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アルカディア学報

No.742

日本の労働市場とリカレント教育の相性
高まるリカレント教育への期待

研究員 堀有喜衣(独立行政法人労働政策研究・研修機構副統括研究員)

1.20年先の労働市場を見据えて

 「人への投資」という政策方針を背景に、リカレント教育やリスキリングに対する関心が急激に高まっている。この政策以前から、デジタル化を中心とした第四次産業革命により雇用が自動化され、雇用が喪失してしまうという危機感は指摘されてきたところである。また長寿に伴う職業人生の長期化により、キャリアの途中で従事していた仕事がなくなってしまう確率も高くなる。この大きな課題をリカレント教育やリスキリングで解決したいという処方箋は、一見妥当なものに思える。
 しかしこれまでリカレント教育は、日本の労働市場とすこぶる相性が悪いことで知られてきた。新規学卒一括採用が主流であるため、いったん就職した後に改めて新しい教育を受けてもキャリアのやり直しは難しい。よってこれまで専門職大学院をはじめとして、大学は社会人向けの様々な試みを行ってきたものの、社会人のキャリア形成という点においてはあまり貢献できていないというのが従来の一般的な認識であった。
 筆者も長年同じ認識を共有していたのだが、このところの少子化のスピードは予想をはるかに上回って進んでいる。今後10年は何とか現在の社会システムを維持できるかもしれないが、この先20年を見据えた場合、状況が大きく変化せざるを得ないであろう。人口構造が急激に高齢化する中で、人手不足を埋められるだけの若者は減っていくばかりである。日本の若者が足りなくても若い外国人労働者に来てもらえばよいというのは、現在の日本においては楽観的にすぎる。これまではリタイアしていた年齢の人々にできるだけ長く働いてもらわなければ、労働力人口が足りなくなると同時に、現役世代も社会保障の負担に耐えられなくなることが容易に予想できる。
 とはいえ、筆者は現在の労働市場が抜本的に変化すると予想しているわけではない。新規学卒一括採用は温存したまま、中高年の労働市場においてジョブ型が普及し、中高年のキャリア形成のためのリカレント教育が必要になるというのが筆者の未来予想図である。すなわち、稀少化する若者層については新規学卒一括採用によって採用し、企業内で様々な職業訓練の機会を用意して、企業内部で労働力のマッチングを行うという日本型雇用慣行が今後も主流であり続けるだろう。
 他方で中高年については経営側に回る少数を除けば、最初のキャリア形成を生かして、専門的な仕事をこなすタイプの人々と、異なる職務に切り替えることになる人々に分かれてくるだろう。異なる職務に切り替えるきっかけは様々であり、積極的な場合もあれば不本意な場合もあるだろうが、いずれにしても60歳まで働けばよかった時代は終焉を迎え、長い職業人生の中における第二の新人時代が始まるということになる。若者の学校から職業への移行も円滑に進めることは難しいが、中高年においても現在の職業から別の職業への移行は簡単ではない。その際に、職業能力形成と意識の醸成という点で重要性を増すのがリカレント教育というわけである。

2.キャリア形成に役立つリカレント教育のための労働政策的な取り組み

 リカレント教育が労働市場において評価される前提として、職業に必要な能力が「見える化」され、教育機関がその能力を獲得させているという社会的な承認が必要である。すでに教育政策においても様々な取り組みがなされているが、本稿では労働政策におけるリカレント教育に関連した試みをご紹介したい。
 これまで労働政策においても職業能力評価基準の策定やジョブカードなど、職業能力を「見える化」して、円滑な労働移動を実現するための様々な政策が行われてきた。ただしこれまでの様々な試みは、リカレント教育同様に、広く社会的に共有された状況とはなってこなかった。
 そこで職業に必要な能力を「見える化」する新しいアプローチとして導入されたのが、JOBTAG(日本版O-net)であり、これに基づく「タスク」分析である。日本版O-netは特定の職業を紹介するのではなく、抽象化された共通の基準で全職業を数値化し、職業横断的、企業横断的な数値情報を提供しようとするものである(鎌倉2022)。変化の激しい時代において、職業世界の中から自分の興味・能力・適性に合致する職業を探したり、職業間の類似性を相対的に比較する場合に有効となる。この試みがうまくいけば、個人は希望する職業や自分に不足するスキルを把握し、必要な学びにつなげていくことができるはずである。また個別の企業を超えて、標準化されたスキル転用が可能な労働市場が構築できれば、中高年にとっても第二の職業人生が開かれやすいことになる。とはいえこの始まったばかりの日本版O-netには、求職者の使いやすさという点でまだ課題が大きい。また職業数も十分ではない等、アップデート中であり、拡充が期待されている。
 他方で日本版O-netが提供する指標は様々な研究で活用されている。教育業界でも「AIで仕事がなくなる」という仮説は有名だが、いわゆる雇用の代替可能性(自動化リスク)についての分析において依拠する指標は日本版O-netが提供するタスク指標(または前身のキャリアマトリックス)がよく活用されている。これらの研究は、自動化にさらされやすい(将来なくなってしまう)仕事を、タスクから推計するというものである。
 またよい転職についての分析(どんな転職が収入アップになるか)も行われている。タスク距離が近く、類似性の高い職業に転職した場合は、職業が変わったとしても転職後の賃金の低下が小さいことが明らかにされており、職業間のスキルの移転可能性が示唆される。さらに2022年の『厚生労働白書』においては、職業訓練の効果分析として展開されている。
 以上のように、職業能力の「見える化」を目指す日本版O-netは、まだ研究段階の活用が多く、求職者に十分に活用される段階には至っていない。とはいえ、リカレント教育が労働市場において評価されるための一つの要素である、求められる能力に対応した教育を検討できる材料を提供できる段階には来ているとも言える。
 教育機関が、必要とされる能力を認識し、その能力を獲得させているという社会的な承認を行う際の一助となるのではないだろうか。

3.大学に対する高まる期待

 学位を授与できるという特権は、大学の威信の源泉である。しかしリカレント教育の場合には、学位の授与は18歳の教育とは異なりマストではない。すでに学士を持っている場合も多いし、4年もじっくりと学ぶ余裕はない社会人の方が多いだろう。履修証明プログラムの方がポピュラーかもしれない。よって学位授与だけではない、それぞれの大学が持っている他の財産を生かすことが求められる。
 また大学教育はこれまでそれぞれの学問体系の中で教育が行われてきた。この点については今後も維持されるだろうが、学問体系と異なる論理で労働市場は動く。このバランスをどのように設定するのかが、各大学の腕の見せどころになるだろう。
 リカレント教育と労働市場とをどのようにシンクロさせられるのか。18歳人口の減少を踏まえ、リカレント教育はこれまでの大学の蓄積を生かす絶好のチャンスであり、各大学の試行錯誤が期待される。
〈引用文献〉
鎌倉哲史'2020'「職業情報ツールの活用」日本キャリア教育学会編『新版キャリア教育概説』東洋館出版社.