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アルカディア学報

No.608

米国高等教育の問題
―学問の自由をめぐる葛藤

研究員 羽田 貴史(東北大学高度教養教育・学生支援機構教授)

テニュアと学問の自由
 高等教育の理想像として米国の高等教育が扱われがちだが、近年出版された鈴木大裕『崩壊するアメリカの公教育―日本への警告』(2016年、岩波書店)、アキ・ロバーツ、竹内 洋『アメリカの大学の裏側 「世界最高水準」は危機にあるのか?』(2017年、朝日新聞出版)は、深刻な危機と問題に見舞われている実態を抉り出した快作である。日本の高等教育研究ではほとんど取り上げられていないが、日本にも起きうるものとして注視すべきことが沢山ある。そのひとつが、大学の本質を構成する学問の自由の問題である。
 今年1月、全米大学教員組合(AAUP:American Association of University Professors)は、「学問の自由に対する計画的攻撃」と題し、ミズーリ州とアイオワ州の州議会に、公立大学教員のテニュアを制限する法律が提案され、労働者の集団的契約の権利、公教育への予算削減などと結びついたものであると批判している。ホフスタッターとメッガーによる名著『学問の自由の歴史』(全2巻、1980年)が述べているように、テニュア制度は進化論への攻撃などに対応して大学教員の権利を守るアメリカ高等教育の柱であり、この二つの州に限らず、テニュアは全米的に縮小され、教員の身分の不安定をもたらしている。ウィスコンシン州の場合、ある調査では、州の教授の90%はテニュアが廃止されれば、大学を辞めると言明するなど緊張が高まっている(Tenure or Bust, Inside of Higher Education, Dec.17, 2015)。

スピーチの自由?
 今年3月、全米理事同窓生協会(ACTA:American Council of Trustees and Alumni)は、Campus Free Speech, Academic Freedom, and the Problem of the BDC Movementを公表した。その内容は、キャンパス内の講演に対するボイコット、剥奪、制裁(BDS)運動が、学問の自由に対する深刻な脅威になり、特に反イスラエル主義を支援するグループが問題であると表明している。同じ3月、ミドルベリー・カレッジでマレー教授の講義が、学生の抗議でつぶされた。こうした事例を見ると、過剰な学生の運動が学問の自由が侵されているかのように見えるかもしれない。しかし、マレーは知能遺伝決定論者として批判を浴びていた。そもそもACTAは、保守系団体として知られ、9.11後の愛国者法成立後、戦争政策に疑問を呈した学者117人のリストを反愛国者的言動として公表し、CIAにも情報提供を行った団体である。9.11後、イスラム系学者が入国拒否にあい、ブッシュ批判をした教員が愛国主義学生からネットで攻撃されるなど、かつての赤狩り状態が出現した(これについては、E.J.Carvalho & D.B.Dowing, 2010, Academic Freedom in the Post-9/11 Era, Palgrave MacMillan)。こうした問題にACTAは全く触れていない。ACTAレポートは学問の自由に対する擁護の主張だろうか? AAUPの学問の自由部門のリーダーのハンス―イェルク・タイデは、ACTAのレポートは、学問の自由に対するより大きな脅威をもたらすと批判している。

創造論運動と学問の自由法案
 実は、米国で学問の自由の主張に熱心な集団の一つは、科学の形態をとって神による世界の創造を説明しようとする創造科学、反進化論運動である。鵜浦 裕『進化論を拒む人々 現代カリフォルニアの創造論運動』(勁草書房、1998年)は、日本語で書かれた創造運動についての優れた成果である。創造科学を公立学校で教えることは、1987年の最高裁判決で否定されたが、大学においては、学問の自由という大義名分によって空洞化する危険性がある。サンフランシスコ州立大学ケニヨン事件では、ある生物学の教授が、創造科学の講義を始め、進化論否定と神の創造の主張を行い、学生から不満が出、デパートメントの執行部は授業を外すことにしたが、学問の自由侵害として扱われ、授業担当を戻さざるを得なかった。創造科学を信じる人々は様々な団体を作り、2004年からは、アラバマ州を皮切りに、学問の自由法案(Academic Freedom Bill)を策定する運動によって、創造科学を教える自由を求めている。創造主義が変化するウィルスなら、その最新の外観は「学問の自由」を守る法律であると言われる。共和党の政治家は、教育者たちが学生にインテリジェント・デザインを議論する「権利」を守ることで、進化論と異なったものを教えさせようとしている(States Push Academic Freedom Bills , Science , vol.320 , May.9 , 2008)。宗教運動は、アメリカの反知性主義の基盤であり(森本あんり『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』新潮社、2015年)、創造論は共和党保守派の綱領に組み込まれている。創造教育は、学問の自由として保護されるべき価値があるだろうか。

ホロコースト否定論は学問か?
 ドイツの場合、学問の自由はその内容を問わず無前提に保障されるものではない。ナチスがドイツ大学の自由を侵害したことに鑑み、基本法によって芸術、学問、研究及び教授の自由が定められているが、「教授の自由は、憲法に対する忠誠を免除するものではない」(第5条第3項)とされ、平和や人権など憲法的価値を否定する自由は認めない。なぜなら、大学に認められた特権的な自由を享受してナチス礼賛のブロバガンダが行われた歴史的事実があるからである。ドイツ刑法が「憲法秩序に反する団体組織のシンボルの使用」を禁止し、1950年代から見られるホロコースト否認やナチズムを容認する歴史修正主義に対して厳しい社会的批判が加えられた。人権を否定する言説は、学問の自由として許容されない。言い換えれば、学問の自由は、社会的責任を伴い、人権など普遍的な価値と権利との関係において捉えられ、絶対的自由として捉えられていないのである。

日本における学問の自由?
 学問の自由の名を借りたプロバガンダは、日本で存在しないのではない。日本でも南京大虐殺がなかったといった歴史事実を否定する言説が、社会的批判は浴びるものの、あとを絶たない。数々の人権抑圧と自由を規制し、基本的人権を否定した大日本帝国憲法体制から、国民主権と基本的人権を実現する日本国憲法体制に転換したにもかかわらず、戦前的価値を容認する主張が、憲法尊重・擁護義務を持つ人々から語られることも少なくない。歴史学の分野では、まともな学会誌に歴史修正主義的見解が掲載されることは見られないが、学会によっては、学問的真実の重要さを理解しないケースもある。
 その一例は、大学教育学会『大学教育学会誌』38巻第1号(2016年5月)に、教育勅語を礼賛する講演記録が掲載されたことである。同記録は招待講演の記録であり、学会員や学会の見解ではない。しかし、歴史的事実としても教育史研究の成果としても、教育勅語が学校教育を通じて天皇に奉仕する忠良な臣民育成の主要なツールであり、御真影や儀式、道徳教科を通じて国民教化のために機能したことは明らかであり、国会の議決をもって失効された。にもかかわらず、こうした事実を無視し、勅語の一部に市民道徳的記述があることをもって肯定的に評価する主張を教育学関係学会誌が掲載し、それへの問題指摘に対しても、多様な意見を認めるという理由で、理事会が何ら問題にしないということは驚くべきことである。
 この学会が一般教育学会を前身とし、一般教育を通じて市民の育成を目指したという歴史があればなおさらである。学問の自由とは何か、学術世界がいま直面している一大問題であり、それが崩壊する時は学術世界自身の欠点もあったことを歴史は証明している。