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アルカディア学報

No.503

主体的学修を促す教授法の展開と教学マネジメント
アクティブ・ラーニングの課題

研究員  井下 理(慶應義塾大学総合政策学部教授)


 平成24年8月に出た『新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて』と題する答申の副題は「生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」である。諮問から答申までの四年間に、日本は東日本大震災、福島原発事故を経験した。一人ひとりが「主体的に考える」ことの重要性が一層切迫して認識されている。予測困難な時代であるからこそ「生涯学び続け、主体的に考える力」が必要である。主体性の確立は大学教育だけで完成できるものではなく、初等中等教育を含め人間発達の長いスパンの中で捉えなければならない。
学修時間の確保・増加で質の保証が可能か
 大学の授業実践を通じて主体性を育成する。その方策として答申では学修時間に着目している。指標として着目した「時間」と言う軸。そこに「増加」という方向性と価値を与えた。それを『始点』であり「手段」と位置づけているが、測定指標として時間軸を採用する根拠は単位制に基づく大学制度にある。しかし、「確保」はともかく、そこに具体的な方向性を与えて「増加」を掲げる根拠は、単純な国際比較の結果による。他の国に比べて「少ない」から「増やす」のだという。量の確保で質を確保できると予想する。量を増やせば質が上がるという前提はどこから来るのか。時間に着目して現状改善を企図するなら「増加」がいつの間にか到達目標に置き換わる。学修時間を増やすことで主体性の育成も達成できるという前提が成立するかのようだ。「学習」を含めた「学修時間」の中には、課外活動や野外・学外での実習や海外研修も含めるのか。もし、そうなら時間的な増量はすぐに達成できる。時間的な「増量」だけで、より質の高い学士課程教育が可能となるとは思えない。人間的成長を視野に入れた主体性の確立には、正課だけではなく、課外活動など総合的な学修の態勢が必須である。授業の予習・復習に追われて、友人や先輩・後輩との自由で主体的な語らいも充分に持てないままに、教室内外での学習・学修に学生たちを縛り付けても、大学教育の質的向上へ向かう好循環が駆動するとは思えない。
 学生の勉学時間の増量を促進したいのであれば、それを可能とする条件を整備することが先である。学生の経済的資源、時間的資源の確保なしに学修時間の投入量の増大を求めるならば、奨学金制度の一層の充実や学内での時間労働の雇用機会の拡大が必要である。さらに三年次から始まる就職活動に関して大学側が、雇用者側の産業界にどう課題を突き付け、連携して問題発見・解決への糸口を探るための提言をするのか。就活時間の短縮など学生の負担軽減がなければ、学生を追い込むだけだ。質の転換どころか形式上のつじつま合わせを強要すれば大学教育の質は劣化する危険すらある。
アクティブ・ラーニングへの期待
 教育の質的転換のための一つの方策は、教育方法の変革例としてのアクティブ・ラーニングである。答申の用語集によれば「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称」とされている。そしてその狙いや効果として「学修者が能動的に学修することによって、(中略)汎用的能力の育成を図る」としている。具体的には「発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習などが含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等によっても取り入れられる」と説明されている。学内や通常の教室内の授業においても一部の体験学習は可能であり、主体性の育成に効果を発揮する。それには教員から学生への働きかけとそれに対応して、学生が状況に関与してくる度合を徐々に高める相互形成的な指導が持続的に展開されることが必要である。
 この原稿執筆中に秋学期の担当科目の受講生からメールが来た。その日は、希望者に自分の研究関心テーマの推移を口頭発表してもらった。「授業のはじめに発表していたTさんに(他の受講生から)たくさんの質問やコメントが投げかけられていたのが印象的だった。履修者の発表することや質問することに対する壁が授業を通じて低くなってきていることが感じられる。それはグループワーク中に授業内で仲良くなったり、絶えず先生が質問や感想を促していたためだと思う。この授業内だけにとどまらず、多くの機会でこの質問することや発表することを主体的にできるようになっていきたい。個人テーマの発表もそれぞれに個性が出ていておもしろかった。その人がテーマを抱くきっかけになったバックグラウンドや教育に対する考え方を聞くことで教育に関する様々な価値観に触れることができ、自分の視野を広げることができたと思う」(教育評価・開発論2012年11月14日の授業での2年生の感想)。学生の自発性や学習意欲の向上には、多様な働きかけがいる。そこでは、動機づけのための周到な準備と注意深い観察と学生への働きかけについての多角的な反省による絶えざる改善が要となる。
アクティブ・ラーニング導入で生じる課題
 第一の課題は、表面的な活動に陥ることなく、学生の中に教育的観点からのプラスの経験を蓄積させることである。授業中の質疑応答や討議も、教員に指示されるまま形式だけが整っても効果は薄い。その意義や目的、学生にとっての意味を理解しないまま、活動性だけが高まることがある。教員の眼には、学生たちが積極的に学んでいるかのように映り、学生自身も短期的には充実感、満足感を得ることもある。個々の授業での活動の外形的・表面的な状態や学習者の主観的満足だけでは学修の質が危うい。他の授業科目との関連性や順序性もあいまいな多種多様な活動のるつぼの中では、行動的であっても思考力が訓練されるとは限らない。活動的な授業の連鎖から何を学修しうるのか。学習内容の意義や位置づけなどの明確化が必須である。
 第二の課題は、アクティブ・ラーニングの展開には大量の資源確保が必須であるという点である。学生だけでなく、教員そして大学にも求められる「資源」は、時間、空間、活動にかかる費用といった経済的資源の確保である。①学外でのアクティブ・ラーニングでは大量の時間を必要とする。現地への往復、事前準備、事後の点検・評価・改善などに費やす時間の多さは教室内の比ではない。②学内でのアクティブ・ラーニングの展開には、双方向型の集団学習機能を支える新しい学習空間整備に加えて、従来の講義型教室は固定式の机と椅子から稼動式に変更し、教室形態はその日の授業に応じて随時変更が容易な設備へと改修が必要となる。デジタルネットワークのインフラ整備、マルチメディア教材提示設備さらに図書館設備の改築、新館開設などの多面的な学習環境整備が期待される。③そうした施設設備の充実には財政基盤の確立が大学に必要となる。一方、学生には、校外や海外でのフィールドワークや語学研修への参加のためには時間に加えて費用面での経済負担が急増する。
教学マネジメントにとっての課題
 課題の第一は、大学における研究活動と教育(学習)との統合・連携である。教育実践が研究と分離したまま表層的な活発さを示すだけでは、質的劣化すらありうる。学問研究の場である大学で実現可能な教育ができず右往左往するだけである。卒業後の各種の研修や特定スキル学習の機会はいくらでもある。大学教育の基盤は、研究における専門性に裏付けられたものであることだ。職業生活に必要な能力開発は、優れた研修機関や専門職大学院に期待して、学士課程教育のありうべき姿は、研究活動との関連での教育内容と方法がプログラム化され実行されることである。大学における研究活動と連携統合されてこそ大学教育の質が保証される。
 第二の課題は、学外での教育実践にかかる膨大な授業準備の労力と時間をどう確保するかというマネジメントの問題である。実社会に触れる体験を学生にとって実り多いプログラムとするには周到な準備と学習状況の創出のための教職協働が必須となる。現地との事前・事後の打ち合わせや学内外の関係者の連絡調整量が急増し、従来の態勢ではカバーしきれない面がある。そこに適切な教学マネジメントの展開力が求められる。それが大学内部に留保されていないと外部委託という方策に頼ることになり、質保証に課題が生じる。
 第三は、学内での調整とシステム作りである。アクティブ・ラーニングを継続的に複数の科目で展開するには、時間と空間の枠を柔軟にして対処する必要に迫られる。これまでになかった教育実践を実行するには、複数の授業担当者の間での企画調整や設計が不可欠だ。学事日程上の調整と統合やカリキュラム編成、履修条件の整備など、整合性を高める学内意思統一への努力が質の高い教育を可能とする。
 今後、各大学が、今回の答申に関してどのような主体性を発揮するかに期待したい。