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アルカディア学報

No.656

「大学改革」の実践論
「羅生門」と「ケースメソッド」

上畠洋佑(新潟大学教育・学生支援機構 准教授)

 1.はじめに

 2017年に刊行され話題になった「反『大学改革』論 若手からの問題提起」という本がある。この本では、若手大学教員・研究者たちが、あらゆる大学改革に反対するという立場ではなく、90年代以降急速に進められてきた政策による大学の改革を、括弧つきの「大学改革」として批判的に検討し、より望ましい「大学改革」の方向性を論じている。これらは、彼らが急速に進んだ「大学改革」のなかで大学・大学院で教育を受けた後、大学教員・研究者への道(アカデミックキャリア)に進む中で抱いた反「大学改革」論なのである。
 一方、彼らと年代を同じくする筆者は、大学卒業後、教育とは全く縁のない物流会社で社会人を経験した後、二つの私立大学で事務職員として「大学改革」の波を受けた大学設置認可申請に関する業務等を担当した。また、事務職員時代に社会人大学院生として高等教育学を学んだ後、金沢大学、愛媛大学、新潟大学では学部に属さない教員として「大学改革」実践の中に身をおいてきた。キャリアパスは大きく異なるものの、当書を著した彼らと同年代ということもあり、強く共感し同意するところが多かった。本稿においても、括弧つきの「大学改革」を当書に倣って定義し、これまでの筆者の経験を振り返り、そこで得た知見を実践論としてまとめたい。

 2.「大学改革」を日常化に導く2つの実践知

 筆者は愛媛大学において、四国地区大学教職員能力開発ネットワーク(SPOD)事業と文部科学大臣認定「教職員能力開発拠点」事業に携わっていた。SPOD事業は、2008年度に文部科学省戦略的大学連携支援事業として採択されスタートした「大学改革」に関する事業であり、現在までに提供したプログラムへの参加人数は2万人を超えている。また、毎年8月に開催されるSPODフォーラムは、例年400人以上が参加する日本を代表するFD・SDイベントとなっている。
 「大学改革」の成功事例では、事業を立ち上げた教職員の名が冠されて英雄譚のように話題になることが多い。輝かしい成功を後光にしたリーダー像を掲げながら「大学改革」の成功を広報していくことは、全国の大学にグッドプラクティスを広めていく上でわかりやすく伝わりやすいという点で非常に重要である。一方で、このような普及・ブランディング活動に加えて、「大学改革」として立ち上げた事業をソフトランディングしながら組織に実装する実践が本質的に重要であると筆者はかねてより考えていた。そこで、筆者は愛媛大学において10年以上継続されているSPOD事業の関係者数名にインタビューを行い、「なぜ・どのようにSPOD事業が継承されてきたのか」を明らかにする研究を試みた。その結果、SPOD事業を継続し、日常業務に落とし込んでいく上で重要な2つの実践知が明らかになった。
 第一の実践知は、日常に埋め込まれたマニュアルである。これは、日常業務の履歴を後任にもわかりやすい形で残すという業務上の工夫であり、筆者はこれを「足跡型のマニュアル」と名付けた。ここでは、マニュアルを業務の要点のみ箇条書きしたもの(点)から、各業務の繋がりを持たせて時系列にまとめたもの(線)に捉えなおしたことが肝要である。「足跡型のマニュアル」とは、担当者が業務ごとに文書ファイルを作成し、業務で用いた書類を時系列でファイリングするとともに、業務上気づいた注意点や改善点をメモ書きしていくプロセスの総体であり、後任者に引き継がれるこの文書ファイルそのものでもある。引き継いだファイルに残された前任者の業務履歴の足跡を後任者が追いながら業務に取り組むだけで、前任者の仕事を再現することが可能になる仕組みである。もちろん「足跡型のマニュアル」を作ることそのものが、前任者から後任者に継承されていくのである。
 第二の実践知が、「口承マニュアル」である。愛媛大学ではSPOD事業を継承していく上で重要な役割を果たしていたものが、業務遂行上のエッセンスを組織内の職員同士の言葉で伝えあい継承していることであった。一般的なマニュアルは文字により記述されたものである。これに対して、口承(オーラルヒストリー)を通して、事業当初の理念や事業創設時の関係者の思いなどを後世に伝えて、組織文化にしていくものを筆者は「口承マニュアル」と名付けた。また、「口承マニュアル」は、組織文化を継承するだけでなく、文字により記述されたマニュアルである「足跡型のマニュアル」を補填する役割も果たしている。さらに、インタビューでは、職員同士が常日頃から「困ったら遠慮なく言ってください」「大丈夫?」と声を掛け合い、支え合い助け合う組織文化が継続してあることも確認できた。このように「口承マニュアル」は、一度築かれたポジティブな人間関係を促進する組織文化の継承にも役立っているのである。
 愛媛大学のケースを踏まえると、「大学改革」として新しい事業を興す実践と、事業を継続する実践の双方が不可分に関連しあっており、どちらの実践にも注目することが必要であるということがわかった。そして、後者に係った人や彼らの取組にスポットライトを当てていくことが、これからは重要であると筆者は考える。昨今、経営学の領域においても、文化人類学や社会学におけるエスノグラフィーを用いて、組織文化や日常的な行動様式を明らかにする試みが行われている。「大学改革」の実践者も、実践を積み重ねるだけでなく、エスノグラファ―として大学組織の実践知を明らかにしていくことがこれからは必要であろう。

 3.「羅生門」と「ケースメソッド」

 最後に「大学改革」の実践論の整理として二つのキーワードを述べたい。「羅生門」と「ケースメソッド」である。黒澤明監督の映画「羅生門」はご存じだろうか。芥川龍之介の小説「羅生門」の舞台背景を用いて、別小説「藪の中」のストーリーを組み合わせた海外でも非常に評価の高い作品である。この映画では、藪の中で起こった事件について、盗賊、武士、武士の妻それぞれの話者によって全く異なる現実が描き出されている。このコンセプトを参考に、人文・社会科学では、ある一つの事柄に対して異なって立ちのぼってくる現実を「羅生門的現実」と表現している。
 例えば、筆者は次のような経験をした。「大学改革」賛成派の学長が絶え間のない改革を強行に推進する中で、疲弊しきったある一人の職員が「大学改革」の実践者である筆者にこう訴えかけた。
 「改革が進む中で、誰が・いつ・なぜ始めたのかわからない村の言い伝えのような仕事がたくさん生まれました。いつの間にかそれらの仕事が必要な理由をだれもわからなくなってしまいました。思い切ってやめられそうなのですが、やめたらどんな悪影響を及ぼすかわからないから怖くてやめられません。だからやめたくてもやめられないのです」この問いかけに対して、あなたならばどのように答え、どのように組織の中でふるまっていくであろうか。
 「大学改革」の実践論が、組織内でこれまでスポットライトが当てられなかった人やその取り組みに目を向けることとは、大学組織の「羅生門的現実」に直面し、必要に応じて調整や問題解決する責任を負うことを意味する。「羅生門的現実」に立ち向かうためには、「ケースメソッド」によるトレーニングが有効であると考える。
 筆者が金沢大学において開発したケースメソッドFD・SDについては、紙幅の関係上、別稿での「大学改革」の実践論として紹介したい。
 
(参考文献)
 藤本夕衣・古川雄嗣・渡邉浩一(2017)『反「大学改革」論 若手からの問題提起』ナカニシヤ出版