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アルカディア学報

No.597

「新たな高等教育機関」は「実践的な職業教育」を担えるか

稲永 由紀(筑波大学ビジネスサイエンス系(大学研究センター)講師))

 大学体系に位置づく「新たな高等教育機関」
 本年5月末に、文科省中教審から「個人の能力と可能性を開花させ、全員参加による課題解決社会を実現するための教育の多様化と質保証の在り方について(答申)」(以下、本答申)が示された。本答申は第1部と第2部に分かれており、高等教育関係者にとって関心が高いのは、第1部「社会・経済の変化に伴う人材需要に即応した質の高い専門職業人養成のための新たな高等教育機関の制度化について」であろう。
 本答申では、「新たな高等教育機関」は4年一貫の課程で、前期課程と後期課程の2段階編成とし、前期課程のみの設置も可能とすること、そして大学体系の中に位置づけ、学生が学位を取得できるようにすること、などが盛り込まれている。平成23年の中教審キャリア教育・職業教育特別部会答申以降、数年の棚上げ期間を経て官邸主導で再び議論の俎上にのり、本答申に至った形だ。本答申(審議まとめ)までの経緯と議論は既刊の論考に整理されているので参照いただきたいが(小林信一「大学教育の境界―新しい高等職業教育機関をめぐって―」、レファレンス785号、23―52頁)、小林氏の指摘通り、「新たな高等教育機関」の大学体系への位置づけは、専門学校からの転換のハードルを上げる一方で、大学・短大等からの転換が、自発的であれ政策的誘導であれ、促進される可能性を大きく持つといえよう。
 ただ、短期高等教育や諸外国の職業教育まで対象に含めながら高等教育研究を進めてきた筆者には、国としての職業教育設計の基礎に関わる議論を欠いたまま、現段階では、大学体系に位置づけるにふさわしい職業教育の外形だけが整備される、いわば、土台のないか細い大黒柱の一番上に鯱つきの立派な屋根が設計されたように見える。

大学教育と職業教育とで異なる編成原理
 「新たな高等教育機関」が本格的に「実践的な職業教育」を担うことを目指すならば、既存の大学が財政事情等を理由に看板を掛け替える程度の話ではすまなくなる。それは、大学教育と職業教育ではその編成原理が根本的に異なることに起因する。
 職業教育は、教育内容が(学問領域ではなく)実際の産業・職業現場で必要とされる職務遂行能力との関係で決まるところに、従来の大学教育との決定的な違いがある。従来の大学教育が専門を深めた「専門人」養成を目的とするのであれば、職業教育は専門を武器に実際の職業現場で活躍できる「職業人」の養成が目的であると言える。「職業人」養成における「実践」は、知識・技術の単なる運用や応用ではなく、実際の職業現場が持つ文脈の中で運用・応用できることを意味する。
 必然的に、教育内容の編成、教育方法、その評価に至るまで、職業教育のあらゆる過程に、少なくとも産業・職業の関係者が関与する形にならざるを得ない。業界の変化の激しさを考えれば、現在の大学評価の時間感覚では全く追いつかないし、必然的に機関評価よりも分野・領域別の評価が強くならざるを得ない。

教育現場が払う、制度未整備のコスト
 我が国の場合、まず、一部国家資格領域を除けば国としての職業教育体系が明確でなく、現段階ではその未整備を埋める努力自体、教育機関側が払う構造になっている。
 先行諸外国を見ると、職業教育は、①業界・職種で必要な職務遂行能力とそのレベルを、業界・職業団体、政府、労働団体などが関与して明示化し、②教育機関は明示化された職務遂行能力育成のためのプログラムを開発し、③政府(関係団体)の承認を得た上でそれを提供し、④定期的な監査による質保証が行われる、という過程を取る場合が多い。さらに①において、大抵は職業資格という形で示される獲得能力の、国際通用性や学位レベルとの対応性を示すために、国・地域的な学位・資格枠組(qualifications framework、以下QF)を参照する形でレベルが設定される。QF導入の動きは全世界的に進んでいるが、日本政府の関心は極めて低く、調査研究も吉本圭一九州大学主幹教授の下で実施されている程度に過ぎない(文科省「成長分野等における中核的専門人材の戦略的育成事業」グローバル領域)。
 ただし、同じ文科省事業の枠組のもとで、専門学校を中心に領域単位で①②の試行的取組が進められている。地道な取組から分かったのは、エントリーレベルやレベルの幅が領域毎に多様であることと同時に、教育機関主導での明示化には相当な労力が必要となることであろう。産業・職業の側に動因がない場合はことさらであり、先行諸外国ですら政府の資金投入が職業教育を支える現状がある。

教育現場が払う、職業的レリバンス確保のためのコスト
 編成原理の違いは、教育方法の見直しをも迫る。教育現場における企業等との連携がそう簡単でないことはすでに大学でも学習済だが、「新たな高等教育機関」が大学体系に位置づく「実践的な職業教育」故に、教員の学術卓越性と職業実務卓越性の両方をどう確保・維持するのかも大きな課題となる。
 筆者が以前、吉本氏らとともに短大・専門学校の教員に実施した科研費での調査によると、学術卓越性(大学院以上)と職業実務卓越性(5年以上の関連分野職業実務経験)の両方を満たす教員は、専門学校で7%、短大でも20%であった。職業教育を担う教員の場合、平行して実際の職業現場でも仕事をしない限り、専門知識・技能(「専門人」として)の陳腐化と現場感覚(「職業人」として)の陳腐化の2つの宿命を背負う。だが調査では、教員個人の努力とは別に、特に専門学校において、資質開発機会の確保は難しく、機関としての支援も十分でないことが明らかになっている。
 仮に教員集団の中に実務家教員を相当数入れたとしても、実務家教員が教育課程全般に責任を持つことは現実的には難しく、実務家教員の新たな雇用や教員資質維持・向上自体、大規模な財政投入や各種関係団体による支援でもない限り、相当なコストを必要とする。

教育現場のチャレンジが作る、職業教育の未来
 「新たな高等教育機関」で提供する「実践的な職業教育」が学位相当であるかどうか以前に、我が国には、職業教育自体の未整備問題と、最大のステークホルダーである産業・職業の、職業教育における不在問題が残されている。どうやって職業教育の基盤となる職務遂行能力の明示化という土台を整備し、職業教育体系という太い大黒柱を立て、かつ各学校種間、職業現場との間で緊密な連携をとることができる機能的な建屋にするのかが、制度・政策的には今後問われることになる。
 高等教育での職業教育振興そのものに反対の余地はなく、本答申での取組が産業・職業側への職業教育全般への関与の動因となる可能性はある。産業・職業との連携については専門学校「職業実践専門課程」の先行事例に学べることも多い。「新たな高等教育機関」が、職業志向の教育を提供しようとする大学・短大の単なる受け皿となり、学校種が1つ増えてより複雑になるだけなのか。それとも、より職業現場に直結した形で有為な人材を多く輩出することになるのか。その成否は、産業・職業現場と連携しながら数ある課題を乗り越える覚悟を決めた教育現場での真摯な取組にもまた、大きく左右されよう。