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アルカディア学報

No.719

学校法人ガバナンス改革
~私学の健全な発展のために

客員研究員 山本眞一(筑波大学・広島大学・桜美林大学名誉教授)

設置者という概念の難しさ

 学校法人というものは、学校教育法に定める私立学校を設置する母体となる組織体であり、わが国の法制では、大学を含めて学校教育法に定める学校は、私立学校について言えば、一部の例外を除いて、学校法人のみがこれを設置することを許されている。このことは、わが国の学校関係者にとっては当然過ぎるほど当たり前のことではあるが、外国人にこれを説明するのは案外骨の折れることである。私も、過去にしばしば国際会議に出席し、また高等教育研究に関する各国の研究者たちとの研究会に参加してきたが、大学の「設置者」というものを説明することが極めて難しいことを実感してきた。彼らの感覚では、大学は法人格の有無を議論する以前に、それ自体がまさに組織体であり、その大学自体が何らかの法的行為すなわち政府自身による設置あるいは政府による設置認可によって設立されれば、それで十分であるということなのであろう。現にわが国でも私立幼稚園は個人による設置も法的に可能であり、また法人化以前の国立大学も設立法人という擬制を講じることなく、国の機関として直に設置されていたのである。国立大学の法人化を議論する際、それが法人格を持たないことから自律的な運営ができないデメリットがあると散々論じられ、実は私もその論議に委員の1人として加わったことがあるのだが、今となって考えれば相当タテマエ論に拘った議論であったと思っている。なぜなら国立大学法人化の隠された目的は、財政緊縮を軸とする国の行財政改革にあったからである。
 実際はしかし、学校法人こそが設置・経営母体として私立大学運営に大きな役割を担っているのは間違いない。また4校に1校は学校法人を代表する理事長と、大学の最高責任者である学長を兼ねており、世間一般には学校法人と大学とを一体視することも多い。但し、国立大学法人にあっては学長すなわち理事長の機能を兼ねる者という仕組みであって、この人物が国立大学法人の最高意思決定機関であり、まさに法制上は文部科学省が進めてきた「学長のリーダーシップ」を体現しているのに対し、私立大学にあっては学校法人の理事会が最高意思決定機関(私立学校法37条2項)であって、この合議制機関によってコトが決せられるという仕組みになっている。つまりここでの理事会が、理事長を含む理事の職務執行を監督する立場にあり、その点で、国立大学法人の学長は、役員会での審議を義務付けられている事項があるとはいえ、最終意思決定が学長に委ねられているという独任制機関であるのとは対照的な法制度になっているのである。

国立とは違う私学のガバナンス

 もちろんすべての事柄は制度のタテマエと実態が異なることは常で、私立大学において理事長・学長の力が極めて強く、しかもそのほかにも総長や学院長などさまざまな名称を有する有力者の力が実質的に理事会に勝っていると思われる法人もあり、またそれ以前に大学教授会の力が強い大学もある。他方で、国公立大学において、学長には権限が付与されているものの、実質的には教授会、教育研究評議会、経営審議会等での議論の手続きを慎重に進めないと、意思決定に至らない大学も散見されるところである。要は、大学の実情に応じて柔軟に対応しなければ大学運営は進まない。
 さて、昨今の大学ガバナンス議論を横から眺めていると、国立大学と私立大学とではその方向性が著しく異なることに気が付く。国立大学についてはもともと2004年の法制定時から学長すなわち国立大学法人の学長に意思決定権限を集約することによって、科学技術・イノベーションの推進などの国策に沿うような運営を始め、社会の様々な要請に迅速かつ適切に応えることに力点が置かれ続けているのに対し、私立大学については、学校法人の理事会・理事長の権限を制約するような方向性が強く見られるからである。本来ならば、国立・私立の間に制度的な差異がない方が、自主・自律を大学運営の基本に据えて、大学としての発展を図れるのではないかと思われるのであるが、何せ私学は多様であるから、国立とは同一に論じられないと考えている関係者が多いのであろう。今年始めから議論が始まった「学校法人制度改革特別委員会」は、近年のこのことを題材にした3度目の会議であるが、そこでの議論の目的は、文部科学省によれば「これまでの不祥事事案への対応等を踏まえつつ、対応に当たって制度上の課題や更なる不祥事案の再発防止策を検討した上で、適切な制度設計を行い改革案に反映していくことが必要」(同委員会の福原紀彦主査覚書からの引用)とのことで、つまりは私立大学の更なる発展のため、というよりは不祥事対策としての学校法人のあり方に力点が置かれているようである。

評議員会の扱いが問題の焦点

 委員会の資料や報道機関の情報によれば、論点の重点は評議員会と理事会・理事長との関係にあるものと思われる。昨年末に報告書を出した「学校法人ガバナンス改革会議」は現職の学校法人理事長や大学団体の関係者を排除するという異例の体制で議論が行われ、評議員会の議決機関化によって理事会の専横を牽制しようとし、多くの私学関係者の反発を招いた。今回の委員会の議論は継続中であり(※本稿執筆時)、予断は許されないが、前述の「福原主査覚書」を見る限り、学校法人や私立学校の特性を踏まえ、意思決定機関としての理事会の権限を維持しつつも、評議員会にも一定の役割を与え、かつ評議員の選任プロセスにも枠組みを加えようとしているように読める。内容的には私学関係者だけではなく、外部の利害関係者にも配慮した穏当な内容である。但し、昨年末のガバナンス会議の結論を否定するような形で出発した今回の委員会の結論とその後の法改正が、そのような内容で落ち着くかどうかは、今後の政治・政策環境如何によるのではないか。現に前回の改革会議の議長であった増田宏一氏は、「文部科学省のちゃぶ台返し」(文部科学教育通信527号)であると批判をされているところである。
 学校法人に係る私立学校法の規定は、役員の責任の明確化、監事の理事に対する牽制機能の強化、評議員会への意見聴取等評議員会機能の実質化などを目的として、2019年に改正されたばかりである。改正時の附則により、施行後5年を目途として検討を加えるとあり、更なる改正に及ぶにはいささか時期尚早なのではあるまいか。このことに関して、図を用意した。およそあらゆるシステムには、健全に動いている部分(白色)と何らかの問題を抱えている部分(灰色)とがある。問題が大きくなればケースAのように制度そのものの見直しが必要であるが、問題が個別・特殊な事例に留まっている場合は、現行制度の中で個別に対処するのが普通ではないだろうか。制度変更によって全体に悪い影響が及ぶようなら、それこそ問題であるとも言えるであろう。2019年の法改正と附則は、立法府でかつ国権の最高機関たる国会の意思であり、関係者がこれを尊重することこそ民主主義に基づく国の態度なのではあるまいか、と愚考する次第である。