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アルカディア学報

No.645

私立大学の内部質保証を問う
―全国高等教育研究所等協議会創立10周年記念シンポジウムの総括

有本章(兵庫大学高等教育研究センター)

全国高等教育研究所等協議会創立10周年記念シンポジウム「私立大学の内部質保証を問う」が兵庫大学高等教育研究センターとの共催で、2月5日、本学5号館401教室において学内外から聴衆70名の参集を得て盛会裏に開催された。冒頭に河野真学長の挨拶を頂戴した。シンポジアンは、協議会の理事4名、つまり協議会長である筆者、濱名篤氏(関西国際大学長)、山田礼子氏(同志社大学社会学研究科・学部長・教授)、山本眞一氏(桜美林大学大学院大学アドミニストレーション研究科教授)が担当した。
 長時間(3時間)行われたシンポには豊富な内容が盛り込まれたと思われるが、その全容を本稿に圧縮するのは至難である。以下では司会者という特権を生かしながら、予断と偏見を覚悟しつつ全体の論点に照準して報告させていただくことにする。
 第1は、私立大学の理念とは何かである。公益法人である私大セクターの追求する理念は、同じ法人でも国公立セクターとは異なって、設置者の「建学の精神」を標榜する点に特徴がある。兵庫大学ならば「和を以て貴しと為す」という理念が該当する。しかし同時に個々の大学は、世界共通の理念を追究する制度であることも否めない事実であり、特殊性よりも普遍性を追求する。本質的にはそれはギリシャ時代に淵源するパイデイア=人間教育であるし、「善さ」の追求であると考えられる。今日の大学ではそれを学事(アカデミック・ワーク)の根幹に据えて、研究による学問発展を求め、教育による学生の学修力涵養を求め、社会サービスによる社会貢献を求めることに主眼を置いているとみなされる。
 第2は、私大の内部質保証が2008年の「質的転換答申」(中教審)以来、国策として開始された点である。その中枢概念としては、教授モデル・学修モデル、3ポリ政策によるAP・CP・DP・DP・CP・AP、学部主義・学士課程教育の質保証、など各々のパラダイム転換が追求され、アセスメント・ポリシーによるDPとCPの整合性が重視され、自己点検評価から内部質保証の一層の強化が追求されることになった。
 私大の内部質保証の模索は、7年に1回行われる「機関別認証評価」の査定や評価によって吟味され、それに基づいて合否判定がなされるので、受審する大学はともすると受け身的かつ他律的になり易い。しかし本来の主旨はアクレディテーションの精神に則ることであるから、自主的・主体的かつ自律的であってしかるべきである。その点、シンポジアンの濱名氏や山田氏の大学における自律性を基調とした先端的な実践例が縷々紹介されたのは、各大学が同様の試みに取組む上で参考になったのではあるまいか。
 第3に、内部質保証は程なく中教審からさらなる深化へ向けてのゴー・サインが出されると予測される点である。前述の3ポリでは全国の大学が思わぬパラダイム転換に戸惑い、悪戦苦闘の最中にあることを考慮すると、現状を見直す観点からその組織化や体系化が日程に上るのは避けられないであろう。政策的には、教学マネジメントのPDCAサイクルを実施する方向が画策されると推察できよう。この点を予兆する論点に関しては、濱名氏は「教学マネジメントの指針策定の背景と今後の方向性」に詳しいし、筆者は「教学マネジメントのPDCAサイクル」でもって詳しく論じた。
 具体的には、前述の質的転換答申で提唱された、学内組織・ガバナンス、教育の到達目標の明示、内容・方法とその共有・分担、点検・評価、改善サイクル、の定着が問われているのである。私見では、当該側面をさらに深化させた段階、つまり教学組織、3ポリ、授業(教授―学修過程)、授業外学習、の4側面とPDCAをクロスさせて生じる16個の課題実現が問われる段階に遅かれ早かれ入るものと推察される。
 第4に、私大は、量的発展、質的転換の時代を経由して「淘汰の時代」に突入した点である。この点は山本氏と筆者がほぼ同じ時期区分をして論じた点でいみじくも符合した見解であった。1993年の大綱化政策以来、量的拡大の時代を迎え、大学は右肩上がりの発展を遂げた反面、2018年のグランドデザイン答申(中教審)以来暗転した。大学淘汰が政策的に正面切って予測され、2016年から2030年までに約200私大が淘汰されると予測されるに至ったのである。これは言ってみれば量産と縮小のマッチポンプ政策である。
 かくして、特に地方小規模私立大学の生き残りは名実ともに困難視される段階に入った以上、こうしたスケール・メリットの乏しい小規模大を中心とした私大は、いかにして内部質保証によって、大学の教育力を基軸とした研究力、サービス力の統合的実力、つまり「R―T―Sネクサス」を大学内外に鮮明に「見える化」するかが存亡の鍵となると言って過言ではあるまい。
 なお、シンポでは、最近は産業界や政界など大学の本質とは何かにほとんど無知な素人が、大学政策に公然と嘴を突っ込む傾向が増えた。その一方で、文科省は一連の不祥事が多発することも問題だが、是々非々の態度でかかる思い付きや安易な愚策に毅然と対応する姿勢が乏しいのではないか、と大方の議論になった。例えば、選択と集中政策によって特定の研究大学へ資源投資を行うあまり、科学立国が危機に瀕していること、「教育」大学が疲弊していること、文理の学問に目配りせず理系やSTEM偏重に加担する傾向があること、などが憂慮された。
 大学の本質を洞察せず、目先の利益を追求するステークホルダーの視点にのみ依存するだけでは、大学とりわけ私大の発展は危ういし、風前の灯と化す。地域社会の発展に貢献している私大、特に小規模大の淘汰は、地元志向の学生をはじめ地域社会へ与える打撃や後遺症が甚大である事実を各界やとりわけ行政は十分理解する必要がある。
 また大学側は、これら大学を知らない人々に情報を発信し理解を得ることが欠かせない。例えば、「大学格差」の下方大学への進学者に対して、所期の学力水準を達成して社会へ輩出するために、内部質保証の向上に真摯に努力している事実を世に問わなければならない。教員(職員)の教育力を発揮して学修力を十分高めて社会へ輩出している事実をもっと自信をもって説得しなければならない。換言するならば、大学人は、学生の学士力(短期大学士力)の質保証を鋭意行っている事実を内部質保証の実証的エビデンスでもって丁寧に発信し、説明努力を行う責務のあることを改めて自覚しなければならない。
 第5に、文科省は、量的拡大の時期には大学を監督しながらもむしろレッセフェール政策によって自由放任したが、2004年の国大法人化、2015年の改正学校教育法などの制度化以来、監督よりも統制に転じた点である。こうした変化の中で、大学は自由を享受した時点に、積み上げるべき自主性・主体性の習慣を棚上げしてきた結果、「学問の自由」と通底する自主性・主体性を回復することが今や手遅れになりつつあるのではないか。そうならば、質的保証による個性化を追求するよりも画一化や標準化と補助金カットがワンセット化を増す時代になった現在、遅ればせながら個性化を追求せざるを得ないわけである。
 最後に、第6に、今後の社会は「不確実性社会」の度合いが深刻さを増すために、冒頭で述べた大学の理念である「人間教育」に照準した人材養成が一段と重要性を増す点である。社会変動は、知識社会化、グローバル化、市場化、少子高齢化を強め、格差社会はそのコロラリーとしての大学格差を強める。今や第4次産業革命、SDGs、新冷戦時代、核開発競争、AI化、ロボット化、ゲノム編集社会などがますます複雑に展開する様相を呈している。人間が神になり、大多数の人間は奴隷化するという説も出現している。こうした不確実性社会が到来する時代には、900年の歴史が培ってきた大学の叡智を総動員して、内部質保証を柱に据えて、人間教育の発展に尽力する以外に大学、特に私大の生き残る方途はないに等しいであろう。
 以上、最初に述べた通り、予断と偏見によって論点整理を行った点が多分にあると思うが、有意義なシンポであったと同時に、協議会の過去10年間の時代よりも多難の時代が私大の行く手を阻んでいると痛感した。協議会を含め私大の更なる発展を祈念するとともに、シンポへ参加賜った各位にこの場を拝借して厚く御礼申し上げる次第である。