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アルカディア学報

No.659

建学の精神に導かれる大学マネジメント

加藤 毅(筑波大学大学研究センター 准教授)

 私立大学の存在理由は建学の精神にある。何をいまさら当たり前のことを、とお感じの方も多数おられよう。改めて言うまでもなく、建学の精神に対するリスペクトは私学人にとって必須であり、また近年では広告宣伝にまで活用されるようになってきた。しかし、である。建学の精神は、祭り上げておくものではない。今日では想像を絶するような困難な時代にあって学校の設立あるいは再興という偉業を遂げた学祖や中興の祖に、いま一度想いを馳せていただきたい。
 私立大学とは、建学の精神が象徴する理想に向けて、社会変革にとりくむNPOに他ならない。その構成員に課せられた最大の責務は建学の精神の具現化であり、この崇高な目的の実現に向けて関与を強化していくことが期待されていたはずではないか。

 希薄化する建学の精神

 建学の精神の具現化、という言葉に戸惑いを覚えられた方も少なからずおられよう。例えば中教審答申「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」をみると、「高等教育機関自らが、『建学の精神』...についての説明責任を果たしていくこと...が重要である」あるいは「私立大学については...それぞれの『建学の精神』に基づき、多様性に富み、独創的な教育研究を行う役割を担っている」という記述がある。建学の精神という、表現が抽象的で一般道徳に近い内容の理念を根拠としてはいるけれども、必ずしもその理念に従って教育研究が行われるわけではない、ということである。残念ながら、ここからは建学の精神の具現化というコンセプトは生まれてこない。

 封じ込められた建学の精神

 加えてもう一つ、根深い問題がある。学校教育法の旧第52条により、長きにわたって大学の目的は教育研究であるとの限定がなされてきた。同時に、大学職員の役割は事務に従事することとされてきた(学校教育法旧第37条および114条)。私立大学の構成員として建学の精神の薫陶を受けた職員がいたとしても、封じ込められた環境下で、その多くが強い無力感に苛まれていたであろうことは想像に難くない。著者が実施した調査でも、私立大学の一般職員(管理職を除く)のうち、建学の精神の「実践を意識して業務に従事」するものは2割強、「学生に訴えかける」ものも2割に満たない。点検の基準を少し緩めてみても、建学の精神が「自大学にふさわしい立派な内容」であると答えたものはわずか3割程度に過ぎない。そして、建学の精神の実践や普及に関与しないと回答するものが3割を超える。させてもらえなかった歴史の帰結とはいえ、寂しい状況ではないか。

 建学の精神を解放する第三の目的

 大学改革の始動からおよそ15年を経て、永らく封じこめられていた建学の精神が、具現化に向けて大きく動き出すことが可能となった。改正教育基本法(H18)および学校教育法の改正(H19)により、教育研究成果の社会還元(社会貢献)が、大学の第三の目的として正統化されることとなったからである。社会変革を使命とする、NPOとしての大学の手足を縛っていた規制から、ようやく解放されたのである。歴史を遡れば、その当時は教育研究事業を行うことが建学の精神を具現化する最良の方策であったからこそ学校が設立されたのだろう。しかしながら、時代は大きく変わり、高度の知識に基礎づけられた社会貢献への期待は高まる一方である。

 導きの灯理論

 ようやく扉が開かれたのだから、遅れを取り戻すべく機敏に、道を切り拓いていかなければならない。ここに、高等教育研究の意義が問われることになる。筆者はこれまで、卓越した大学役職員とのコラボレーションや大学マネジメント人材を対象とする教育プログラムの開発を通じて、主体的・積極的にマネジメントに参画する役職員が建学の精神を具現化するための方策について研究を深めてきた。建学の精神が、あとに続く我々に道を指し示す「灯」となることから「導きの灯理論」と名付けた一連の手法の一部概要について、残りの紙面を借りて紹介させていただきたい。
 建学の精神を具現化を阻む第一の要因は、抽象度が高くかつ壮大なスケールの表現をとるため、いかようにでも解釈することが可能であるところにある。トップマネジメントに限らず、自由裁量を与えられた職員が新規業務に取り組む場合でも、達成すべきアウトプットや業務のデザイン、実行プランの取捨選択にあたり、価値判断の基準となるべき価値観が一意に定まらなければ、先に進むことは難しい。幸いなことに、後世における取捨選択や編集を経て確立された象徴的文言の源泉にある豊かな物語が、我々に残されている。創設者の自伝もあれば、校史を彩る感動的な逸話もある。はじめにあったのは標語ではなく社会実践なのであり、ここに立ち戻ることで、建学の精神の趣旨は自ずから収れんしていくはずである。
 あるいは、担当するプロジェクトが方向性を見失うということもあろう。建学の精神を育んできた膨大な歴史を紐解いていくと、全く異なる背景や目的のもとでかつて展開されていた類似事業との邂逅を果たすことがある。これを未来志向の未完のプロジェクトと位置づけることにより、現在のプロジェクトに連なる文脈を新たに発見することができないだろうか。ここから、建学の精神への積極的な参画の道が開かれることになる。
 学校創設という偉業を成し遂げた人物の、バイタリティに溢れる多元的な活動展開に圧倒されることがしばしばである。一貫性のある、局面に応じた立派な業績と象徴的な言葉を数多く、我々に遺してくれた。建学の精神とは、そのごく一部を切り取ったものに他ならない。「変わるべきものと変わらないもの」という見方をとるのではなく、最前面に掲げる看板について常に議論を戦わせ、社会状況に応じて入れ替えていくことこそ、創設者の遺志に応える道なのではないか。

 戦略的自校史研究のすすめ

 学生を対象とする自校史教育の定着とは対象的に、職員が自校の歴史に触れる機会はまだまだ少ない。NPOの構成員として、自らの使命およびなすべき仕事を自問するための戦略的自校史研究の活性化に期待したい。