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アルカディア学報

No.740

大学設置基準の緩和と質保証
検証の必要性は?

研究員  濱名篤(関西国際大学理事長・学長)

 外部からの大学ランキングは盛んだが、"教育の質保証"の重要性が指摘されているにもかかわらず、その客観性が担保されていない状態にあるのではないかということが気になっている。その危惧のひとつが大学設置基準の緩和という政策である。
 大学設置基準が時代の変化を受け見直されることは必要であろう。同基準のうち、定量的基準は、改正前ですでに6種類しか残っていなかった。①卒業要件単位、②単位認定条件(1単位当たり学習時間等)③授業期間、④定員(入学定員、収容定員)、⑤校地・校舎面積、⑥専任教員数(専門教育担当+大学の収容定員数に応じた加算)、である。
 このうち今回の改正では、②③⑤⑥の規制緩和(⑥については専任という枠組みが基幹教員という多義的なカテゴリーに変更)が行われることになった。また①については、文理融合やSTEAMへの関心からリベラルアーツの重要性が指摘されてはいるが、大学設置基準の大綱化の際に一般教育と専門教育の内数の基準等はすでに廃止されており、リベラルアーツ科目(旧一般教育)を無くすことさえできるようになっている。これらの定量的尺度が普遍的に比較可能な基準という安全弁になっていたのだが、規制緩和によって質保証の基準として使えなくなってしまうのではないかという危惧がある。
 大学設置基準は大学・学部・学科の新増設という入口での質保証の基準(事前規制)であると同時に、法令で定められた認証評価(事後規制)での基準の中核を占めてきた。今回の改正では、複線型高等教育における設置基準間の教育環境条件の不均衡の存在や、大規模校に有利なスケールメリット型の教員数基準の不合理さは見直しされていない。現在の質保証システムを"概ね機能している"という印象に基づき規制緩和を進めることが改善につながると言えるのであろうか。産業界、政府と定員割れ等の問題に直面する大学との"同床異夢"かもしれない。
 教育の質の事前規制の仕組みである設置基準間に、一定の法則性や等価性がなくなったとき、果たして教育の質保証が成し得るかについては疑問である。例えば、学校種間の設置基準の関係性の検証もなく規制緩和が図られることは、規制緩和による大学間の競争を促進するとしても、それが質保証を担保するものでないことは明らかではないだろうか。
 近年、世界的に高い評価を受けている高等専門学校制度を可能にしているのは、専任教員数基準であるといえる。入学定員400人の工業系学科を例に専任教員対学生数(S/T比)を比較すると、大学(19.0)、専門職大学(19.0)、短期大学(26.7)、専門職短期大学(26.7)、高等専門学校(16.0)と、高専は、専門職短期大学、短大と比べて大幅に少なく、大学や専門職大学以上に手厚い配置が定められていることがわかる。(高校の学習指導要領の遵守は必須ではないが)高校相当の普通教育課程の教育と専門教育の両方の教育を行うために恵まれた教育条件になっている側面もあるが、S/T比からみて高専がいかに恵まれた教育条件に制度設計されていることは明らかである。
 教育の質保証というのは確かに難しい。学生が卒業後に活躍できることについての指標(就職率、免許取得・資格試験合格率、卒業生の年収)、卒業生による自己評価(卒業時、卒業後)といった間接評価を、評価基準の一として用いることは可能と考えられるが、学修成果の直接評価の導入は遅々として進んでいない。直接評価の方法であるルーブリック評価を成績評価基準として活用する大学(「すべての科目で利用」5.4%「一部科目で利用している」大学28.2%)は33.6%にとどまっている(文部科学省「令和元年度の大学における教育内容等の改革状況結果」(2021年)
 このような状況で、定量的尺度の規制緩和を行い、各大学と認証評価機関まかせで質保証が機能していると言えるのだろうか。杉谷祐美子は、「質の保証は容易ではない。とりわけ大学評価基準への追加が検討されている『学修成果の把握や評価』については研究途上の段階にあり、全てを把握・可視化できない限界があることは、『教学マネジメント指針』(2020)でも指摘されている」(杉谷2022)と述べているが、学修成果の把握方法も定まっていない。外部の標準化されたテスト等による学修(74.6%)、学生の学修経験等を問う(46.4%)、学修ポートフォリオ(27.7%)、学修評価の観点・基準を定めたルーブリック(19.6%)(文部科学省「令和元年度の大学における教育内容等の改革状況結果」(2021年)と、語学力等のテスト以外の評価方法はほとんどとられておらず、学生自身の評価による習得実感や経験の有無のような"間接評価"も半数に満たないが、前述のように"直接評価"することはほとんど進んでいない。内部質保証の検証の尺度が定まらないままで教育の質保証をどう担保していくのだろうか。これまでの設置基準の規制緩和が進んだ影響がどのようになっているのかの検証もなくていいのだろうか。筆者が実地調査などでみてきた様々の事例からは疑問を感じたケースは少なくない。量的基準の運用も規制緩和され、その例外措置もさらに講じられていく。過去の検証も十分なされないまま、設置基準の定量的尺度以外には定量的基準を用いることのほとんどない認証評価機関に任せるだけで、内部質保証は機能していくのだろうか。
 天城勲はかつて、「内容的、制度的に多様化の道を進み、同時に全体系の構造化と柔軟化を求められる我が国の高等教育の姿を想定するとき、一方では大学その他の高等教育機関が本質的に保有すべき自主性とともに複雑な社会での新たな役割を自覚し、他方では国は高等教育の全システムの計画、調整の任務を行政、財政の両面から果たすこととなる新たな役割を自覚し、両者が徒な自主・自由と権力・統制の対立に陥らないで、それぞれが新たな役割を相互に認識し、信頼しあう風土ななかで、今後のわが国の高等教育の発展を図っていかなければならない」(天城勲「総括と展望」『大学設置基準の研究』1977)と指摘していた。
 現状として、各大学のアセスメントは、新増設の際の設置基準と、認証評価の際の大学基準を意識して設定されるであろうが、直接評価も必ずしも求められず、量的基準が縮減していくことで、質保証が十分機能するのであろうか。
 加えてジョブ型雇用への転換が叫ばれるとはいえ、労働移動に必要とされるNQF(National Qualification Flamework)による職業資格制度を媒介とした質保証(欧州型)が存在せず、コアカリキュラムもなく、学位の持つ処遇に直結した評価(アメリカ型)も存在しない日本の高等教育システムにおいて、設置基準のさらなる規制緩和だけで、質保証や学修成果の可視化が維持していくことができるのであろうか。
 中教審にワーキンググループを設けて、設置基準の特例措置の適用の可否を判断するというが、そのような一時的措置を続けていくことが可能かは再検討が必要だろう。天城の「大学設置基準の研究は決して部分的、一面的な課題ではない」という言葉は今なお重い。今こそ過去の規制緩和の実証的な検証が求められているのではないだろうか。