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アルカディア学報

No.688

地方に位置する学生「受応」型私大の教育の経済的効果
投資の効果とリスクの状況

研究員  島一則(東北大学教授)

 教育振興基本計画(第一期(平成20~24年度)・第二期(平成25~29年度)・第三期(平成30年度~令和4年度))において教育投資の重要性は一貫して語られてきた。一方で、大学進学率が50%を超え、マーチン・トロウの述べるユニバーサル段階に入り、Fランク大学とも揶揄される大学群が現実に存在する。そしてこうした大学へ進学することの意義に対して否定的な議論も世上事実として存在する。
 ただ、この両者に共通するのは、いずれも十分なエビデンスに基づいての議論となっていない点である。そこで、本稿では、地方に位置する学生「受応」型私大(本稿では大学入試における偏差値が低い学生を受け入れ、彼ら・彼女らのニーズに応じて教育を行っている大学を学生「受応(じゅおう)型」私大と呼称することとする)において、大学教育投資の効果が存在するのか否かについて、事例的にではあるが、実証的に明らかにした著者の研究成果を紹介する。より具体的には、地方に位置する学生受応型私大(偏差値40未満)において、個別の文系学部を事例に取り上げて、当該学部のすべての卒業生(男子)の就職先データに基づき、当該大学・学部の期待収益率の平均と分散(バラツキ)を明らかにし、その実態を詳らかにする。なお、その際には同じ大学の中での投資の結果の分散(バラツキ)、さらには大学教育投資の「失敗の可能性」にも目をそらさず着目する必要があると考えている。そのうえで、大学教育投資や大学進学に関わる学生援助政策に関する含意についても述べることとする(なお、本稿についての詳細は島一則(2018),「大学教育の効用:平均と分散:低偏差値ランク私立大学に着目して」『個人金融』,13(3),pp.22-32を参照のこと)。
 大学・学部別の大学教育投資の期待収益率の計測を初めて行ったのは、岩村(1996,「高等教育の私的収益率―教育経済学の展開―」『教育社会学研究』58集,pp.5-28)となる。大学教育投資収益率(大学教育投資に関わる費用と便益の現在価値を等しくする割引率:左上に数式を示す)を就職先の産業×企業規模別に計測し(「モデル収益率」)、そのモデル収益率を各大学・学部別の産業×企業規模別の就職者数の分布(「就職機会」)によって重みづけをすることにより、各大学・学部別の期待収益率を計測するというものである。より具体的かつシンプルなイメージに基づいて説明すれば、仮にA大学B学部の卒業生(100人)が全員、民間企業に就職したとする。さらに、金融保険業の大企業(労働者数1000人以上)に就職したものが50人(50%)、製造業の中企業(100人以上999人以下)に就職したものが30名(30%)、建設業の小企業(100人未満)に就職したものが20人(20%)であったとする。さらに、金融保険業で大企業に就職した場合の大学教育投資収益率が10%、製造業の中企業に就職したものの大学教育投資収益率が7%、建設業の小企業に就職したものの収益率が5%であったとした場合、A大学B学部の期待収益率は10%×0.5+7%×0.3+5%×0.2=5%+2.1%+1%=8.1%となる。こうした産業×企業規模別の大学教育投資収益率(モデル収益率)と当該産業×企業規模への就職機会を組み合わせることにより、各大学・学部別の期待収益率を計測したことに岩村による大きな方法論上の革新があった。
はじめに学生受応型私大の卒業生の期待生涯賃金についてであるが、平均値は2億2864万円となっており、2億円を超えるなど決して低い値とはなっていないことが明らかになった。ちなみに高卒平均値は1億9203万円となっており、それよりも約3650万円も高くなっている。さらに、最大値で言えば3億2246万円となっており、その値はさらに大きくなる。ただその一方で、最小値は1億3953万円まで下がることが分かった。また、期待生涯賃金についてのバラツキの指標としてレンジ(最大値―最小値)に着目すると、1億8293万円となっておりかなり大きな値となっていることも明らかになった。
 次に表1は学生受応型私大の卒業生の期待収益率の度数分布表となる。こちらの表に基づき言えることは、平均値・中央値がそれぞれ4.0%・5.0%となっており、学生受応型私大においても一定水準以上の大学教育投資の経済的効果が得られることが明らかになる(現在の市場利子率を考えるとこの値は十分大きいと言えるであろう)。さらに、最大値は12・9%となっており、その値はかなり大きくなっている。しかし、最小値について言えば、それが計算不能(大卒後の税引き後賃金が一貫して高卒平均税引き後賃金を下回るなどした場合、すなわち便益が発生していないケースなどにおいて収益率の計測が出来なくなるケースなどがこれに当たる)となっていることが分かる。このことから確認されるのは、同じ学生受応型私大に進学したとしても、その就職先には多様性が存在し、高い大学進学の経済的効果を獲得できる学生もいる一方で、大学教育投資に成功できていない学生が少なからず存在することも明らかになった。より詳しく述べれば、5%以上の投資効果を有しているものが63・9%に達している一方で、大学教育投資に失敗している学生、すなわち、収益率がマイナスになっている学生と「計測不能」となっている学生は3割強存在している。ただし、この投資の失敗は何も学生受応型私大でのみ生じているわけではなく、偏差値が50近傍の標準的な私立大学においても、2割程度の投資の失敗が生じていることなどが明らかになっている(真鍋・島・遠藤(2020)「地方私立大学で民間企業に就職した男子学生の大学教育投資の期待収益率:平均と分散・変動と安定に着目して」『生活経済学研究』,52,pp.19-31)。
 以上を要すれば、学生受応型私大に進むことは、3億を超える生涯賃金を得るチャンスや10%を超える高い投資効率を生み出す投資機会を有しており、一定の投資失敗のリスクは存在する(3割程度)ものの、平均的に少なからぬ経済的効果が得られる機会を生み出している(期待生涯賃金:2億2864万円(平均値)・期待収益率4.0%(平均値)・5.0%(中央値))ことが確認されなければならない。また今回の分析は男子学生に関するものであるが、女子の大学教育投資収益率は男子のそれよりも大きいことが知られている。なお、以上は大学教育の投資的側面のみに限ったものであり、大学での学習や学生生活そのものを意義あるものと考えた場合の消費的効果が含まれていない。加えて以上の分析結果は貨幣的な効果に限ったものとなっており、大卒であることにより得られるよりよい労働条件、福利厚生といった点も含まれていないし、大卒である(高卒ではない)とする将来にわたる心理的効果も含まれていないものとなる。さらに言えば近年教育経済学研究によって明らかになっている社会的効果(健康、政治的効用感、幸福など)も含まれていない。こうした点を考慮すると、以上に見てきた学生受応型私大への進学効果は、実際はさらに(おそらくはずっと)高いと考えるのが妥当であろう。
 こうした知見に基づく含意としては、以下の5点が挙げられる。①ユニバーサルアクセス段階に到達した中で、偏差値が40未満となっている地方の私立大学であっても、大学教育投資には一定以上の効果があることが確認されたことは重要で、こうした大学への進学を根拠なく問題視するような言説(「大学は多すぎるなどの言説」)については特に留意が必要である。②こうした観点からは、(大学)教育機会の均等という公正的観点のみでなく、その経済合理性の観点からも、大学進学を(顕在的にも・潜在的にも)希望する学生に対する学生援助政策の重要性が再認識されなければならない。③以上の学生受応型私大が地方に位置することからは、こうした大学が地方にあることは地方に住む高校生にとっては重要な意味を持ち、中心的な政策的イシューとして語られることの少なくなった大学進学機会の地域間での均等化政策は、今改めて再検討の余地のある論点であると考える。④また、こうした分析結果に基づく学生援助政策への含意は、単に低所得階層の家庭の子弟に対する給付型奨学金の拡張を求めるものとはならない。すなわち、こうした分析結果から明らかになるのは、出身階層(家庭的背景)によらず、学生受応型私大においても一部は一定水準以上の経済的効果を享受することができることが期待されるわけである。であるとするならば、問題は出身階層(家庭的背景)ではなく、大学卒業後にどのような産業・企業規模の会社に就職できたのか、すなわち到達階層(仕事の状況)がどういったものであるのか、ということになる。こうした観点からは、所得連動型の奨学金の拡張と到達階層(仕事)の状況に基づく、返還猶予・免除の拡張などがより社会的には効率的でもあり、公正であるとも考えられる(ただしこうした制度の導入・拡張・運営コストには留意が必要)。
 最後になるが、以上に述べたことは誰もが大学進学するべきであるといった安易な結論に至るものではないことを強調しておきたい。大学教育投資という観点から以上に見てきた数値は、大学を卒業し就職したものに基づく期待生涯賃金・期待収益率となる。大学に入学したものの、大学生活になじめず中退するなどのケースにおいては、費用のみが掛かり、便益が期待できないなどのケースが想定される。こうした点から、大学教育・生活への意欲や親和性を有していないものにまで大学進学を勧めるような乱暴な議論を行うつもりはない。また、今回は地方に所在する学生受応型私大の1学部を事例にした分析結果であり、こうした事例の積み重ねも必要不可欠である(ただし、別の分析手法を用いた全国規模データに基づく分析においても偏差値45未満の私立大学に関する教育投資収益率が5.0%という結果が得られたことも紹介しておく。:島 一則(2016)「国立・私立大学別の教育投資収益率の計測」『大学経営政策研究』(7),3-15,2016)。なお、自大学の期待生涯賃金・期待収益率の算出に関心のある大学関係者各位は私学高等教育研究所までご連絡ください。