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アルカディア学報

No.447

学校法人会計基準の課題理念を維持し制度の改善を

研究員  両角 亜希子(東京大学大学院教育学研究科専任講師)


学校法人の在り方②

 学校法人会計基準は私学への経常費補助金制度の創設に際して、補助を受ける学校法人の公共性を高め、適切な会計処理が行われるために昭和46年に制定され、その後の私学財政の健全性の向上に大きく貢献してきた。一方で、この制度に対する批判も長年行われてきたが、抜本的な改正には至っていない。何が問題でどうすればよいのか、改めて考えてみたい。
「基本金」制度の意義
 私立大学という公共性の高い組織が安定的、継続的に教育研究活動を行うために独自の仕組みとして生み出されたのが「基本金」制度である。教育研究活動に不可欠な施設・設備などの重要資産を健全に維持し、長期的に収支バランスを図るために、必要な金額を「基本金組入れ」として計画的に先に差し引いた消費収入を消費支出に充てるという「消費収支均衡」の考え方が特徴的である。この基本金制度が私立大学の財務会計の最大の特徴であると同時に、わかりにくいとされる最大の要因でもある。基本金は、単なる「カネ」でもなければ、校舎や施設等の「モノ」でもなく、企業会計の「資本金」とも異なる。一般企業の「資本金」が株主の出資によるもので、いわば株主の財産権であるのに対して、学校法人の「基本金」は学校を設立する際に教育という高邁な理想に賛同した寄付者から受け入れた寄付金で構成され、その後の学校の事業活動によって留保した収入を組み入れることで、学校の財産的な基礎を裏付けている。このように寄付者に財産権が生じず、株式のように売却して出資金を取り戻すことができないことにより、基本金は、財政的な基盤を確保し、学校を安定的かつ永続的に経営するための仕組みとなっている。
 この会計制度が創設され、私立大学の経営は大きく健全化してきた。同時に開始された経常費補助金の効果だけでなく、経営者に消費収支を均衡させ、自己資金で資産を取得するように意識させ、財政的自立性の高い組織に転換するうえで基本金はきわめて重要な役割を果たしてきた。18歳人口の減少により経営危機が長らく叫ばれている割に、私立大学がつぶれないこともこの制度と無関係ではない。筆者もそうだが、この制度の意義は私学関係者から高く評価されているといってよいだろう。
何が問題なのか
 基本金制度が経営の健全化に果たした役割は大きいものの、現在の制度に対しては長い間、多くの批判がなされてきた。それには大きく二つある。
 第一は、財務三表は基本的には補助金目的の会計基準に基づく計算書類であり、学費負担者等の社会一般の人から見て、学校法人特有の基本金概念の意義や内容が理解しづらい点だ。
 第二は、資本取引についての考え方が不明確であることだ。企業会計では資本と利益が区分され、その収入源泉も区分されているが、学校法人では経常的な運営のための支出と資本的な支出(固定資産など)にあてる収入が明確に区分されていない。理事会の恣意的な判断で、取引実態がないのに、先行的に基本金組入れを行い、消費収支差額が左右することは理解しづらいとしばしば批判される。端的にいえば、授業料収入のどの部分を資産形成にあて、どの部分を消費活動に充てるかは、理事会の判断に任されている。このことが会計上のテクニックの問題だけでなく、社会的にも大きな課題となりうる。
諸外国でも共通の課題
 学生から授業料を徴収し、かつ一定の基本財産を持って長期的な安定をはかることは、各国の私立大学にとって一つの姿であるが、このことは、経常的な活動経費と資本形成をどのような論理で両立させていくのかという共通の課題を生じさせているようだ。
 例えばアメリカの一部の私立大学では潤沢な基本財産(endowment)をもち、この運用収入の一部を経常的な活動費用にあてている。基本財産のうち、何%を経常的活動にあてるか(ペイアウト・ルール)を理事会のもとで明確に設定するなど、「世代間公平」という観点に配慮をしているが、「潤沢な基金があるのであれば、もっと授業料を下げるべき」という議論はなされている。
 また韓国でも6月初旬に起きた「授業料の半分値下げ」を訴える学生デモから端を発して取り上げられるようになっている。韓国では授業料負担がきわめて大きいにもかかわらず、昨年の大学新卒者の就職率は51.9%とひどい就職難であること、大卒社会人の大学教育満足度が低い調査結果などが紹介されるなど、大学に対する批判的な報道が続いている。朝鮮日報(日本語版)の記事、例えば「韓国の大学、学生納付金を別の用途に流用も(6/7)」「韓国の大学による資金の使い道(6/10)」では、①学生が支払った高額の学生納付金をその年の学生の教育に使用せずに一部残しておいたり、他の用途に使用したりしている大学があることや、②とくに建物の新築費用や土地取得などの資本的支出に多く充てられており、07年度の資本的支出の割合は17.4%でOECD平均の2倍近い水準で高すぎると批判され、③学納金還元率の低い大学は実名をあげて批判されている。こうした記事の中には明らかな不正の事例もあるが、きちんと経営している私立大学に対しても、授業料収入を教育研究活動の基盤である建物などの資産にあてることへの不満、とくに将来の学科増など、規模拡大のための費用を負担させられることへの強い抵抗感が見受けられる。自主性と公共性を担保する日本の学校法人制度と韓国の私立大学の理事会制度は異なっており、どの程度この議論が日本の私学にあてはまるかについて意見はあるだろうが、隣の国の問題と片付けられないと感じたのは筆者だけだろうか。
政府と大学は何をすべきか
 では、日本の私立大学制度はどのような解決策を見出せばよいのか。残念ながら、筆者はまだ明確な回答を持ち合わせていない。少なくとも、現在の財務構造を前提とするのであれば、下記の点が重要であると思われる。
 現在の会計基準のあり方については文部科学省内においても継続的に検討されているが(会議は非公開)、基本金の基本理念を維持することを大前提としたうえで、資本取引の不明確性やわかりにくさ等の問題点について制度を改善していくことは不可欠であろう。
 また、各大学は、授業料、寄付金などについて、どの部分をその年度の教育研究活動という消費活動にあて、どの部分を将来の資産形成にあてるのかをわかりやすく示し、ステークホルダーの理解を得る努力をしなければならない。義務としてというより、自らの活動を円滑に進め、社会からの理解と支持を得るために情報を開示することが必要になっている。「大学の数は多すぎるのではないか」、「質の低い大学はいらない」といった意見をもつ一般社会の人が多いのであれば、単に、財務情報を丁寧に説明するだけでなく、大学全体、個々の大学が社会にどのように貢献しているのかも含めて説明し、社会からの信頼と期待を得ていくことも不可欠なのではないだろうか。