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アルカディア学報

No.518

学修成果重視の狙いは何か  

主幹  瀧澤 博三(帝京科学大学顧問)

 中教審における学士課程教育の改善に関する一連の審議・答申を通じて、認証評価制度の在り方にはいくつもの新しい課題が投げかけられている。ようやく7年の第1サイクルを終えたばかりの認証評価機関にとっては重い課題が多いように思われるが、特に評価の適切性を維持するために早急な検討が求められている課題としては「教学マネジメントの確立」と「学修成果重視の評価」とを挙げなければならないだろう。この二つの課題は、答申等の中では、それぞれ別の政策目標を持った提言として扱われているが、答申等の中心的テーマである「知識の獲得から知識の活用能力へ」あるいは「21世紀型市民に求められる基礎的・汎用的能力の育成」という理念(いろいろな表現が使われているが、これらを「新しい教養」と呼んでおく)に基づいた「学士課程における教養教育の改革」という一つの政策目標に結び付いているものと考えられる。このように「新しい教養」を目標とした「教養教育の改革」という視点から答申等の筋書きを見直した場合に浮かんでくる問題について、思いつくところを述べてみたい。

「学修成果重視」の含意
 平成20年の学士課程答申の中で「学修成果重視」という場合、そこに含まれている視点は単純でないように思われる。その一つの視点は、文字どおり、インプットやプロセスではなく、学修の結果として学生が身に付ける成果を重視するということである。しかし、「学修成果重視」にはもう一つ重要な意味が含まれているように思う。答申では「学修成果重視」について「国際的には、学生が習得すべき学修成果を明確にすることにより、"何を教えるか"よりも"何ができるようになるか"に力点が置かれている。」と述べている。学修成果重視の理由として、それが国際的な流れであるからとしているわけだが、同時にそのような流れが生まれる背景として、「知識基盤社会や学習社会において、学問の基本的な知識を獲得するだけでなく、知識の活用能力や創造性、生涯を通じて学び続ける基礎的な能力を培うことが重視されつつある。」ことを挙げている。
 つまり、「学修成果重視」の含意は単に「インプットやプロセスより成果を」ということだけではなく、第二の視点として、学修成果の中味について「単なる知識の獲得から知識の活用能力、汎用的能力の育成へ」という問題提起をしているのである。この点について、答申では続けて、「各大学において、学生の学修成果の目標を掲げるに当たっては、21世紀型市民としての自立した行動ができるような、幅の広さや深さを持つものとして設定することが重要である。」と説明している。ここで読み取れるように、「学修成果の重視」は、単に「プロセスから成果へ」だけではなく、むしろ「新しい教養の重視」という意図を含めており、そのような内容を持った学修成果を教育目標として設定するよう求めているものと考えられる。

学修成果と教養教育
 自立的な市民としての能力や素養の育成は、大学における教養教育(一般教育)の問題として大学審議会や中教審でも既に幾度となく論議され答申もされてきたことだが、伝統的に専門教育への志向性が強く、かつ縦割り的なわが国の学部・学科体制の中で、教養教育の安定的な位置づけを得ることはむずかしく、議論はいまだに収斂できない状況である。学士課程答申では、この市民的な教養あるいは汎用的な能力の育成という課題に、教養教育の問題として正面から取り組むことなく、学習成果という視点から教学マネジメントの一つの課題としてだけ言及している。その結果として、学士課程教育における市民的素養、汎用的能力の育成という課題は、教養教育の在り方として、カリキュラム編成、教授方法、教員組織、教学運営などの具体的な論議に及ぶことなく、教育目標の明確化、ディプロマ・ポリシーなどの策定、学修成果の測定方法の開発など教学マネジメントの問題の中に溶け込まされてしまっている。
 「学修成果の重視」というフレーズの提起している本当の意味は「プロセスから成果へ」だけではなく、また、しばしば強調されているように「ティーチングからラーニングへ」あるいは「教員中心から学生中心へ」という視点の転換だけでもなく、「学士課程における教養教育の改革」にあると理解すべきではないだろうか。大学設置基準では、教育課程の編成について、「専門の学芸を教授するとともに、幅広く深い教養及び総合的な判断力を培い、豊かな人間性を涵養する」ように配慮することを求めている。市民的素養や汎用的能力の育成という課題は、このような設置基準上の要請であるとともに、課題探究能力(平成10年大学審議会)、社会人基礎力(平成18年経済産業省)、若年者就業基礎能力(平成18年厚生労働省)の提言などに見られるように、国際的動向とも符合した社会からの強い要請でもある。戦後たびたび燃え上っては不完全燃焼に終わっている教養教育改革の問題に何らかの方向性を得るべく努力すべきときなのではないだろうか。

教学マネジメントによる教養教育改革は可能か
 このような「新しい教養教育」に対する社会の要請の高まりに対し、答申は、これを教養教育改革の問題とせず、個別大学の教学マネジメントの課題と考えて、「新しい教養」を盛り込んだ「期待される学修成果」を定め、これを教育目標としてPDCAのマネジメント・サイクルを機能させることによって、教養教育の改革を実現するという筋書きを考えているように見える。しかし、このような個別大学の判断と創意によって教養教育改革が進展すると期待するには、現状では新しい教養教育の在り方についての大学関係者の共通理解、共通意識が余りにも未成熟なのではないだろうか。新しい教養の理念、内容・方法、実施体制など大学の中での議論の積み重ねがどのぐらいあるだろうか。修士課程の専門教育化による学士課程教育への影響、大学の新しい教養教育と初中教育との接続問題など学士課程と隣接する教育との関係にも種々の問題が残されている。また、専門による縦割り型の学部・学科体制が、横断的な教養教育の改革にとって致命的な阻害要因になっていることが、大学のガバナンスの問題として指摘されてきたが、これに関連して提言されている「学位プログラム化」という問題については、大学の中でどの程度議論と理解が進んでいるのかも疑問である。
 大学の自主的な教学マネジメントの力で教養教育改革が進展することを期待するためには、「学士力」にとどまらず、教学マネジメントを支援するインフラとして、審議会、学会、協議会その他大学団体等の協働により、更に何らかの公的な方向性、枠組みを提示する必要があろう。学士課程答申は、「個性・特色にもとづく多様性と国際的通用性等の観点からの教育の標準性の要請との調和」ということを主題としている。教育目標として学修成果を定めることはまさに大学の自主性の根幹であるが、同時に全体的整合性と標準性が保たれた分かりよく信頼性のある大学教育の姿を整えることは、大学社会全体の責任であると思う。