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アルカディア学報

No.733

文理融合推進に向けての日本の新たな政策動向と大学の現状

研究員 山田礼子(同志社大学社会学部教授)

 2016年に公表された「第5期科学技術基本計画」において、仮想空間と現実空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会を意味する「ソサエティ5・0」の推進が政策目標として掲げられた。「ソサエティ5・0」の源流は多くの国が国家規模で改革を進めてきた「デジタルな世界と物理的な世界と人間が融合する環境」として定義されている「第4次産業革命」に行きつく。第4次産業革命の進展により、AI、自動運転、クラウド技術、VR等をはじめとする技術革新が現在進捗し、産業構造や労働市場および社会にも変化がもたらされている。同時にこの変化は大学教育の内容や在り方にも影響を及ぼすと考えられる。事実、最近ではイノベーションという用語が新たに加えられたSTI(Science,Technology,Innovation)政策が多くの先進諸国において進展している。日本では、STEM教育重視の政策が唱えられる一方で、2021年の「第6期科学技術基本計画」では、「ソサエティ5・0」が掲げている人間中心の社会を実装していくうえで、人文・社会科学とSTEM分野の融合すなわち文理融合という概念が重要であることが初めて示され、大学教育における「文理融合型教育」の進展が期待されている。
 これまで文理融合型教育は「ソサエティ5・0」実現のために研究と教育との両輪を目指すという特徴がみられ、大学院レベルでのSTEMと人文・社会系による文理融合型プログラムの構築が「博士課程教育リーディングプログラム」を通じて進められてきた。学士課程教育段階では、「データサイエンス教育」も文理融合型教育の側面を強く持っている。このように近年、大学・大学院レベルでの文理融合型教育が実装され、そこに期待する声もイノベーションの創出という点からも大きい。しかし、文理融合型教育を進捗させていく上での課題も多い。代表的な課題の一つに大学進学にあたっての高校段階での「文理選択」という制度がある。また、実際の大学教育において、文理融合型教育を専門分野で進展させていくのか、大学院も含めて共通教養教育で進めていくべきなのか、あるいは研究と教育の両面を重視して大学院で実現していくべきなのか、そのモデルは模索状態でもある。
 2022年6月から中央教育審議会、大学分科会の中に、新たに大学振興部会が設置された。部会でのメインのテーマのひとつとして「文理横断・文理融合教育」の推進が挙げられている。「総合知の創出・活用を目指した文理横断・文理融合教育、ダブルメジャー、メジャー・マイナー等による学修の幅を広げる教育の推進が第1回目のテーマとして掲げられ、次の7点が論点として提示されている。第一は、なぜ文理横断・文理融合教育等を推進する必要があるのかという問いであり、①予測不可能な時代にあって一層必要とされる課題発見・解決力を学生が身につけるためには、文理横断的なカリキュラム、学修の幅を広げるような工夫が一層求められるのではないか。②DXの進展により社会が転換期を迎える中、リテラシーレベルの数理・データサイエンス・AIに関する知識・技能は、文理を問わず基本的に全てが身につけるべき素養といえるのではないか。という理由が挙げられている。
 第2の論点、「文理横断教育・文理融合教育等の取組には、どのようなアプローチ、類型があると考えられるか」では具体的な事例が示されている。第3の論点では、「我が国の大学において、文理横断・文理融合教育等が十分に進捗、発展しているとは言えない状況であるとすれば、その背景、要因は何か」という問いが発せられ、今後その構造的な要因を探っていくことが予想される。第4の論点、「学部段階における文理横断・文理融合教育等の推進と専門教育の高度化や大学院における研究者養成との関係をどのように考えるか」という論点は学士課程教育と大学院との接続に関連している。第5、第6の論点では、文理横断・文理融合教育等を行う大学・学部等の積極的な評価や支援策、そしてオンライン環境を活用して他大学や学部との連携を図ることの有効性が提示されている。第7の論点では、高大接続をどう進め、文理の分断から脱却できるのかという中等教育と大学教育の間にある構造的問題が取り上げられている。
 大学振興部会による「文理横断・文理融合教育」を推進するための議論は緒についたばかりであるため、今後どのようになるかをウォッチしていく必要があるが、データサイエンスがAI社会の構築との関係で文理融合教育の一つのモデルとして大学の学士課程教育段階で新しい学部として設置されてきたことは前述のとおりである。大学ポートレート掲載情報を参考にすると2021年10月時点では、全てが必ずしもデータサイエンス学部・学科という名称を冠していないが、データサイエンスを学問として学ぶ内容をカリキュラムに包摂している大学の学部はおおよそ10に上っていた。
 しかし、大学振興部会でのテーマに「文理横断・文理融合教育」が新しく挙げられていることを反映して、今後はデータサイエンスに加えて、人文・社会科学とSTEM分野が連携することで、学際性を高めるような方向性も進展していくのではないか。その場合、文理融合を21世紀型リベラルアーツとして捉える視点も不可欠ではないか。
 大学においては、共通教育を中心として、21世紀型リベラルアーツとしての内容を組み込んだ新たな科目を充実させる方向もあるだろう。例えば、SDGsは世界的な環境変化のなかで持続可能な社会を構築するという世界的にも共通の課題という認識で理系的・文系的内容をカバーし、そこに国際協働を組み込むこともあるだろう。
あるいはAIの進展やSNSの拡大により、フェイクニュースの蔓延やSNSでの投稿や発言を巡っての誹謗中傷の拡大と人間関係を壊すといった新たな問題が現実的に起こっており、それが社会の分断にもつながっていることは世界中で散見されている。それゆえ、ELSI(Ethical, Legal and Social Issues、倫理的・法的・社会的課題)という新たな分野を充実させることで、大学生が倫理観や法的概念を吸収し、修得することを学修成果として位置づけ、21世紀型リベラルアーツ教育あるいは科目として今後定着させることも可能である。
 しかし、文理融合を進めていくには当然乗り越えていかねばならない壁も存在している。大学振興部会の論点にも挙げられているように、大学入試を意識し、それに合わせて高校側および高校生も実質的に理系・文系という高校時代に分派することの選択が日本の特徴として定着し、機能している。こうした構造的な問題をどう解決していくのかは、容易ではないが、理系・文系学生両方に求められる21世紀型リベラルアーツ教育の再構築は人間中心の社会を標榜する「ソサエティ5・0」においては不可欠である。そのために、後期中等教育段階での文理選択を視野にいれながら、大学教育をどう変革していくかは、高等教育関係者のみならず教育に係る者につきつけられた普遍的な課題でもある。