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アルカディア学報

No.406

公開研究会報告 学士課程教育改革の課題 学科長調査を踏まえて

串本 剛(東北大学高等教育開発推進センター講師)

 2008年12月に公表された中央教育審議会答申「学士課程教育の構築に向けて」(以下、「学士課程答申」)は、1990年代から続く日本の大学改革にまたひとつ新たな主題を追加、あるいは通底してあったそれを顕在化させたに過ぎないという見方もできるが、他方で社会に対する大学の見え方を―どちらかといえば一般社会の価値観を反映させながら―変えることを志向する点で、これまでの改革とは一線を画するものであると言うこともできる。教育の目標を設定し、それに応じたプログラムを設計・実施した後、当初の意図が学生の内に実現したかを評価するという一連の工程は、これまでの大学においても暗黙裡に行われてきた(とされる)ことだが、その全容を可視化することは容易ではない。過日開催された私学高等教育研究所の第44回公開研究会が、160名余りの参加者を得たのは、可視化の程度の必要性と可能性が模索されている表れとも取れる。
 公開研究会「学士課程教育改革の現状と課題」は、私学高等教育研究所のプロジェクトのひとつである「私学学士課程教育における“学士力”育成のためのプログラムと評価」の中間報告を兼ねて、2010年4月19日に私学会館で行われたものである。以下では、報告者の一人である筆者が、当日行われた三つの講演内容を紹介した上で、関連する調査・研究の方向性について、若干の私見を述べたい。
 青山学院大学の杉谷祐美子准教授による最初の講演(「学士課程教育はどのような歴史的展開を経て生まれたのか」)は、学士課程教育の理念ならびに実践の普及に貢献してきた大学教育学会の活動を中心に振り返りながら、その議論を整理することを課題として行われた。具体的には、①1980年代から使用されてきた訳語、②大学4年一貫教育という理念、③課程(プログラム)としての構造化、④近年における学士課程教育の再検討、⑤「学士課程答申」、の諸点が取り上げられ、議論の背景や変遷が提示された。その中で、学士課程教育の概念が学部教育の改革理念として、米国の大学を参考に大学教育学会から誕生し、政策面への影響を及ぼしてきたこと、並びに単に4年一貫教育というだけではなく、そこで身につけるべき共通能力の明確化と、それを可能にする課程(プログラム)の構造化が検討されてきたことが確認された。ただし、概念に対する共通理解は依然未確立であり、そのため関連する改革の実行もこれからの課題であるということも同時に示唆された。
 続いて筆者は、「学士課程教育の改革はどこまで進んでいるのか」という題目の下、プロジェクトの一環として行われた質問紙調査※について、一:学士課程教育の改革実態はどうなっているのか、二:近年の改革動向はどの様に捉えられているのか、というふたつの問に答える形で、調査結果の概要を報告した。一に関連して全体集計の結果からは、①学科における教育・学習目標の明示率は約9割にとどまる、②教育プログラムの設計面では、カリキュラム・マップの整備が遅れている、③教育プログラムの実施(教育方法)においては、特に試験の返却が不十分である、④学習成果の把握・評価に関して、成績分布や多元的評価の実施に関する申し合わせなど、成績評価の厳格化に進展が見られる、等の点を指摘した。また学科属性との関連では、プログラムの実施において差異が明確であり、看護系学科や所属学生の学力が高い学科、あるいは学部数の少ない大学の学科で、取組が進んでいる傾向が見られた。第二の問いについては、改革動向への賛否は総じて判然としないが、看護系学科において標準テストや認証評価への賛意が高い傾向にあることや、学士課程教育のイメージとして半数以上の回答者が当てはまるとしたのは、教養教育と専門教育の有機的連携と専門分野毎に要求される最低限の学習成果がある、という二点のみであることを述べた。
 そして最後に、関西国際大学の濱名 篤理事長・学長の講演では、「学士課程教育のこれからの課題は何か」ということが、様々な視点から調査データを根拠に論じられ、結論として次の二点が強調された。一つは、改革の「自律性」の適正値をどのあたりに設定するかということである。改革の進捗状況を尋ねる問いに対し、教育プログラムの目標設定や実施・評価における学外識者の参画を「必要なし」とする回答が一定数見られた事実をどう判断するか、という問題提起であった。もう一つは、大学教育の多様化と普遍化の両立に関する課題である。調査データからも大学教育の機能や方向性の多様化が実証されているとはいえ、学士課程教育としての普遍的側面(質保証の仕組み)を担保することも求められているという難題が指摘された。これらに加え、各種GPの採択回数と改革状況の関連分析の結果からは、改革事項により有意差の出方に違いはあるものの(採択の有無が利く場合もあれば、採択回数がものを言うこともある)、GPの採択経験と改革進捗度の相関は高いこととが示された。報告者自身からも注説があった通り、GPが改革の誘因になっているのか、あるいは改革が進んでいるところほどGP採択が多いのか、因果関係の向きを断定することはできないが、興味深い知見であるといえる。
 3人が提示した論点は多岐に渡るが、等しく認められた最も基本的な問題となれば、結局「学士」とは何かという共通認識の欠如という所に行き着かざるを得ない。学士のイメージが鮮明でなければ、教育プログラムの内容や学習成果の把握・評価方法の妥当性を主張しようがないからである。確かに「学士課程答申」の中では学士力という一案が示されているし、現下進行中の日本学術会議での検討を通して、専門分野ごとに何らかの目安がまとめられることも期待できる。だがそれらの試みによって、大学における実際の教育・学習過程を直接的に方向付けることが難しいことは、その抽象性・汎用性を考慮すれば明白である。大学を超えた取り組みとして、個別課程の通用性を説明する枠組みが追求されるのと同時に、個別課程の構築そのものに対しては、指針となりうる学士像、つまり教育・学習目標の設定手続きとその内容を明らかにするという調査・研究が不可欠であることが、公開研究会を通して改めて確認された。
 ※調査概要:名称は「学士課程教育の改革状況と現状認識に関する調査」で、2009年9月から12月にかけて、全国2000の学科長を対象に実施された(有効回答数905、回収率45.3%)。調査対象とした学科の専門分野は人文科学、社会科学、理学、工学、看護学の5分野。調査項目は、①学科の現状、②教育・学習目標の設定、③教育プログラムの設計、④教育プログラムの実施、⑤学習成果の把握・評価、⑥取組状況への認識、⑦改革動向に対する意見、⑧学科の概要、という8領域から構成されている。