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アルカディア学報

No.578

各国の授業料と奨学金制度改革の動向(下)

客員研究員 小林雅之(東京大学大学総合教育研究センター教授)

 イギリスでは学資ローンの未返済が大きな問題となっている。この未返済の額は、大卒者の将来所得に大きく規定される。このため、大卒者の将来所得を予測し、未返済額と帳消し額を推計する。このローン総額に対する、利子補給と帳消しによる公財政負担率は当初30%程度と予測されていた。しかし、将来所得の予測が変わったことと、当初1.5万ポンドであった猶予する最高所得額(閾値)が2.1万ポンドに引き上げられたことなどから、40%、さらには48%との予測も出されている。つまり、ローンとは言え、半分は実質的には給付型になり、その費用は公的負担になると予想されているのである。
 3月9日の国際シンポジウムでは、イギリスの所得連動型ローンの提唱者であるロンドン大学スクール・オブ・エコノミクスのニコラス・バー教授がその長所と問題点を説明し、とりわけ低所得層の進学を促進しスキルを形成することによって生産性を高めることが社会にとって重要な課題だと強調した。2006年の授業料3倍値上げと給付奨学金の導入は正しい方向であり、低所得層の進学は拡大した。大学の収入も増加し、公財政負担は減少した。しかし、2012年改革では、授業料を3倍値上げすると同時に、大学の人文・社会科学教育に対する公的補助を廃止したことは誤りだと指摘した。また、ローンの最高猶予額(閾値)を2.1万ポンドに引き上げたことで、ローンの公的負担率が大幅に増加したことも問題だと指摘した。この点は日本の所得連動返済制度を検討する上でも大きな示唆に富むものであった。
 他方で、バー教授は、高等教育への進学を促進するためには、奨学金だけでなく、就学前教育への投資や初等中等教育段階での情報提供が有効であると指摘した。とくに、高校生に大学進学の価値を教えることが重要であるが、こうした施策が後退していることが問題だと強調した。
 アメリカについては、ペンシルヴェニア大学のローラ・パーナ教授が、先にふれたような授業料の高騰とローン負担は非常に大きな問題となっていること、とりわけ低所得層の高等教育の機会への影響が大きな問題であることを指摘した。ローンは低所得層にとって大学の学資にあてるためには不可欠である現実がある。授業料の高騰に対して、給付奨学金や教育減税など、きわめて多くの学生への経済的支援がなされているが、高騰する授業料に追いついていないため、ローンは不可欠であり、ローン総額は平均で2万ドルを超えている。ただし、近年は大学や政府が、給付奨学金や返済免除の増加などローン負担を軽減する努力を続けていることが紹介された。また、所得連動型ローンは連邦政府ローンの一部に導入されており、多くの論者が所得連動型への移行を提唱しているものの高利子でありながら利子補助がないため、利用者は少ない。こうした点について、教授も学生や家族への情報提供の重要性を指摘した。さらに具体的に大学での入学時と卒業時のカウンセリングやオバマ政権が積極的に取り組んでいるショッピングシートなどの例が紹介された。また、日本への示唆として、学生の経験や学習成果など、政策の効果を明らかにすることが重要だと指摘した。
 中国でも大学進学率の急上昇と授業料の高騰は大きな社会問題となり、2000年代前半まで大学収入に占める授業料収入の割合が増加する反面、公財政支出の割合は減少を続けた。学生への経済的支援も育英主義であり、優秀な学生に対する奨学金が主であった。しかし、順調な経済成長を背景に、2000年代後半からは公財政支出の割合も増加し、授業料減免や経済的困窮者に対する奨学金(中国では奨学金ではなく助学金と呼ぶ)や無利子ローンなど、様々な学生への経済的支援制度を導入している。2013年現在、給付奨学金は29%、助学金は27%、ローンは13%の受給率と給付奨学金の割合の方が高くなっている。とりわけ学生と親が借り手となる生源地(出生地)ローンが有効に機能していることが北京大学教育財政研究所の魏建国副所長から報告された。また、低所得層に対する支援はなお不十分であり、学生への情報提供がきわめて重要であることが学生に対する調査の結果から示された。このような問題は、情報ギャップといわれ、中国だけでなく、先に見たように、アメリカやイギリスでも大きな問題となっている。アメリカやイギリスでは、学生への経済的支援が給付型奨学金で返済不要であるにも拘わらず、適格者が応募しないという調査結果もある。
 最後に九州大学の芝田政之理事から、わが国の学生支援制度の概要の説明に続き、わが国の高等教育の費用は家計によって担われてきたが、経済成長の鈍化と所得格差が拡大している現状では、貸与奨学金の需要が高まっているが、現在の返済方式では、未返済がとりわけ返済が遅れるほど増加する傾向にあり、未返済額が増加し900億円以上にのぼっていることが示された。このため、イギリスと対比して給付型奨学金と所得連動型返済を早急に導入すべきであるという提唱がなされた。
 これらの報告に対して、国立教育政策研究所の濱中義隆総括研究官は、各国に比較するとわが国の奨学金の貸与率は高くないこと、戦後の公財政事情から給付奨学金ではなく貸与奨学金を選択したこと、私立大学に大幅に依存した高等教育の拡大が行われたこと、少数の国立大学の低授業料政策をとったこと、などの特徴を指摘した。
 しかし、こうした傾向は1984年の有利子奨学金の導入とその大幅な拡大、国立大学の授業料値上げにより、高い資質・能力を持つ者に対する育英的な奨学金制度ではなく、かといって経済的な必要性による奨学制度でもなく、高等教育の機会均等への寄与や中所得層の教育費負担の軽減といった目的に対して、中途半端なものとなっているとコメントした。さらに、所得連動型については、イギリスは授業料の後払い制度と一体になっているのに対して、アメリカではローン負担の軽減策であり、日本の場合にはアメリカ型に近いのではないか、また、所得連動型はローン回避には効果があるが、低所得層に対する機会均等には寄与するかという問題が提起された。
 このように報告者の共通の意見として、教育費の公的負担、教育費負担の軽減策として所得連動型ローンなどの改革の必要性と情報ギャップに対応することの重要性が指摘された。
 わが国の状況について、高等教育改革とりわけ学生支援制度改革は、2012年度の所得連動型返還方式など、一部には進展が見られたものの、スキームとしては、完全な所得連動型となっていないなど、大きな改革は進んでいないし、証拠に基づく論争や政策決定に乏しい。
 日本の学生への経済的支援制度を検討するためには、内容だけでなく、こうした改革の進め方についても、英米中の経験から得るところは大きい。
 特に導入が予定されている所得連動型返還制度についても英米の経験を失敗を含めて検討し、わが国の実情に合った制度を設計することが求められているのである。
 (おわり)