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アルカディア学報

No.434

全英学生調査をめぐる議論
教育機能改善のためのIRの視点から

研究員 沖 清豪(早稲田大学文学学術院教授)


 高等教育機関における教育機能改善や経営機能改善にとって、IR(インスティテューショナル・リサーチ)の重要性は着実に認識されてきているようである。特に教育機能の改善や質保証を進めていくにあたって、実際に提供されている教育を学生自身がどのように受け止め、自分自身の成長をどのように意識しているのか、そして当該大学に対して満足しているのかを確認するために、多様な学生調査が世界中で実施されている。特にデータに基づいて改革を進めていくIRにとって、学生調査のデータは必要不可欠なものである。
 学生調査を実施する場合、自らの実践を確認し改善していくために個別機関単体で調査を実施する事例が一般的である。しかし、米国をはじめとして全国的な学生調査が実施され、その調査に参加した大学が自らの機関の学生について、特質や課題を比較検討する事例も少なくない。日本でも同志社大学高等教育・学生研究センターによって実施されているJCSS等では、調査に参加する大学が大学間比較を通じて改善策を検討することが想定されている。
 こうした全国版学生調査の新たな動向として、近年、英国全体で実施されているNSS(全英学生調査)が注目される。2005年に開始されたNSSは、現在までに6回実施され、その集計データは高等教育財務審議会(HEFCE)のウェブサイトで提供されている。そしてNSSは、中教審でも再三言及されてきた英国高等教育における質保証枠組の一部として位置づけられているのである。
 また個別機関・コースの調査結果が、UNISTATSと呼ばれる高等教育進学希望者への情報提供を行うサイトで比較検討のために活用され、リーグテーブル作成に寄与している点も無視できない。
 本稿ではNSSの結果概要と、この調査をめぐる現在までの英国内の議論について紹介する。
NSSの概要
 NSSはHEFCE主導の下、民間調査機関のIpsos MORIがオンライン調査の形で実施している。質問票は現在、必須となる22項目と保健省管轄のコース在籍者用の6項目、および学習経験に関する肯定面・否定面の自由記述欄から構成されている。また参加する大学のオプションとしてキャリアや学習への動機付けなどといった12領域39項目からなる追加質問も用意されている。必須の28項目については学部・学科レベルまでデータが公表されている。
 調査対象は、NSSに参加している高等教育機関の全学生および継続教育機関で提供されている高等教育プログラムの参加者である。フルタイム学生もパートタイム学生もその卒業年度に調査対象者となり、英国全体の大学が参加可能となっている。実際にほとんどの大学がNSSに参加しており、回答率は大学によって違いがあるものの、全体では6割強である。
 必須の22項目は、教員の授業技能を尋ねる「自分の所属コースの教育」(4問)、評価の公平性や評価結果のフィードバックに関する「評価とフィードバック」(5問)、教職員による「学術的な支援」(3問)、「組織と運営」(3問)、図書館等に関する「学習のリソース」(3問)、自己肯定感やコミュニケーション技能といった「個人的発達」(3問)の6領域および総合的満足度(22問)から構成されており、それぞれ5段階評価で回答する形が取られている。
 過去4年間の領域別平均値を見ると、総合的な満足度や「自分の所属コースの教育」、「学習のリソース」といった正課授業に直接関係する項目では8割以上が肯定的に回答している。その一方で「評価とフィードバック」については肯定的な評価が6割ほどと低くなっており、成績評価にあたり、事前に評価指標が提供されているかどうか、あるいは評価にあたっての試験や論文に対するフィードバックが迅速かつ適切に行われているかどうかについて、不満と感じている学生が相当数いることが示されている。
調査をめぐる議論
 こうした1980年代後半以降の英国に見られた大学評価文化の徹底とも見なしうるNSSに対しては、特に大学関係者からの批判が少なくない。
 従来から学生調査の重要性を強く主張し、満足度調査の開発を行ってきたリー・ハーベイは、2008年に、NSSに対して「絶望的に不適切な改善手段」であると強く批判し、HEFCEによる資金援助を受けている高等教育アカデミー研究・評価部責任者の職を解かれている。
 またブライトン大学の人文学系に属する教員集団は、自らのコースに対する高評価を批判的に捉えている。具体的には、カリキュラムの内容や学生と教職員の親密な関係構築などがNSSでは調査対象となっておらず、NSSが「ネオリベラル的な大衆主義」の徒花であると批判している。これに対して同大学の学生自治会の副代表は、調査票の不完全さに同意しつつも、学生側からのフィードバックの一つとしてNSSの結果を丁寧に読み取り、議論することが豊かな成果につながるのではないかとの意見を表明している。
 こうした議論の背景には、一方で調査項目が少なく調査として十分とはいえないにもかかわらず、調査結果が大学選択のための直接的な指標として扱われていることに対する大学関係者側の不信感があり、他方でこれまで個々の大学で学生の要望を適切に捉え切れていなかった状況の下で、学生側のNSSに対する期待が高いという、古くて新しい問題が存在している。総じて多くの大学の学生自治会はNSS参加に積極的であり、従来とは異なる方法で教育の質保証への参加を目指しているようである。
学生調査のハイブリッド化?
 多様な批判を浴びつつも、現在、2011年度版NSSが実施されており、またサイト上では大学選択のための情報の一つとして活用され続けている。1980年代から進行している英国高等教育システムへの市場原理の導入、説明責任の徹底に基づく質保証という流れは現段階でも継続しているようである。
 このようにNSSが現実に存在している中で、NSSを当該大学のIRの一部に組み込んでいる事例がある。エセックス大学では大学独自の学生満足度調査(SSS)を入学年度と2年目に実施し、さらに3年次学生が回答するNSSにも参加し、これらのデータをIRに活用している。個別大学独自の学生調査と全国的学生調査の結果をつきあわせることで、当該大学の特質・課題を一層明確に把握することが目指されているのである。この事例では学内の学生調査をPDCAサイクルの一部として捉え、教育機能改善を進めて、その結果の検証としてNSSを利用する。NSS単体ではIRに活かせなくとも、改革サイクルの中の一部として捉えることによって、有効活用しようと試みているのである。
 学生を大学共同体の構成員として捉えた場合、教員サイドに特化したデータや経営に関する基礎的な情報だけでなく、学生側の意見を適切に集約し、改善に活用していくことは、すべての大学にとって重要な課題である。NSSのみではそうした活用には限界がありそうだが、当該大学独自の学生調査や意見収集システムの一部として、全国的な調査を組み込み、IRに活用していくことは、日本における大学教育改善の一つの具体的な仕組みとして検討する価値があるのではないだろうか。