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アルカディア学報

No.506

理解されない中教審答申

研究員  小林 雅之(東京大学大学総合教育研究センター教授)

 中央教育審議会「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~」答申(2012年8月28日)をめぐって幾つかのレスポンスが登場している。新聞などだけではなく、本アルカディア学報誌上でも何人かの論者が既に取り上げている。これらの論点の幾つかには筆者も肯定するところもあるが、答申の趣旨がなかなか理解されていないというのが率直な印象である。それには理由がある。
 教育改革には大道具と小道具がある。答申でいえば、小道具は、アクティブ・ラーニング、ナンバリング、課程外学修時間などで、これらは具体的で極めて分かりやすい。他方、こうした小道具を束ねる大道具は、なかなか分かりにくい。筆者への新聞社からの取材に際しても、大道具についてかなり詳しく説明してもなかなか理解が得られなかったように思う。
 先月、広島大学高等教育研究開発センターで研究員集会が開催され、当時の中教審事務局の合田哲雄室長や委員の金子元久筑波大学教授の講演があった。しかし、質疑応答で見る限り、なお大道具の理解には届いていないという印象を持った。
 こうした大道具への理解がなかなか得られないというのは、中教審事務局だけでなく、委員や研究者の責任でもある。筆者は専門委員として答申の審議に参加した。当事者としての責任もあると考え、ここに私の考える大道具について説明したい。ただし、以下は、あくまで筆者の考える中教審答申の大道具であり、文部科学省やその他の委員などの考えではないことをお断りしておく。むしろ、筆者の捉え方が誤っているとしたら、そこから活発な論戦が起こることを期待したい。
 私の考える答申の大道具はいくつかあるが、ここでは紙幅の関係上「全学的な教学マネジメント」のみ取り上げる。これは学部中心の教育課程を、全学的に構築し直すということであり、ひいては、教員中心ではなく学生中心の教育課程に再編成するということである。具体的には、この考え方は「学士課程教育のプログラム化」として2005年の中教審「我が国高等教育の将来像」答申で既に取り上げられていた。しかし、この考え方が、それから7年経った今でも十分に浸透しているとは思えない。これは「大道具」というような大きな改革には見えないかもしれない。しかし、プログラム化は従来学部や学科単位で編成されていた教育課程を学生中心の教育課程編成にすることで、学科はもとより学部を超えた全学レベルの教育課程編成(=プログラム化)を行うことで、将来的には教員組織の再編も視野に入れたものであり、極めて大きな改革なのである。とりわけ国立大学では、これまで学部・学科中心に、さらにいえば、個々の教員によって科目が設定されていた。これを学生の学修の立場から、科目編成しようとするものであり、単位制の本来の意味を真っ当することでもある。このため学習ポートフォリオなどの小道具が重要な役割を果たすと想定されているのである。
 「はじめに個々の授業科目があるのではなく、まず学位授与の方針の下に学生の能力を育成するプログラムがあり、それぞれの授業科目がそれを支えるという構造にならなければ、個々の教員が授業の改善を図っても、学生全体が明確な目標の下で学修時間をかけて主体的に学ぶことは望めないのである。」(答申18頁)
 答申は、こうしたプログラム化の考え方がまだ日本の大学では未定着であるとして、長期的にその方向性へと舵を切ることを想定している。是非強調しておきたいことは、こうした全学的な教学マネジメントにしても、他の大道具小道具にしても、答申は示唆しているだけであり、それをどう生かすかは個々の大学に委ねられているということである。答申が提示しているものはほとんど例示に過ぎず、大学自ら主体的に選択しあるいは状況に応じて工夫していくことが必要なのであり、そのまま機械的に適用するのはかえって弊害を生む可能性が高い。学生だけでなく、大学も主体的であることが求められているのである。
 答申の副題「主体的に考える力を育成する」もそのような意味で捉える必要がある。「ただ授業時数を増加させたり、教員・科目間の連携や調整なく事前の課題を過大に課したりすることは、学修意欲を低下させることはあっても、学士課程教育の質的転換に資することにはならない。」(答申16頁)ただ単に宿題(アサインメント)を多く出したり、小試験やレポートを課すだけではとうてい「主体的な学習」にはなりえない。馬を水のところに連れて行くことはできても、水を飲ませることは難しい。答申は大学に極めて難しい課題を問うているとも言えよう。なお、これがアメリカの大学のやり方だと思われている方もあるかもしれないが、TAという小道具が有効に機能してこそ、このシステム全体も機能するのであり、それなしには、ただ学生だけでなく教員の負担を増やすだけで、改革が進展するはずもない。
 さらに、筆者の考えでは、この全学教学マネジメントはさらに残された大道具、すなわち大学のガバナンスと財務基盤の強化の検討を経てはじめて有意義であると思われる。この大道具を支えるのは、インスティチューショナル・リサーチ(IR)やエンロールマネジメント、質保証などの小道具である。こうした小道具を束ね生かしていくのは、なにより大道具の議論が必要である。このためには、8月28日の答申のとりまとめの大学分科会でも発言したことであるが、専門的なワーキンググループの創設や大学教育部会と大学分科会の審議内容の切り分けなど審議方式に工夫も必要だと考える。