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アルカディア学報

No.747

人類の歴史の大波
キー・コンピテンシーの終焉

磯田文雄(花園大学学長)

人類の歴史の大波

 今、我々は、人類の歴史の大波にのみ込まれている。
 まず、2020年初頭にコロナウイルス感染症が広がり、それがまん延する中で人々の生活が大きく変容した。大学のキャンパスには学生の姿が消えた。学生のバイトもなくなり、生計を維持できない学生が続出した。本年3月の卒業生は、大学生活の大半をコロナ禍で過ごした。ようやく5月8日にはコロナウイルスの感染症法上の位置づけが季節性インフルエンザと同じ「5類」に移行した。
 次に、昨年2月に勃発したロシアのウクライナ侵攻は1年経った今も続いている。教育哲学者の今井康雄先生が話されるように、第一次世界大戦が始まったとき、ドイツでもフランスでも若者たちは熱狂して兵隊に志願していったという。彼らは、どちらが勝つにしても、戦争は数週間か、数か月で終わると考えていた。ところが戦線は膠着してしまい、結局4年間も戦争が続いた。ロシアのウクライナ侵攻も1年を超えて続くとは人々は思っていなかった。しかし今も戦争は続いている。毎日のように戦争の中で悲しむ人々の声が世界中に届けられている。
 このコロナ禍と戦争により私たちの全く知らない新しい世界が眼前に聳え立っている。その新しい世界の出現に驚きと恐怖を感じざるを得ない。
 政治学者の佐々木毅先生がおっしゃるとおり、「人間は自らの経験に暗黙に寄りかかりながら事態の変化に対応して生きているが、自らの経験が所詮は「自らの」経験に過ぎず、人類の歴史の経験の大きさに比べていかに間尺の違うもの―「想定外のもの」―なのかを思い知るに至って、寄りかかれるものを失い、手の施しようがない姿で歴史の大波にのみ込まれてしまう」。
 人類の歴史は人ひとりの経験を遥かに超えている。人類は何度もペストに襲われ、中世ヨーロッパでは人口の3割以上が死亡したとも言われている。アルベール・カミュが『ペスト』で描いた不条理な世界を、今、多くの人々が読んでいる。日本は感染症をコントロールしたと考えられていたが、今回そのような想定は「現在の日本人」の経験に基づく想定に過ぎなかったことが明らかとなった。人類の歴史は何度も感染症の襲来を経験していたにもかかわらず。
 次に、20世紀は戦争の世紀といわれた。第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、多くの戦争が世界各地で勃発した。しかしながら、日本は、1945年以降、戦争を一度も経験することなく約80年が過ぎようとしている。私の恩師の福田歓一先生がおっしゃったように「ドイツとフランスとの何百年にわたる敵対関係がもう一度復活すると考えるものは誰もいない」。戦争の世紀は終わったはずだった。
 それにもかかわらず、昨年1年間で思い知らされたのは、21世紀にも戦争が身近な問題として続くということである。そして、その戦争が全人類の平和と安寧を脅かすということ。当事国だけでなく、ウクライナと関係を有するEU諸国はもちろんのこと、その他の資本主義国家も政治・経済の両面で対応に追われている。アフリカやアジア各国までもが経済の混乱という大きな打撃を受けている。全て関係国でありこの戦争の下にある。遠いヨーロッパにおける戦争ではないのである。

キー・コンピテンシーの終焉

 コロナ禍で混乱していたグローバル経済は、ウクライナ戦争で壊滅的な打撃を受ける。ヒト、モノ、コトがグローバルに動いていたこれまでの経済・社会体制が機能しなくなる。21世紀の基本的な経済・社会体制が崩壊したのである。
 グローバル経済の崩壊は、私たちが学力の基本に位置づけているキー・コンピテンシーの見直しを求めることとなる。なぜなら、グローバル経済の下で必要な資質能力がキー・コンピテンシーであったからである。
 「キー・コンピテンシー(主要能力)」は、OECDが始めた「生徒の学習到達度調査(PISA)の概念的な枠組みとして定義された。90年代のヨーロッパで若年層の失業が社会問題となり、OECDが中心となって、雇用に必要な資質を定義し測定する方法が研究された。それが中等教育における学力水準の国際比較としてPISAテストにつながった。
 キー・コンピテンシーの概念は各国に大きな影響を与えた。世界の教育改革の潮流であり、国際的な学力評価・ランキングの指標であり、現代の正統な教育の考え方であるとされた。
 平成24(2012)年中央教育審議会答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」は、キー・コンピテンシーを中核にすえた教育課程の編成に向けて次のように論じている。
 「次代を担う若者にこのような能力をつけさせるためには、学校教育全体を、従来からの組織や形式の観点からではなく、プログラム中心・具体的な成果中心の観点から見直すことが必要である。・・・成熟社会において職業生活や社会的自立に必要な能力を見定め、その能力を育成する上で初等教育、中等教育、高等教育それぞれの発達段階や教育段階において有効な知的活動や体験活動は何かという発想に基づき、それぞれの学校段階のプログラムを構築するとともに、教育方法を質的に転換することが求められている」
 このキー・コンピテンシーを基軸に据える学力観、教育体制は、グローバル経済の崩壊により見直しが必要となっている。
 壊滅的な打撃を被った供給網(サプライ・チェーン)を再構築しなければならないが、その際には政治の関与の度合いが強まる。特定の国への供給網の依存は政治的に避けられることとなる。また、グローバル経済以降の国内及び国外の経済のあり方を検討する際には、経済の視点だけでなく、それぞれの国や地域における文化、民族、歴史の視点が重要度を増す。このような経済・社会の在り方の検討の視点の変化を受け、学力観も見直されることとなる。

新しい学力観の検討に向けて

 グローバル経済の次に来る世界にふさわしい新しい学力観を構築するためには、キー・コンピテンシーに対する批判の視点から検討するのが適切である。
 第一に、グローバル経済の次に来る新たな世界の教育を考えるべきである。キー・コンピテンシーは、グローバル経済体制の学力観であるが、資本主義、共産主義など多様な政治体制を許容しその下で機能する。しかしながら、目標となる世界、政治・社会体制は、その目標実現のために必要となる学力観を生み出すものである。民主主義と自由主義を基本として、それにふさわしい学力観を構築すべきである。どの様な政治体制でも機能する学力観はもう捨てるべきである。
 第二に、教育学者の安彦忠彦先生が強く批判しているとおり、コンピテンシー中心主義は「人格」の形成こそが教育の全体目的であることを忘れている。「人格」の形成を教育の全体目的として位置づけた学力論を探究すべきである。
 第三に、転移可能性を重視すべきである。コンピテンシーに基づく教育は、現在要求されているスキルを重視しており、予測しえない未来には対応できない。一方、学問は、研究を通してそれまでの命題を批判的に検討し新しい枠組みを提供する普遍性を有している。学問を重視すべきである。