元高校生にとって基盤的な進学機会となっている。私学の規模が縮小するとなれば、全国との進学率格差は、縮まるどころか逆にますます広がることになる。
 では、高校生数に比して入学定員の少ない東北圏で、多くの私学が入学定員未充足となっているのはなぜなのか。最も基本的な要因は、選択肢が限られていることにあると筆者は考えている。この進学志望と進学機会の選択肢のミスマッチが生じる可能性は、選択肢が少ないほど高くなる。これに、他の社会的、経済的要因が重層的に加わって、入学定員の少ない地域で、進学率が低いまま定員未充足が加速するという現象が生じることになる。これを改善するためには、各大学ができるかぎりきめ細かく進学志望に沿ってそのあり方を見直していくことが基本であるが、少なくとも、選択肢をこれまで以上に減らすことは避けなければならない。

6.目標とすべき姿

 以上の考察を踏まえた場合、東北圏の大学は量的に見てどういう姿を目指せばいいのか。「知の総和」すなわち「質」×「数」の向上を基本に考えてみよう。まず、国公立大学が、入学者の「質」を確保しつつ、「数」、つまり入学定員を維持するのであれば、18歳人口減少に伴う東北圏内高校からの進学者の減は、圏外からの留学生を含む進学者で確保しなければならない。「知の総和」の向上のためには、流出を防ぐことも大事だが、流入を増やすことも重要である。
 他方で、東北圏の高卒進学率を全国平均並みに引き上げるためには、これまで大学進学への門が開かれてこなかった層を取り込むことになる。これは、学力不足の学生を受け入れるということを必ずしも意味しない。これまで4割だったものを全国平均である6割のレベルに拡大するというだけのことである。この層の多くは、国公立大学進学や自宅外通学を志向するよりは、できるだけ自宅から近い範囲の大学を志向すると思われる。
 そうだとすれば、東北圏の国公私立大学はどういう姿を目指すべきか。答申の推計では、2040年の東北圏の18歳人口は約4万2千人、大学入学者数は約1万6千人、このうち国公立大学が約7千人、私立大学が約9千人となっている。現時点の国公立大学の入学定員は約1万1千人強であるから、国公立大学は、入学者の「質」を維持しつつ現在の入学定員を充足するためには、さらに4千人強の学生を、留学生を中心に従来の圏内進学者層以外から確保しなければならないことになる。国立大学協会は、すでに留学生を全学生の3割に拡大するとしている。一極集中は解消はされないにしても、その是正は国全体の政策目標である。公立大学については、地元学生の受け入れを重視せざるを得ないだろうが、卒業生の地元定着の努力を進めれば、県外からの進学者や留学生受入れについても一定の理解が得られるだろう。
 他方、2040年の東北圏内高校卒業者の大学進学率は46%程度、全国平均が60%程度と推計されている。仮に、東北圏の高卒進学率が全国平均並みの60%程度に伸びるとすれば、6千人弱の進学者増を見込むことになる。先に述べた理由から、その受け皿はほぼ東北圏内私学となるだろう。これを答申の東北圏内私学への入学者数推計8千6百人に加えると1万4千人強となり、現時点の東北圏の私立大学の入学定員の合計にほぼ匹敵する規模になる。東北の「知の総和」の向上を目指すという政策目標に立つのであれば、少なくとも東北圏に関しては、国公私立大学とも、入学定員を削減したり、定員割れを嘆いたりしている場合ではない、ということになる。

7.目標を達成するために必要なこと

 これは、あくまで目標として目指すべき姿ということであって、実際にそうなると見込まれる姿ということでは必ずしもない。これを実現するためには、答申が述べているように、「これまでの発想を大きく転換すること」が必要である。ここでは、紙幅の関係もあり2点だけ指摘したい。
 まず、「質」の向上のためには、入学定員充足に関する考え方を転換する必要がある。進学需要が収容力を大きく上回っていた時代には、各大学において定員を「下回らない」数の学生受け入れが要請されたのはやむを得ないだろう。しかし、ようやく収容力が進学需要を上回る時代が実現したのであるから、教育の「質」の向上をうたうのであれば、設置基準は最低基準であるという本来の姿に帰って、入学定員を「上回らない」学生受け入れを原則とする政策が可能になるはずである。
 同時に、入学定員を充足していないことがその大学の社会的価値の低さを示している、という見方があるとすれば、その考え方も転換しなければならない。入学定員未充足には、「質」に問題がある場合と、「質」には問題がないが別の理由で定員を充足していない場合の2種類がある。大学設置審議会から教員不足など深刻な問題が指摘されているにもかかわらず多くの志願者を集めている大学もあれば、教育研究条件としては申し分なくても定員未充足の大学もある。
 第二に、18歳人口減少局面では設置審査を厳格に行うべきだ、と考えられがちであるが、この発想も転換が必要である。先にみたように、学生の学習ニーズに応じた転換を柔軟かつ迅速に行っていかなければならないときに、新たな分野への展開に対して学生確保の見通しが厳格に求められることになれば、改組転換が困難になり、「質」の確保も「数」の確保もともに難しくなる。そうなれば、「知の総和」の向上に逆行する結果を招くことになる。
 他にも論点は多いが、最後に一つだけ付け加えるとすれば、重要なことは「知の総和」に加えて「知の多様性」の確保である。この観点を踏まえて、答申の指摘する大学間連携を含め、「だれにもまねできない改革」ではなく、「だれでもまねできる改革」のモデルを創出していくことが求められている。