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アルカディア学報

No.428

エビデンスに基づく政策・実践
質を高め活用能力の向上を

惣脇 宏(大学入試センター理事)


 「エビデンスに基づく政策・実践」が英米を中心に各国に広まっている。「エビデンスに基づく」という考え方は、1990年代前半に医療の分野で導入され、同後半から、医療政策や教育・社会福祉・刑事司法などの分野の政策・実践に応用されるようになったものである。
 教育関係の国際プロジェクトとして、OECD教育研究革新センターでは、2004年から「エビデンスに基づく教育政策研究プロジェクト」を実施した。この背景には、第1に教育や知識の重要性の高まり、第2に教育費支出のためのアカウンタビリティの必要、第3に教育研究の質や有効性に対する保証の必要があげられている。
 わが国では昨年、OECD報告書『教育とエビデンス』の邦訳が国立教育政策研究所を中心とするグループの訳で出版された。同研究所は、本年9月10日にOECDプロジェクトの関係者を招いて、教育改革国際シンポジウム「教育研究におけるエビデンスとは―国際的動向と先行分野からの知見―」を開催した。
 筆者はこのシンポジウムでコメンテーターを務めたこともあり、この機会に議論の一部を紹介したい。
研究エビデンス
 「エビデンスに基づく政策と実践」とは、政策の立案過程や現場の実践活動において意思決定をする際に、「最新かつ最良の根拠を、良心的かつ明確に利用すること」を意味する。複数の選択肢から意思決定をする場合に根拠となるのは、各選択肢の効果の有無やその程度である。エビデンスとは科学的根拠であり、通常、政策や実践による介入の効果や因果関係についての実証的研究によって得られる。
 このようなエビデンスには強さのレベルがあり、ランダム割付による比較試験(RCT)及び複数のRCTの結果を統計的に統合(メタアナリシス)したものが最も強く、ランダム化されていない比較や計量分析は弱いエビデンスとされ、専門家の意見などは最も弱いエビデンスか、またはエビデンスではないとされる。
 この考え方は、教育・社会福祉・刑事司法の分野でエビデンスを利用可能な形で提供する国際プロジェクトであるキャンベル共同計画によって採用されており、RCTによる研究結果をメタアナリシスしたデータベースが構築されている。また、米国の「落ちこぼれを作らないための初等中等教育法(NCLB法)」には、連邦補助金の支出対象のプログラムはscientifically-based researchによるものとするといった規定があり、教育省の教育科学研究所は、RCTおよびこれに準ずるデザインによる研究結果を統合して提供する情報センターのWhat Works Clearinghouse(WWC)を開設している。
 しかしながら、教育に限ったことではないが、RCTの実施が困難あるいは不適当な場合があるため、エビデンスを幅広く捉える考え方も有力である。ロンドン大学教育研究所のEPPIセンターでは、RCTのみならず種々の量的研究や質的研究の成果もエビデンスとして扱うとともに、量的研究と質的研究のエビデンスの統合も行っており、EUや英国の政府機関などから各種のレビューを受託している。
政策立案者・実践者にとってのエビデンス
 政策や実践においては、エビデンスだけでなく、実現可能性やコスト、公平性や文化的適切性など、様々な考慮がなされて意思決定がなされる場合や、十分なエビデンスが得られない場合がある。このため、「エビデンスに基づく(evidence-based)」よりも、「エビデンス情報を提供された(evidence- informed)」という表現が望ましいとされる。
 また、研究によって得られるエビデンス以外に、統計調査や学力調査などの結果や、学校評価の結果、また、専門家や関係者との協議によって得られる意見などもエビデンスとして扱われることが多い。研究はこれらの開発や改善に活用される場合もある。
 研究エビデンスについても、因果関係等に関する量的エビデンスが政策・実践上の意思の「決定支援」のために用いられるとともに、幅広い量的・質的エビデンスが政策・実践上の課題の把握などに資する「理解支援」のために用いられる。
今後の方向
 このようなエビデンスや研究の活用によって、政策立案や実践活動の改善が期待される。そのためには、研究と政策・実践の双方ともに質を高めるとともに、相互によりよい関係を構築していく必要がある。研究と政策・実践は異なるコミュニティであるとしても、政策・実践に関連する分野の研究者には政策・実践マインドが、政策立案者・実践者には研究マインドが求められるであろう。
 ①研究の質と研究費:研究課題や研究方法について、研究コミュニティ全体におけるバランスが必要であるが、量的・質的研究とも、質の向上と研究課題の現実の問題への適合性が求められる。特に教育研究には、RCTなど因果関係に係る量的研究が極めて乏しいため、充実する必要がある。このため、研究費の配分や研究評価の改善とともに、教育政策研究分野の委託研究の抜本的拡充など研究費の充実が望まれる。
 ②大規模調査や追跡調査:従来の統計調査の改善とともに、テーマに応じた大規模調査や追跡調査の実施と、そのデータが広く利用可能とされることが必要である。特に学力調査や追跡調査については、技術基盤を含め開発が望まれる。
 ③仲介機関の役割:エビデンスを「つくる」研究と、「つかう」政策立案者・実践者の間を「つたえる」ことが重要である。国際的なキャンベル共同計画、米国のWWCや英国のEPPIセンターなどを参考に、仲介機関の役割を検討する必要がある。
 ④エビデンスに基づく組織の意思決定:政策レベルと実践レベルだけでなく、中間レベル(meso-level)の組織の意思決定においてもエビデンスに基づくことが必要であり、エビデンスの産出から活用までのモデルの開発なども求められるであろう。大学評価やインスティテューショナル・リサーチの活用もその一環となろう。
 ⑤活用能力の向上:エビデンスを活用して意思決定する能力については、学校・大学、職能団体・研究団体、行政機関のそれぞれにおいてレベルを向上させる必要がある。個人のリテラシーやスキルだけでなく、組織内の文化やシステム、構造も発展させる必要がある。このため、様々な局面での客観的データの活用や、学力調査や教育統計調査の継続的実施などが求められる。教員研修をはじめ、関係機関の職員研修には、大学院のコースが開発されることも必要であろう。また、教育政策・実践の関係者である児童・生徒・学生や保護者、住民や国民に、エビデンスが政策や実践に役立つことの理解が広まることも重要である。