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アルカディア学報

No.380

認証評価の役割を考える 大学分科会第2次報告を読んで

主幹 瀧澤 博三(帝京科学大学顧問)

 認証評価は大学の自主的な質保証を支援できるか
 「大学評価の基本は、自己点検・評価にある」―大学審議会答申(21世紀の大学像)、「大学教育の質の維持・向上、学位の水準の保証については、一義的には、それらを提供・授与する大学の責任においてなされる必要がある」―中教審答申(学士課程教育の構築)。
 大学の質保証については大学自身の自己点検・評価が基本とならなければならない。これは中教審の答申等で幾度か確認されてきたことである。この点は、教育基本法でも、大学については「自主性・自律性」が尊重されなければならないと定めているように、自主性・自律性を不可欠とする大学の本質として当然のことであり、認証評価も質保証の主役は大学であるという前提を守る必要がある。しかし、認証評価が7年サイクルの第二期に入るに当たって、関係機関で問題点の見直しを進めているが、評価員等の関係者の多くが指摘する一番の問題は、自己点検・評価報告書が「認証評価を受けるための説明」になり、社会に対して主体的に「説明責任」を果たすようなものになっていない。
 認証評価は、自己点検・評価による大学の自主的な質保証を支援し育てる役割を果たしているのか、逆に、大学が果たすべき説明責任を肩代わりして、自主的な質保証を形骸化することに寄与しているのか、この辺が不安になる。
 今のシステムのどこかに問題があるのではないだろうか。
 第2次報告の示す方向は
 自己点検・評価の未成熟にどのように対処していくべきか。これには二つの方向があるように思う。自己点検・評価が主役になるよう認証評価との関係を抜本的に見直し、長期的視野に立って大学の自主的な質保証の改善・充実を目指す方向と、大学の質保証に対する外部からの評価と監視を強化する方向である。自己評価というのは所詮限界があるのはやむを得ないと達観して短期的な解決を目指せば、後者の道を取ることになるが、この道は長期的に見れば結局大学の基礎体力を弱めるだけだろう。
 認証評価はどの道をいこうとするのか。去る8月26日に「中長期的な大学教育のあり方について」の審議経過について中教審大学分科会が第二次報告を発表したが、これを読んでもこの方向性は良く理解できない。報告の「(4)認証評価について」の中から自己点検・評価と認証評価の関係について言及している箇所を拾ってみよう。
 認証評価の対象として「内部質保証の仕組みが備わり、それが確実に機能していることが、認証評価を通じて確認されなければならない」としているが、内部質保証の状況を評価の重点にしようとする方向は、既に各認証評価機関の既定路線であり、新しい方向を示すものではない。一方で、「認証評価機関には、学校教育法や大学設置基準の各条項に規定されている事項が、大学評価基準にどう対応しているか分かりやすく示すことも期待される」、更に「大学の質保証を体系的に行なっていく観点からは、認証評価において、事後確認の機能に着目した検討が求められる」とし、「設置認可審査や設置計画履行状況等調査を通じて明らかになった課題等が認証評価に引き継がれ、活用されるなど、設置認可審査と認証評価との一貫性や体系性に関する充分な配慮が求められる」としている。つまり認証評価は、設置基準や設置認可審査とともに三位一体となって「公的な質保証システム」を構築し、その中で事後的な評価・監視の役割を分担することが期待されているようである。
 結局「第二次報告」からは、大学コミュニティーの協働による自主的な相互支援システムによって、大学の自律的・主体的な質保証機能を高めていこうという長期的な視野は余り窺えず、民間組織である認証評価機関も組み入れて公的な評価と監視のネットワークを形成しようという、短期的視点に立った効率優先の意図が見えるように思えてならない。公的な外部監視の強化は、私学法改正による段階的是正措置と連動して、当面強制的な効果を発揮するかもしれないが、こうした仕組みは、認証評価システムの自主的な相互支援の理念との不整合や、大学自身による質保証における主体性・自主性の欠如が、結局は評価文化の成熟を妨げる結果を招くのではないかと思う。
 自己点検・評価を主役とする認証評価は可能か
 現在のシステムでは、大学評価基準は認証評価のための基準であるから、評価の主役は認証評価機関であって大学ではない。しかし認証評価に当たっては、受審大学には、この大学評価基準に基づいて自己点検・評価を行い、報告書を提出するよう求めている。その限りでは、この基準は自己点検・評価の基準でもあるという二重性格を持つ。しかし、この構造では自己点検・評価の報告書は「認証評価のため説明」が第一義となり、社会に対し説明責任を果たすべき本来的な自己点検としての自覚が生まれないのも当然かもしれない。報告書の書き方として「優れた点、問題点」等の記載のみを求め、基準に対する適合・不適合についての大学の判断までは求めていないことも、その傾向を助長している。
 もう一つの問題は、「エビデンスに基づく評価」の原則が十分浸透していないことである。データ、文書、資料等の客観性のある証拠を示すことよりも、とかく抽象的な記述に力が入っていることが評価員を悩ませ、評価の効率を悪くしている。これについても、大学自身は適・不適の結論は出さず、認証評価任せであるため、評価結果の挙証責任への自覚が生まれにくいことに原因の一端があるのではないだろうか。
 こうした問題点を是正し、自己点検・評価の実質化を促し認証評価の効率性を高める方策として、次のような骨子による新しいシステムの検討を提案したい。①自己評価の結果については文章化を止め、適・不適の判定結果のみを書き、短いコメントを付ける。②基準ごとの判定に関わる証拠となるデータ、資料を添付する。
 認証評価制度には検討しなければならない課題が山積している。小さな改善を加えつつ安定した運営を期しうる状況ではなく、今なお、各認証評価機関がそれぞれに大胆な改革を試みていかなければならない時期が続いているように思う。
 なお、この提案にはモデルがある。米国の南部地区基準協会が取り組んでいる新しいアクレディテーション・システムである。ここでは、100ページのレポートに纏める従来のセルフ・スタディを止め、コンプライアンス・サーティフィケーション(CC:適格証明)と呼ぶ方式にした。これは、基準に対する適否の判断を大学が行い、文章化はせず、根拠となるデータ・資料を付ける。併せてクオーリティ・エンハンスメント・プラン(QEP:質の強化計画)を提出する。これについては、桜美林大学大学院の船戸教授が本紙の平成19年新年号から三連載で調査レポートを載せているので参照されたい。