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アルカディア学報

No. 709

高大接続再考
 ―入試改革より制度改革を

研究員 川嶋 太津夫(大阪大学高等教育・入試研究開発センター長・特任教授)

 中央教育審議会高大接続特別部会が2012年9月に設置されて以降、ほぼ10年間にわたって続いてきた「高大接続改革」の議論と「改革」は、大学入試センター試験(以下「センター試験」)に代わる大学入学共通テスト(以下「共通テスト」)への英語成績提供システムと国語・数学への記述式問題の導入が2019年末に相次いで見送りになった。見送りに至る経緯の検証と今後の取り扱いなどを検討すべく文部科学大臣のもとに設置された「大学入試の在り方に関する会議」が、1年半の議論を経て2021年7月に「提言」を出し、英語成績提供システムと記述式問題の共通テストへの導入を最終的に断念したことで、一応の区切りを迎えた。
 しかし、「高大接続」の課題がこれで全て解決されたわけでは、当然ながら、ない。10年に及ぶ議論は高等学校教育と大学教育、そして両者を「接続」する大学入試を三位一体のものとして検討すべく始まった、はずである。ところが、議論と世論は途中から大学入試の改革のみに集中していった。センター試験や個別学力試験の得点のみで合否を決める「1点刻み」の一般入試と、他方「学力不問」のAO・推薦入試のいずれも学力の「3要素(知識・技能、思考力・判断力・表現力、多様な人々と協働して主体的に学ぶ態度)」を適正に評価しておらず、個別入試では3つの学力要素を「多面的・総合的」に評価する入試へと改革し、同時に毎年50万人余りが受験する新たな共通テストでは、大学入学希望者の高等学校教育段階での基礎的な学習達成度、特に知識・技能に加えて思考力・判断力・表現力を測定するような方向で検討がなされてきた。民間英語4技能試験・検定の活用と記述式問題導入はこのような議論の中で実現に向けて検討されてきた。その背景には「大学入試が変われば高校教育が変わる」という思考のロジックモデルがあった。このロジックモデルには、高校教育への影響は限定的だとするなどの反論が多くなされたが、高大接続の観点からは、筆者の見るところ、片手落ちの論理にすぎない。つまり、たとえ主張のように大学入試改革によって高校教育が主体的・協働的で深い学びに変わったとしても、果たして大学入試改革によって「大学教育は変わるのか」の視点が欠如しているからである。さらに、論を敷衍すれば、これまでの大学教育改革の議論において、大学入試のあり方や高校教育への影響を踏まえた議論が行われてきたのか、が問われるべきであろう。
 さて、高大接続の原理的な考察をしてみたい。「高大接続」の本質は、後期中等教育と大学教育(学士課程教育)、とりわけ「専門教育」とをどのように「接続」するのかという点にある。言い換えれば、大学での専門教育の準備教育をどこで、どのように保証するのか、という点にある。
 まず、大学3年間は全て専門教育課程である英国では、大学進学希望者の教育はSixth Formと呼ばれる大学進学準備課程で、大学で専攻を希望する専門教育の基礎となる数科目を学習し、その達成度を測定するAレベル試験を受験し、その成績に応じて大学の専門課程へ進学する。
 他方、米国では、後期中等教育であるハイスクールは、その創設以来、必ずしも大学進学準備を標榜せず、理念は「市民完成教育」となっている。そのため、英国や他の欧州諸国のように、大学での専門教育の準備教育が制度上は明確にはなっていない(校内でのコース分けとしてのトラッキングは存在するが、大学進学希望者向けのアカデミック・トラッキングでも、大学の専門教育の基礎教育ではない)。加えて、大学入学時点で全ての学生が専門(メイジャー)を決めているわけではなく、多くの大学では専門の教育は、大学3年から始まり、そのための準備教育は1、2年生の「一般教育」の中で提供されている。
 そこで、選抜では、汎用的な英語力と数量的能力を測定するSATの成績、論理的な思考力や表現力を評価するエッセイ、調査書、推薦書、時には面接など複数の資料を総合的に活用して、アチーブメントだけでなく潜在力も加味して、専門教育の基礎学力ではなく大学で学ぶための準備状況(College Readiness)を評価し、志願者のいわば「相性」の観点から合否を決めている。したがって、新井克弘説のように、専門教育とそのための準備教育の接続は大学入学後の一般教育との間で成立している。
 では我が国ではどうであろうか。第2次世界大戦前までは、英国と同様に、大学は3年間の専門教育のみで、そのための準備教育は旧制高校や予科で実施されていた。大戦後の学制改革により6―3―3―4の教育制度となり、旧制中学校等の諸学校は高等学校となり、その目的は「高等普通教育」とされた(学校教育法の改正により、現在は高度な普通教育と専門教育となっている)。旧制高校とは違い、大学での専門教育の準備教育の役割はない。他方、旧制高校3年、旧制大学3年の高等教育は4年間に圧縮され、1年半から2年の一般教育課程(教養部)と2年間の専門教育課程(専門学部)に再編された。
 ただし、モデルとなった米国と異なり、入学定員もあり、入試は各学部・学科単位で実施する大学がほとんどであった。その上、高等学校は旧制高校とは異なり、専門教育の準備課程ではなくなったため、高校の普通教育の中で提供される教科・科目を入試で出題することによって、大学は専門を学ぶための基礎学力を評価することとなった。
 他方、高校は入試での出題科目を見極めてから教育課程を編成することとなり、早期から文系・理系への分岐が起きている。我が国では入試がいわば専門教育と準備教育の接続機能を果たすようになったと言える。
 加えて、1991年に大学設置基準の大綱化が実施され、大学は4(6)年一貫教育体制に変更され、今まで以上に「専門教育」が重視され、それまで曲がりなりにも教養教育と専門基礎教育を提供してきた一般教育課程(教養部)が縮小し、高度な普通教育の高校と大学の専門教育の接点が近づき、接続機能としての入試の役割に一層注目が集まった。
 ただし、普通科高校の改革も進み、入試だけで高校教育と大学の専門教育の接続を保証することは困難になっている。冒頭に紹介したように、一部の大学では入試で基礎学力を確保することが難しくなり補完教育をせざるを得ない状況も生まれている。そこで、接続の観点から現状の課題を解決するには入試改革だけでは限界がある。
 むしろ、高校教育の多様化を前提に、4年間の大学教育の教育課程で接続を保証する仕組み、つまり、入試改革ではなく、今の早期専門化ではなく、入試単位を大きくし、入学後に準備教育を受けて徐々に専門を決める大学教育改革、そのための制度改革が必要ではないか。