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アルカディア学報

No.163

産学連携のすすめ―日本の大学が行うべき5つの課題

マサチューセッツ工科大学インダストリアルパフォーマンスセンター研究フェロー 畠中 祥

 日本で大学改革が謳われ、産学連携の導入が望まれるようになって久しい。当時の文部省と通産省が一緒にTLO(技術移転機関)の推進活動を始めて7年経ち、大臣主導の産学官連携の会議が全国で開かれ、大学ランキングでも産学連携を評価に使うことが不思議でない世の中になった。学生運動などで産学協同が水面下に隠れていた時代からすると様変わりである。
 しかし、その内容をみるとまだひとつ納得がいかない。まず、特許獲得やベンチャーに走りすぎる傾向があるのではないか。「産学連携」即ち「特許やインキュベーション」という単純な定義ではなく、そもそも産学連携の本当の目的は何なのか、大学の本来の役割である教育や研究がいかに変わっていくかも含めて考えていくべきではないだろうか。どの組織でも、新しい領域に手を出すことは簡単ではない。己の分野・特性を生かして新しい分野に挑戦する―そういった考え方がもっと必要なのではないだろうか。
 第2に、現実性を帯びていないという感がどうしても残る。アメリカで大学が特許権をもつための法律ができて24年が経つ。こぞってみなTLOを作ったが、成功している大学が大多数とはいえない。長い年月と経験があってもこうなのである。当然のことながら、特許をとるだけではコストがかさむだけの話で、ライセンス契約にもちこんで初めて技術の実用化につながる。ライセンス契約で採算を取っていくこと自体簡単ではないのである。
 大学発ベンチャーも同じである。日本に先駆けて産学連携と騒ぎ始めた英国でも、大学発ベンチャーの数を指標にすることの危険性を改めて感じつつある。起業するだけではなく企業として成功してはじめて「成功」なのである。第3に、こうした「指標」が国規模でまかり通るようになるとどうしても皆が同じ事をする羽目になり、せっかくの多様性をさいなむ可能性がある。それではどうすればいいのだろうか。
 マサチューセッツ工科大学(MIT)の例を見てみよう。MITで産学連携の要素について尋ねると、まず産業リエゾンオフィスや、包括アライアンス、そして個人の先生方のコンサルティング、という答えが返ってくる。特許はとるし、ライセンスやベンチャーにつながることもあるが、それが産学連携の要だとは思っていない。むしろ副次的産物と考えられている。産学連携とはあくまでも大学陣が産業界と有意義に接する機会であり、多くの先生が、その最終目的は、新しい時代に合った教育を行い、次の時代をリードする人材を生み出すことだと考えている。また、産業界とのネットワークで視野を広くもつことで本当の「先端的」研究ができると考える先生も多い。「技術的問題」と常に対面している企業との対話で、科学的探究のヒントを得ることができるのである。
 MITでは教官の評価軸のひとつに「インパクト」がある。特許をいくつとってもそれが実用化につながり、「インパクトがある」と考えられない限り評価されない。ベンチャーをやって金儲けをすればいいのではなく、技術の進歩というインパクトが評価される。学術研究発表でも、論文発表をするだけではなく、どういう「効果」があるのか問われる。
 教育でも同様である。研究大学では教育活動がなかなか評価されないといわれ、MITでも一般的に教育活動よりは研究活動のほうがテニュア評価のウェイトが高い。しかしその反面、すばらしい教科書を書くことで教育に貢献すれば、それが評価される地盤はあるのである。こうした価値体系があり、評価軸があることが、MITの産学連携の基礎になっている。
 ただし、これがアメリカ全大学の風土であるかというとそうではない。むしろ各大学がそれぞれの価値体系を築いている。「学術的インパクト」に軸をおいた大学もあり、そうした多様性があることで、大学界全体のバランスがとれているともいえよう。英国でも「それぞれの産学連携」という認識が日常になってきている。教育中心の大学と研究大学とでは、産学連携の意味も、内容も、やり方も違う。真似しようともしないし、またできるものでもない。
 それではなぜ真似ができないか。大学が組織としての価値を確立するためには、それなりの転機を全学的に経験・共有することで新しい価値観を生み、制度化する必要がある。MITの例で言えば3つの大きな転機をもって今の価値観が形成されている。
 まず最初は、1870年の開学である。工業に役立つ人材を育成することを志し、産業と活発に協力関係をもちながら典型的な工科大学に育った。次に1930年代になると、サイエンス抜きで工学はできないという新しい考え方が生まれる。これは、第二次世界大戦でのレーダー開発という具体的・全学的経験が基で共有されるようになる。20年かかって、初めてノーベル賞受賞学者が出てくるような組織基盤がうまれるのである。そして1980年末期、アメリカ経済の低迷―特に製造業の苦悩の時期を経て、産業から隔離したことを懸念する声があがり、コンソーシャムやアライアンス等、新しい形の産学連携体系を生んできた。こうした価値観の変遷の歴史がまさにMITの今日の組織や制度の基礎となっている。世論で言われる通りにしてきたわけではないし、よその真似をしたわけでもないのである。
 それでは日本の大学は、何をするべきであろうか。5つあると考えられる。まず、組織として何を目標にするのか議論し、とことん考えることである。新しい時代の世論を無視することも愚かだが、それに踊らされることも危険である。何を変えるべきなのか、本気で考えなければならない。
 第2に、新しい価値観を促進するためのリーダーシップを築くことである。組織改革というのは、意識改革にほかならない。大学人の大多数の意識が変わらなければ意味がない。難しい大学人を説得するためには、それだけの力量のあるリーダーを選び、責任を与えることが必須であろう。産学連携について、理解・経験のある人をリーダーにするだけではだめなのである。研究者として、学者として、自他共に認める実績のある人間をもって、初めて意識改革につながり、まともな制度改革ができよう。
 第3に、大学学部・専攻等組織ユニットに対して明確なインセンティブを与えることである。大学においては、同僚ともいえる専門家による評価が要である。所属するユニットの認識が、自然と変わるようにしむけていかなければならない。その時、積極的に改革するユニットも、しないユニットも同じ待遇であれば、改革指向の芽も摘まれよう。積極的な体制を作るユニットに対しては、積極的なサポートをすることで、ボトムアップの体制がうまれるのである。
 第4に、個々の教官に明確なインセンティブを与えることである。当たり前のことであるが、いかなる大学活動においても中心となるのは、個々の教官である。最小限でも積極的な教官のやる気をそがないように、できることなら、積極的な教官活動が組織的な評価につながるような体制を作ることが重要である。
 第5に、個々の部署や教官のサポート体制が考えられるべきである。本来、これは最後に行うべきものであるが、多くの大学ではその逆、つまり、まず最初にTLOやリエゾンオフィスなどサポート体制作りから手がけている。改革の方法論というものを、もう少し考えていく必要があるのではないだろうか。今日の競争に、その場しのぎの対処をするのでなく、長期的な視点から改革を考える事で、より多くの教員・職員をより発奮させることができるのではないだろうか。
 最近、研究の関係で京都近辺の大学を訪問する機会が多いが、立命館大学や龍谷大学など早くから独自の問題意識をもって制度を確立してきた経緯があるという。そういう発展的産学連携を是非心がけていただきたいと日本のためにも願うものである。