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アルカディア学報

No.625

教育の積み残しが日常化する現象の行方
―大学教育は「量」「質」共に成果の社会的有効性で合理的説明が必須となった!

田中 義郎(桜美林大学 常務理事・特命副学長)

先ずはリメディアル教育から始まるという現象    

 その前提には、我が国の大学が昨今一定の学力水準に達しなくても学位を与え卒業させてしまう事情がある。
さて、日本の会社では大卒新入社員の補習(リメディアル)教育に年間いくら使っているか。アメリカの会社は、書く力の補習(Writing Remediation)に年間30.1億ドル(概ね3300億円)を使っているという報告がカレッジボード(Report by National Commission On Writing)で数年前になされた。
現在はもっと増えているに違いない。書く力(特に、ノンフィクション)を向上する事が必須だ。書く力に関わる技能―議論と証拠の評価、解決策や情報源についての批判的かつ創造的な思考、重要なアイデアやプロセスのサポート、明瞭で喚起を促す魅力的な議論の形成に関するスキルは、雇用需要の高い21世紀スキルとしてよく例示される。しかし、高校卒業生の多くは、中等教育終了者の書く力として期待される職務遂行レベルの要求に十分に応えられていない。
この研究では、如何に総合的な書く力を高める事の解決策、書く力とその向上を測定する為の新しい尺度、より多くの協力や望ましいフィードバックを促す手段を見つけ出す。確かに、大学はもとより職場での成功は、効果的に書くスキルを通してアイデアを表現し有効な会話を成立させる能力に大きく依存する。
最近のNEAP(アメリカで一九六九年にスタートしたThe National Assessment of Educational Progress:全米学力調査では
教育政策の根拠となる教育指標として活用されている)における書く力の評価は、アメリカの生徒・学生の大多数が書く力で期待される水準に達していない事を明らかにしている。もちろん、これは平均においてで、極めて高い力を持っている生徒・学生から極めて低い生徒・学生がおり、人種、ジェンダー、社会経済的集団間でギャップが大きい事は言うまでもない。書く力の水準の低さはカレッジやキャリアのレディネスに否定的な影響を与える事になる。書く力の向上に影響する否定的な要因がいくつか特定できる。
既存の時間とワークロードの制約があり、生徒・学生は十分な練習やフィードバックを得る事ができていない。執筆課題の自動採点が可能になるまでは、教師に執筆課題の採点に関わる負荷がかかり、十分な量の執筆訓練がなされない。ほとんどの中学校と高校で、英語と社会の教師は、毎日90~150人の生徒を受け持ち、日常的に執筆課題に向き合っており阻害要因となる。高い水準の執筆課題には、執筆指導者の力量の課題もあり、向上の為の障害となる。いずれにせよ、書く力の向上で、意味のある、比較可能で、信頼性の高い、費用対効果の高い評価法を見つけ、向上に寄与する事が重要となる。

大学の学びはキャリア形成とどのように結びついているか

この問いは古くて新しい。しかし、大学で学んだ事がその後のキャリアで生きる事は、現代の大学のステークホルダーにとって重要な課題となっている事は自明の事となっている。高大接続が議論される中、中等教育での学びの成果は、高等教育の準備となり、高等教育の学びの成果は、その後のキャリアの準備となる。今や、高等教育に学ぶ事の準備は、幼児教育に始まり、高校教育終了まで続いている。いわゆるK-12の教育であり、K-12は、高等教育(Higher Education)に繋がる重要なPathway(意味のある道筋)となっている。そして、高等教育進学後、キャリア形成に関わる学びは終わる事なく生涯継続する。しかし、この道筋はそう容易くはない。移行期を通過する際には、適切な移行知識やスキル(Key Transition Knowledge and Skills)を獲得し、それらを有効に活用できるかが成功の鍵となる。

2018年5月8日付けのEducation Weekの記事は

アメリカのゲーツ財団とチャン・ザッカーバーグ・イニシアチブが協力して、本質的学校改革に取組む事を伝えている。「本質的な教育戦略を特定し、教室の中で反映できるように、新たな研究開発を起こす。新しい評価法、新しい教授法、新しいテクノロジーの開発に拍車をかけ、書く力、数学のスキル、そしてExecutive Function(実行機能)、いわゆる自己統制力や注意力などを向上させる事で、生徒・学生たちを支援する。」
この研究には、数多くの多様な実践事例が必要で、教育、脳科学、認知心理学、そして、テクノロジーが、人々が如何に学ぶかについての画期的なアイデアを多くの学校教育現場で共有できる事が重要である。しかし、そうした個別のアイデアや実践は、日常の多くの教育実践の現場にいる教師や生徒・学生たちに効果的な手法や道具として提供されていない現状がある。こうした研究の意味は、生徒や学生たちが、数学、リテラシー、その他の学習で学びにおいて困難に打ち勝つ事を可能とし、それを継続的に支える為の手段や教授方略の開発を広く知らせる事にある。

3つの領域―研究の過程で、前出の書く力を含めて

新しい開発やアイデアを見つけ出す努力に注力する事がこれまでの実証を経て提案されている。後の二つは、数学力、そして、Executive Function(実行機能)の向上である。
(1)数学力の向上:数学的理解、応用、それに関わる考え方を向上する
数学力を育む事は、推論を発展させ、分析的思考を高め、そして、日常生活を豊かにするのに有効である、と認識されている。
現在のアメリカでは、高校の卒業要件として期待される数学力の水準を設定している。同時に、高校卒業後に高等教育を目指す、特にSTEM(Science,Technology,Engineering,Mathematics)に関連する進学や職業を目指す場合、生徒・学生にとって機会を拡大するのに重要である。
近年、彼らの数学の力は、人種間の差は大きいものの、多くの生徒・学生は期待される水準以下である。高校時代を通じてその力は低下を続け、人生のかなり早い時期である高校時代に、高校の卒業は言うに及ばず、高等教育進学の障害となっている。
有効性の高い多くの努力が数学の教授法、その学習方略の向上の為に行われており、数学教育の水準を高め、カリキュラムデザインを向上させ、教師の授業力を高める事への対応や、必要のある生徒・学生への個別の学習介入などが行われ、実際、成果を上げている。今日の研究は、学習を司る認知的、メタ認知的、社会感情的特質を含んで、脳の働きに関わる知識が有効に活用されておらず、教師用指導書と教室での学習の流れが継ぎ目なく統合出来るようにデザインされていない事が分かっている。水準の向上では、ほとんどの生徒・学生が数学で期待される水準の到達する事を確実にし、高校はもとより、高等教育、さらにはその後のキャリアでもSTEM(自然を説明するルールとしての科学;実際に形にする力としてのテクノロジー;科学から役立つものを設計する工学;そして、数学は、ルールを説明する道具である)の力が求められる領域で成功を納められる事である。
(2)Executive Function(EF:実行機能)を測定し、向上させる
「学業や将来のキャリアでの生徒・学生の成功は、一度に複数のアイデアに取り組む能力、柔軟な考え方、行為や思考を調整する能力と深く関連している。「Executive Functionの発達の過程を追跡し、改善し、特にリスクの高い人にとっては、実際のメリットに繋げる為に多くの事が行われる。この研究では、これらのスキルや能力の発達の過程を追跡する技法の進歩、行動を望ましく改善する為の介入(インターベンション等、「学校内外での技法向上プログラム」を含む)、教師の為の支援などが挙げられる。子ども期の実行機能の高さは、将来における高い社会経済的地位、より望ましい身体的健康、ドラッグに関わる諸問題の発生率の低さ、大人になってからの犯罪率の低さ等を予測する上で重要である。一般に、Executive Functionとは、複雑な課題の遂行に際し、課題ルールの維持や切り替え(スイッチング)、情報の更新などを行う事で、思考や行動を制御する認知システム、あるいはそれら認知制御機能の総称である。
特に、新しい行動パタンの促進や、非慣習的な状況における行動の最適化に重要な役割を果たし、人間の目標志向的な行動を支えているとされる。
学ぶ力は才能ではなく、学びによって成長する(Harvard Business Review、2018.05.29)
今日、教育(幼稚園から大学院まで、そして更には生涯学習)はすべての若者たちの人生での成功をどれだけ支援できるか、が問われている。高校教育の目的は大学入学後の準備の為だけではない。高校は、高校教育の学びの性質を持ち、大学教育の予科ではなく、また、すべての卒業生が大学に進学する訳ではない。仮に、高校教育の目的が大学進学の為の準備だとしたら、すべての卒業生は大学に進学する準備を整えることができる事になる。
高等教育への期待が拡大している今日、大学生はアイデア、希望、活力の開花と高い相関を持つように育てられねばならない。主体的に築く大学生活とその先の未来の創造的な人生を全ての若者が享受できてこその次世代の大学である。
働き方改革が叫ばれているが、今から20年後、2038年に彼らはどのように働いているか?中高生の多くが、高等教育への進学を近未来の選択として考慮している事を想定すれば、高校教育は大学進学の為の準備を目的の本流に据えても何らおかしな事はないのである。
高校生の期待が大学教育を経て社会での成功にあるのならば、そうした教育をする事は、ステークホルダーのニーズに応える事になる。
今、求められるのは、彼らの発展過程での移行(Transit)知識やスキルの獲得を支援する新たなプラットフォームの構築を可能にする想像力ではないのか。