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アルカディア学報

No.403

厳しさ増す「公私協力方式大学」 重要な理事会の決断―下―

研究員 船戸高樹(桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授)

 大学マーケティング研究の第一人者である米国・サンタクララ大学のカレン・フォックス博士は「危機に直面した大学が再生するための方策は、三つしかない」という。第一は、劇的な変革に取り組む「イノベーション」。第二は、規模を縮小して均衡を図る「ダウンサイジング」。第三は、他大学による吸収・合併の「M&A」であり、この三つができない場合は、閉鎖に追い込まれる可能性が高いとしている。
 米国では過去30年間に500を超える大学が閉鎖されている。年平均16~17校になるわけで、大学閉鎖は米国ではそれほど珍しいことではない。もっとも、新設される大学数は閉鎖大学数を上回っており、全体の大学数は年々増加し続けている。つまり、自由競争下での「適者生存」の論理が働いているわけである。
 閉鎖された大学の多くに共通しているのは「地方、小規模、宗教系」である。わが国の公私協力方式大学に当てはめれば「地方、小規模、単科大」とでもいえよう。厳しい環境にさらされている公私協力方式大学の取り組みにスポットを当てて見る。
 〈イノベーション〉
 普天間基地の移転先問題でゆれる沖縄県名護市。名桜大学のキャンパスは、名護市の中心部から車で10分ほどの、海を見下ろす高台にある。同大学は、この4月私立大学から公立大学法人に移行するという劇的な変革を実現した。
 同大学の設立は、94年4月。沖縄県と名護市をはじめ沖縄北部12市町村が約66億円の創設費を出し合って設立、運営は学校法人・名護総合学園が行うという公私協力方式の一つである「公設民営型」大学だ。当初、学生確保は順調だったが、18歳人口の減少と景気の低迷が暗い影を落とすようになる。新学部(人間健康学部)の増設や既設学部の学群への移行など大学改革に取り組んできたが事態は好転しない。近年は、収容定員ベースで定員割れを起こすようになってきた。
 最大のネックは学費である。沖縄県の県民一人当たり所得は全国最低、東京の半分以下だ。全国平均から見れば、同大学の学費は低く抑えられていても、県民の負担は大きい。
 公立大学法人への移行は、この問題を一挙に解消する。初年度納入金を比較すると、国際学群で10万円以上、人間健康学部では40~50万円も学費負担が減少する。地方独立行政法人法に基づいた申請が受理され、県知事の認可が下りたのは3月に入ってから。学生募集の点ではやや遅い決定であったが、それでも「申請中」の効果は絶大であった。今年の志願者は全体で1238人。昨年の469人の約2.6倍という飛躍的な伸びを見せた。
 公立大学化というイノベーションの成功例として注目されている。
 〈ダウンサイジング〉
 皇學館大學は、この4月から三重県名張市にある名張キャンパス(社会福祉学部)を閉鎖、伊勢市にある本キャンパスに一本化した。合わせて、社会福祉学部の募集を停止するとともに、現代日本文化学部に改組した。
 同大学が、地元の要請に応えて名張に進出したのは98年。県から22億円、地元名張市から7億円と土地の提供を受けている公私協力方式大学の典型である。開設当初は約5倍の志願者を集めていたが長くは続かない。3年目から志願者の減少が始まり、打開策として定員減等を行ってきたが、それでも定員割れをする状況となってきた。
 法人は、毎年3億円近い赤字を計上している名張キャンパスが収支上重荷になってきたことと学生確保の展望が開けないことから、昨年2月の理事会で閉鎖を決定した。これには当然地元からの反発が起きた。「大きな負担をしているのに勝手に閉鎖するのは約束違反だ」といった声が議会からも上がる。大学側は、議会の全員協議会に出席、収支状況など資料を提示して理解を求めた。その上で、大学誘致のために名張市が発行した市債の残高6.6億円を和解金として返還すること。さらに提供を受けた土地を市に返還し、数億円に上ると見られる建物の撤去費用も大学が負担することで了解を得た。
 一方、学内的な問題も多い。最も重要なのは、学生への対応だ。説明会を開き、大学の現状と閉鎖に至った経過、今後の取り組みについて説明する。原則として閉鎖・移転によって不利益を被るケースは、全て大学側が負担することにした。
 また、教職員(専任教員32名、専任職員15名)については、全員の雇用を継続して伊勢キャンパスに移ることとし、通勤の関係で退職を余儀なくされる場合は、退職金の上乗せで合意している。
 「支援してくれた県や市に対しては大変申し訳ないが、学生や地域の方たちへの影響を最小限に食い止めるためには、体力のある今しかない」と大学側は語っている。
 〈募集停止―閉鎖〉
 三重中京大学は、この4月から併設の短大とともに学生募集を停止、在学生の卒業を待って閉鎖することとなった。同大学が、地元の要請を受け三重県松阪市に「松阪大学」として設立されたのは、82年。県と市から合わせて10億円以上の支援を受けてスタートした公私協力方式大学の先駆けである。18歳人口急増期には全国から志願者が集まり、一時は2000人を超える学生を抱えていたが、90年代に入ると志願者の減少が始まる。05年には校名を現在の「三重中京大」に変更したが、歯止めがかからず近年は定員割れの状況が続いていた。
 このため、数年前から教職員の給与やボーナスのカットなどを実施してきたが、理事会は、「学生確保の見通しが立たず、赤字体質からの脱却は不可能」として、閉鎖することを決めたものである。このタイミングは財政上の問題が大きい。閉鎖決定と同時に補助金は交付されない。しかも、収入は卒業生分だけ減ることになり、年々減少する。また、閉鎖までの経常費、退職金等も必要となる。さらには、閉鎖後も卒業生への証明書発行のために学籍管理は継続しなければならない。つまり、ひと口に閉鎖といっても多額の費用を必要とする。「多少の蓄えがある今の時点を逃しては取り返しのつかないことになる」というのがその理由だ。
 ここで紹介した三つの大学に共通しているのは、理事会の決断である。進むであれ、退くであれ、大学の置かれている実態を明確に把握し、最も適切な方針を打ち出すことが理事会の役割と使命といえるのではないだろうか。     (おわり)