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アルカディア学報

No.508

オープンエデュケーションの新たな潮流

客員研究員  飯吉 透(京都大学高等教育研究開発推進センター教授)

既存の高等教育システムへ急速な導入が進むMOOC
 昨年末、設立以来百年近い歴史を持ったアメリカの大学や高等教育関連機関の連合組織であるAmerican Council on Education(米国教育協議会:ACE)は、同協議会の大学単位推薦サービス(College Credit Recommendation Service)を通じて、Courseraを通して提供されるMOOC(Massive Open Online Courses)の講義の受講修了書を、同サービスを利用している約2000の大学が各大学の正式な単位として受け入れられるような仕組みを提供する、という発表を行い、米国内外の高等教育メディアは、このニュースを高い関心と共に報じた。Courseraの講義の受講による単位認定を希望する学生に対し、同サービスは有料(但し安価)の学習評価を行い(現時点では、本人確認を伴ったオンライン上での学習評価が検討されている)、十分な成績を修められれば単位を付与する。
 MOOCは、「現代社会で役に立つ人材を、高等教育は育てているのか」という既存の大学が突きつけられてきた問いに答え得るようなアカウンタビリティー(説明責任)にも真摯に向かい合っており、例えばUdacityでは、MOOCの受講生の学習・成績評価などのデータを通して、個々人が有する知識や技能、またそれらの社会的通用性・適性などを明示することによって、就職・転職・昇進・雇用などの支援サービスに繋げようという試みも始まっている。
 アメリカ国内では、各大学や大学機構のレベルで、既にMOOCの積極的な導入が進められている。例えば、Chronicle of Higher Educationによれば、財政難に直面しているカリフォルニア州では、現職の州知事自らがMOOCプロバイダーの代表に、「我々は、あなたたちの助けが必要だ」という電子メールを送り、先鞭として、カリフォルニア州立大学サンノゼ校で、MOOCを通じて他の大学の教員によって教えられた講義でも同校の単位として認めるという試みを始めようとしている。同校の学生は、通常は授業料として一講義あたり450~750ドルを納めなければならないが、MOOCを利用した場合には、これが150ドル程度で済むようになるという。ジョージア州立大学や他の州立大学でも、似たような取り組みが始まろうとしているし、ウィスコンシン州では、20以上の高等教育機関で18万人以上の学生を擁する州立大学機構が、MOOCの導入を進めようとしている。このような動きは米国以外にも広がりつつあり、例えば英国では、FuturelearnというMOOCプロバイダーが設立され、オープンユニバーシティーを含む十数校の大学が今年からMOOCに参入する体制を整えつつある。

 『メタ・ユニバーシティ』と『クラウド・カレッジ』の実現に向けて
 このようなMOOCを先端事例とするオープンエデュケーションは、世界の高等教育をどこへ向かわせようとしているのだろうか。全米工学アカデミー会長のチャールズ・ベスト氏は、2006年にEDUCAUSE Re view誌に寄稿した論考の中で、オープンエデュケーションの普及によって可能となる「グローバルな教育的資産や教育的基盤の共有」によって築かれる高等教育の新たな枠組みを、「メタ・ユニバーシティ」という概念を通して提唱した。MIT学長在任中の2001年に、オープンコースウェアプロジェクトの立ち上げを主導した同氏は、この「メタ・ユニバーシティ」によって世界中の大学が、「大学間の協同によるコスト効率の良い優れた教材の開発と共同利用」や「質の高い教育や学術情報の伝播と促進」などを図ることが可能になる、と述べている。
 また私は、拙共著書「ウェブで学ぶ」(2010、筑摩書房)の中で、大学が一般的に提供する様々な教育的な機能、役割や資産がネットワークの中に分散的に存在し、それらのサービスを必要に応じて学生が「いつでも、どこでも、いろいろなテクノロジーやメディアを介して」利用できる、いわば「高等教育2・0」とも呼べるようなバーチャルな教育システムとしての「クラウド・カレッジ」という構想を提起した。「クラウド・カレッジ」では、世界中の様々な教育的組織(既存の大学も含む)や人々が集まり、それぞれがウェブ上で提供できるものを持ち寄ることで成り立ち、さらに人々が互いに教え学び合う中で、「教育に関する様々な知見や情報」がグローバルに集積される。
 MOOCの台頭によって、オープンエデュケーションを基盤とする「21世紀の新たな高等教育システム」の構築はさらに進められ、私たちは「メタ・ユニバーシティ」や「クラウド・カレッジ」の実現に、さらに一歩近づいたと言えるだろう。

 『選択と決断』の岐路に立つ日本の大学
 各国の大学が、世界に門戸を開くことで、グローバルな高等教育のコミュニティーにおける「プレーヤー」としての協調と競争を始めている。山積する世界の諸問題の解決に学生や教員が協働しながら貢献できるような教育・研究プログラムを開発し、提供する高等教育機関の数も増えつつある。学生・教員・卒業生のグローバルなネットワークを育てることが、その大学のみならず、将来的な繁栄のためのより大きな国益に繋がるという認識が重要だが、これらの観点から、真に国際化されている日本の大学は、まだ非常に少ない。単に留学生や外国人教員の増加を図るだけでは不十分であり、各大学は、教育・研究両面における活動や成果が、どれだけ国際的に貢献しているかを明確な指標と共に示す必要もあるだろう。
 Udacityの共同創設者で、元スターンフォード教授のセバスチャン・スランは、米メディアによるインタビューの中で、「50年後には、高等教育機関は10にまで減るだろう」と語っている。大胆すぎる発言にも聞こえるが、オープンエデュケーションやMOOCを巡って今現実に起こっていることを考えると、もしこれが予測ではなくビジョンなのだとしたら、荒唐無稽とは言えない。「50年後には、高等教育機関は10にまで減らせる」可能性はあるが、そうすべきかどうかは、私たちの判断に委ねられているのかもしれない。また、大学などの高等教育機関の増減の如何に関わらず、米国内では、教員の例えばフルタイムでテニュア付きの大学教員ポストは減少の一途を辿っており、米国の高等教育界では、「向こう10~20年の間に、その数が半減することもあり得る」という見方も少なくない。そのような中で、教育の質を高めることを疎かにすれば、大学も教員も生き残ることは難しいのは明白だ。
 このように高等教育の制度や仕組みが世界的に大きな変動期を迎えている中で、日本の大学は、これまで教育鎖国における「地場産業」として安穏とやり過ごしてきたことによる「ツケ」の返済のために、場当たり的な「自転車操業」に追われているように見える。オープンエデュケーションやMOOCを高等教育の進化の指標として見ても、今の日本が海外の先達に追いつくことは全く簡単ではない。高等教育の質を向上させるべく、必要とされる教育支援体制を整備し増強するための更なる努力を続けなければならないのは言うまでもないが、我が国の大学や高等教育が、自らを世界の中に位置付け然るべきビジョンを持っていないことほど危惧すべきことはない。よりグローバルなオープン化が進む高等教育に参入し、そこで積極的に学び、そこに新たな価値を持った還元ができなければ、我が国の大学は勿論のこと、国家としての再興を図ることは難しい。
 日本の学生・教員・大学は、オープンエデュケーションやMOOCに、今後積極的に参入していくのか。もしそうしないのだとすれば、それは日本の高等教育の未来にとって何を意味するのか、我々は「選択と決断」の岐路に立たされている。