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アルカディア学報

No.184

大学ランキングの功罪―リンゴとミカンはどちらがいいか

東京大学大学総合教育研究センター助教授 小林 雅之

 11月のロンドンタイムズ高等教育版に、世界の200大学のランキングが発表された。このなかで日本の大学は、東京大学12位、京都大学29位、東京工業大学51位など、6校がランクインした。これは喜ぶべきことなのだろうか。それとも、低すぎると憂慮すべきなのだろうか。しかし、その前に考えるべき問題がある。そもそも世界の大学ランキングというものは可能だろうか。タイムズ紙は1300人の学者のピアレビューに基づいたとしているけれども、世界の大学のことを知り尽くしている人などいない。かといって客観的な評価方法も確立されていない。タイムズ紙でも、ピアレビュー以外に用いた留学生比率とかST比など、客観的な評価基準を公開しているけれども、これが妥当性を持つという保証はどこにもない。
 しかし、評価基準と得点を公開するのはまだ良心的だ。古くから世界の大学ランキングを出しているゴーマン・レポートは、高等教育研究者の間ではあまり信用されていない。その一つの理由は、小数点以下2ケタまで、各大学の得点を示しているが、基準や評価方法、データなどを全く公開していないことにある。しかし、ゴーマン・レポートは継続して刊行されているし、翻訳も出されている。
 こうした大学ランキングで、最も著名なものはUSニューズ&ワールドレポート誌(以下USニューズ誌)の「アメリカのベストカレッジ」で、毎年、大ベストセラーになる。その売り物は、タイムズ紙と同様、総合ランキングにある。そのUSニューズ誌の総合ランキングを、1996年に、スタンフォード大学の当時のキャスパー学長が批判したことから論争の火ぶたが切られた。
 大学ランキングに対する批判はいくつもある。まず数値化されないものが一切無視されることに対する批判がある。数値化されるといかにも客観的にみえる。しかし、数値化できる論文数とか留学生比率などの客観的な指標によるランキングはできるとしても、それらを合わせた総合指標やランキングは可能だろうか。論文数と留学生比率がどちらがどれくらい重要だと誰が決めるのか。単純に合計するのは、両者が同等であると暗黙に仮定していることになる。タイムズ紙の場合には、ピアレビュー50%、留学生5%などとウェイト付けしているが、この根拠は明らかではない。総合ランキングなど、リンゴとミカンを比較するようなものだ。このようなランキングに対する批判は枚挙にいとまがない。
 こうした大学ランキングを含む、商品としての大学評価を目的とする、新しい大学評価を、私たち東京大学大学総合教育研究センターでは「市場型大学評価」と規定して、何らかの公的機関が行う「制度型大学評価」と比較して分析を行ってきた(間渕泰尚・小林雅之・大多和直樹「市場型大学評価」日本高等教育学会編『高等教育研究紀要』第5集 2002年。東京大学大学総合教育研究センター『個別大学情報の内容・形態に関する国際比較』ものぐらふ2(www.he.u-tokyo.ac.jpよりダウンロード可能))。
 USニューズ誌の大学ランキングに代表される市場型大学評価は、単に商業的に成功したというだけでなく、高等教育界に重要な影響を与えており、その功罪が広範に論議されている。とくに、受験生や親に対する影響だけでなく、大学自身も同誌の評価によって、経営行動を左右されるケースが多々みられる。こうした同誌の成功に刺激され、市場型大学評価はアメリカだけでなく、日本、ヨーロッパ、オーストラリア、中国など、他の国々にも広がりをみせてきている。日本では、1991年の大学設置基準の大綱化にともなって、大学自己点検・評価が義務化されてから急速に普及し始めた。
 市場型評価のなかでも大学総合ランキングに対しては、先にもふれたように様々な批判がある。なぜ批判にも関わらず隆盛をきわめているのか。そこには、いくつかの背景要因がある。まず、受験生や親にとっては、大学情報や評価が分かりやすく、しかもきわめて安価に手に入る。大学は人生で家に次ぐ第2の高額な投資だ。その決定に重要な情報がわずかの金額で手に入れば安いものだ。ランキングを全く信用するわけではないが、気休め程度の参考にはなる。(これを、漫画のスヌーピーに出てくるライナスの「安全毛布」(肌身離さないお守り)と言った人もいる。)
 とくに、国際化が進展し学生や研究者の流動性が高まるにつれ、海外の大学について、的確な情報を入手するのはますます困難になる。大学自身の情報発信は宣伝と区別するのが難しい。かといって、公的機関が評価を含んだ国際的な大学情報を出すのも難しい。つまり、グローバル化にともない、大学の質保証の困難性はますます増加する。大学ランキングが、留学生や国際交流しようとする研究者にとって重要な情報源であることは否定しがたい。
 もうひとつの大きな背景要因は、大学関係者自身が、ランキングを自分の大学の宣伝に利用していることである。ランキングが下がれば批判するのに、上がればたちまち入学案内に刷り込むといった態度では、批判はできない。ランキングの評価基準に選抜度(入試倍率の逆数)が採用されると、それを上げようと合格者数を減らそうとするなど、大学の経営行動に影響を与えている例である。また、最近では、多くの研究者がUSニューズ誌の大学ランキング得点を研究データとして用いることから、同誌の大学ランキングに正当性を付与し、権威をますます高める結果になっている。
 これに対して、大学ランキングの検証をきちんとしようとすると、多大な時間と労力を要する。自分で客観的なデータを集めて、その妥当性を問わなければならない。しかし、その割に研究としては高く評価されないという問題がある。だが、これだけUSニューズ誌の大学ランキングの影響力が大きくなると、プラグマティック(実利的)なアメリカでは多くの検証研究があらわれている。当のUSニューズ誌も、シンクタンクに依頼して、妥当性を検証し評価基準を絶えず見直している。しかし、これも誠実さを印象づける同誌のランキングの正当化の方法であり、ますますランキングを権威づける結果となっている。また、評価基準が同じであれば、毎年ランキングを出す意味がない。順位があまり変化しないからである。評価基準の改定は、ランキングを適当に変動させ、毎年ランキングを出すためのしかけでもある。
 こうした点について、私たちは、USニューズ誌とアジア・ウィーク誌および日本の大学ランキングの検証を行い、年度によって同じ大学の評価が大きく変動したり、同じ大学に対する評価が、ランキング誌によって大きく異なるなど、信頼性に関する問題点を明らかにした。誤解のないように断っておくが、私たちは、市場型大学評価は営利目的だけだと、ネガティブにみているわけではない。とりわけ日本では、これまでほとんど偏差値しかなかった社会の大学評価に一石を投じる可能性をもっている。いまどき「象牙の塔」ではないにしても、社会から断絶しがちだった大学も、ようやく情報発信に積極的になってきたし、大学評価も着実に進展をみせている。私たちは、市場型大学評価だけでなく、制度型大学評価についても、その検証を行うのは、高等教育研究者の責務であると考えている。市場型大学評価に対しても制度型大学評価に対しても、批判のための批判ではなく、大学評価の方法・内容の向上のために、客観的な検証による批判的検討が必要である。今後も、得点が公開されているタイムズ紙の大学ランキングや中国の大学ランキングの検証を引き続き行っていきたいと考えている。