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研究成果等の刊行

No.3(2001.01)

「私学政策の在り方を点検・評価する」 ―私大の助成と規制

問題提起者:田中 敬文、市川 昭午

I . はじめに 私学高等教育研究所 主幹 喜多村 和之

 日本の私学高等教育行政はいかにあるべきか、従来の私大経常費助成方式はこのままでよいのか。
  最近、政策の効果を事前に予測し、政策実施の結果を事後および実施過程で客観的に評価する「政策評価」という考え方が行政改革の一環として実施されようとしています。今後は私学への助成と規制を含めた従来の私学政策の実績はどのように評価され、今後の私学政策にどのように反映されるべきかが問われることになるでしょう。
 このような問題意識のもとで、平成12年9月18日アルカディア市ヶ谷(私学会館)において開催された第2回公開研究会では、高等教育の経済・財政の専門家である2人の論客によって縦横な問題提起をしていただきました。今回も前回に引き続き、私学関係者をはじめ、多方面からのご参加を得て、長時間にわたり、「私学政策」について参加者を交え、熱心な意見交換や活発な議論が行われました。この報告書は、第2回公開研究会においての発表、討論、問題点等を記録としてまとめたものです。私学関係者のみならず多くの皆さんがこの問題を考えるうえでの参考にしていただければ幸いに存じます。

II . 問題提起(1) 田中 敬文
   NPOとして活力ある私大経営をめざして 規制と支援の改革(問題提起要旨)


 わが国の私立大学の教育研究条件を国立大学のそれと比べるとき、国費投入額の格差が大きいことに留意しなければならない。学校数の73.5%、学生数の73.7%を占める私立大学へは国立大学に比べて5分の1程度の支出しかない。少ない支援にもかかわらず、大学設置認可や学部学科の新設・改廃、学生定員変更等に関して国から多くの規制を受けている。多くの規制は銀行へのそれに匹敵するのではないだろうか。「護送船団」とたとえられた銀行業界は、内外の環境変化に対応できず沈没寸前まで行った。規制と支援を現状のままにして、私立大学は帆を掲げ続けることができるのだろうか。
 私立大学は組織形態としてはNPO(ノンプロフィット・オーガニゼーション、非営利組織)である。ここでNPOとは、収支超過額を利害関係者に分配することを禁じられている(=非分配制約)組織のことをいう。収益をあげてはいけない、という意味ではない。NPOとしての特徴には、(1)「建学の精神」の追求、(2)非分配制約による内部非効率性、(3)教育と研究の結合生産と内部補助などがある。(2)は、企業のように厳しい市場の評価を受けることがないので、資金が無駄に使われる可能性のあることをいう。(3)は、たとえば、学部教育による収益によって、コストのかかる大学院教育や研究の支出を賄うことをいう。
 (2)はNPOゆえの「非営利の欠陥」である。この欠陥を是正することが国の調整役としての役割である。もちろん、安定的かつ継続的に高等教育サービスを提供することや教育の一定の質を保障すること、人材の計画的育成なども規制の根拠である。
規制には大学の設置者に関するものと大学の行動に関するものがある。行政改革推進本部規制改革委員会での論議により、校地面積基準の三倍基準への緩和、設置認可手続の簡素化・弾力化、首都圏等における立地規制対象施設からの大学院除外などの規制改革が行われてきた。これらの規制によりこれまで私立大学が被ったコストを考えると、改革は遅きに失したと言えよう。
 国による規制は、私立大学のNPOとしての欠陥を是正することにとどめ、私立大学の創意工夫あふれる自主的な行動を奪うものであってはならないであろう。
 他方、私立大学への支援はどうか。高等教育サービスを提供し、有為な人材を育成するという公共的な使命を持つ私立大学へは支援が必要である。支援には経常費補助金等と税制優遇措置がある。
 「私立大学の教育条件の維持及び向上」「私立大学の経営健全性を高める」「学生の修学上の経済的負担の軽減」(私学振興助成法第1条)という私学助成の3つの目標は、相互に矛盾するものであり、すべてを同時に実現することは難しい。私学助成の評価といっても、金額があまりに少ない。「経常的経費の2分の1以内を補助できる」(振興助成法第4条)というのが努力目標であるとしても、2分の1にはほど遠い状況である。
 補助金が着実に増えていた1981年度頃までは、教員1人当たり学生数や定員超過率などの点で私立大学経営にも改善が見られた。それ以降、補助金はほとんど増えることなく、81年度の水準を超えたのはようやく15年後の96年度であった。経常費補助率は80年度の29.5%をピークに、98年度には11.8%にまで落ち込んだ。
 私大全体の財務指標を見ると、臨定増もあって、学生等納付金比率が上昇傾向にあったのに対して、人件費依存率は低下傾向にあった。消費収支比率は100%を下回っており、しかもやや低下傾向にあることから、「黒字」基調が続いていたのである。この間、経常費補助に占める特別補助の割合は急速に高まってきた。これは、私大補助に教育研究の「質」への評価が加わり、大学の特色に応じた「選別的な」配分が強まってきたことを示している。
 私立大学の収支はおおまかにいうと、教職員の人件費と教育研究経費を学生等納付金で賄うという構造である。補助率が低下する中、私大経営は家計負担の一層の増大により支えられてきた。私立大学の初年度納付金が勤労者世帯(世帯主45~49歳層)の消費支出に占める割合は、1975年の15.5%から83年には23.0%まで上昇した。その後は91年の22.5%を底に上昇し続け、99年には26.7%と過去最高となった。近年の負担増は、納付金が上昇し続けているのにもかかわらず、景気低迷による手取り収入の低下により、消費支出が減少しているからである。なお、国立大学のこの割合は99年には15.8%である。国立大学生の負担が重くなったと言っても、せいぜい75年当時の私立大学生の負担とほぼ同じ状況なのである。
 家計負担を軽減するためには、奨学金制度の充実はもちろん、学納金を税額控除できるような新たな仕組みが必要である。
 私大支援のもう一つの柱は税制優遇措置である。寄付金受入の手続緩和や収益事業の損金算入限度枠の拡大等、私大が補助金や学納金以外に多様で独自の資金調達ができるように税制面でも支援しなければならない。
 私大経営を他のサービス産業と比べると、非常に恵まれていると思うことがある。学生はサービスを受ける入学以前に学納金の大半を支払い、しかも入学以降はサービスの満足度にかかわらず返金されない。裏返せば、学生確保こそが経営のすべてともいえる。
 4年生大学の中にも、在籍学生が定員の半分に満たないため補助金の交付が受けられない大学が現れてきた。志願倍率が実質1倍台の大学も増えている。「そのとき」に備えて、体力のあるうちに学生のセーフティネットの整備を図らねばならないであろう。
 私立大学への規制改革は、業界をまとめて保護するというこれまでの政策の変更である。たとえば、設置者に関して厳しい条件を課する「参入規制」は、既存の大学の保護にもつながった。また、学部・学科の新増設や改組に関する規制も大学どうしのカルテルとして機能したかもしれない。
 規制改革はこれまでの「護送船団」方式からの決別を私立大学に求めている。「大学の設置・運営の自由度を高め、大学が社会の変化に対して自らの判断で柔軟に対応できるようにすることにより、大学自体の個性化・活性化を促進する」(『規制改革に関する論点公開』2000年7月)ことは、私大どうしの競争を今後激しくさせるであろう。税制優遇の拡大も、独自に資金調達できる大学とそうでない大学との格差を広めるかもしれない。
 先ごろ、銀行への公的支援の是非が厳しく問われた。公的支援は税金による支援に他ならない。私立大学への公的な支援が納税者に支持されるためには、教育研究における私大の位置づけを明確にするとともに、あまり知られていない経営情報の公開が必要であろう。情報公開は、NPOとして税制優遇され、補助金を交付される以上しごく当然のことである。

III . 問題提起(2) 市川 昭午
    私大政策の点検・評価(問題提起要旨)


 大学の教育・研究について点検・評価の必要性が叫ばれるようになって久しいが、それより先に大学政策の点検・評価がなされていなければならない。私大政策で真っ先に問われる必要があるのは、私大に対して基本的に行政がいかなる姿勢で臨むべきかということである。私学に対する国の政策としては容認主義と禁止主義とがあるが、わが国はいうまでもなく容認主義をとっており、そこから私学政策の必要が生まれる。
 現代国家の教育行政活動は規制・助成・事業の三種に分類されるが、私立学校の教育事業活動は行政による規制と助成の対象とされているだけでなく、国・公立学校と補完・競合する関係にある。規制・助成および補完の三機能について近年の行政改革は再検討を求めている。規制の緩和、民間の自立自助の促進、民間活力の活用などがそれである。 こうした改革原理は教育行政にも適用されるから私大政策もその影響を免れず、一層の規制緩和が図られる反面、助成は抑制基調となろう。一般に私学に対する政策は規制と助成に大別されるが、この規制の強弱と助成の大小を組み合わせることにより、放任主義、統制主義、育成主義、同化主義という四つの類型に分類することができる。
 わが国における私学政策は戦前にあっては統制主義が基本とされ、私学経営に対する監督は厳しく、それに引き換え補助金などは極めて少なかった。戦後は学校教育法および私立学校法の制定を通じて文部省の監督が著しく制限されるとともに、「私学の自主性」尊重が強調され、「私学行政消極の原則」とでも称すべき傾向が形成された。 しかし、この放任主義から1970年代初頭に育成主義ないしは誘導主義とでも称すべき方向に180度の転換が図られた。レッセフェール的な対応が私学の急激な膨張と経営危機の到来をもたらしたことから、私学助成が緊急の政策課題になり、経常費補助の本格化、振興助成法の制定、新増設の抑制などの施策が行われた。
 しかし、80年代に入るとこの政策転換は補助金の伸び悩み、補助率の低下などから挫折し、90年代に入ってからは多様化促進の名の下に大学設置基準の改定などの規制緩和政策が採られるようになった。これらは積極的な育成主義というよりも消極的な救済政策とみられるが、他方で経常費補助金における特別補助の割合を急激に増大させているなど、放任主義と統制主義、救済主義などが混在しながら若干勢力を戻してきている。
 わが国の教育政策は初等中等教育中心、国公立学校中心であって、高等教育政策、特に私大政策は不在なような状況が続いてきた。それでも戦前は設置者行政により政策目標を実現できたが、戦後は私大のシェアが増大したためそれが不可能になった。そのため、高等教育政策における私大政策が重要な課題となるに至った。
 その中心は私学の圧倒的シェアをどうするかということである。欧米先進諸国との比較で考えれば民間部門の縮小と公共部門の拡充を図るべきだという見解にも一理あるが、これまでの経緯からみて実現の可能性は乏しい。私大の新増設抑制、大都市集中の是正、国公立の拡充による公・私均衡の回復などを内容とした高等教育計画は実質的に70年代後半の第一次計画だけで挫折し、長期的に政策目標は達成できなかった。
 となると、結局私大優位の現状を容認するのもやむをえないとし、むしろそこに積極的な意味を見出していくことが選択肢となるが、その場合にはそれに伴う施策が講じられる必要がある。特に国公立と私立の間にみられる管理・財政と機能との間の不整合をどうするかが、重要な政策課題に浮上してくる。それは設置者が異なる公共部門と民間部門との間で、機能(公共性と私事性)が接近してきた結果である。
 公私間格差の是正策として有力な公費支出の均等化論は学習者の性格が接近したことに注目するもので、その限りでは一理あるが、設置者の違いを無視している点で問題がある。均等補助論は私立大学の国立大学化を招く点で結局吸収主義ないしは同化主義を意味する。それは私学にとって望ましくないだけでなく、財政的にも不可能である。
 それゆえ、これからの私大政策は学習者の接近と供給者の違いの双方に着目した複眼的なものであることが求められる。供給者側に注目するとき、しばしば出てくるのは私学二分化論である。これは既に私立学校法制定当時から存在したし、中教審による四六答申も私大の一部に限って同化政策をとろうとするものであった。
 四六答申の私大政策は陽の目を見るには至らなかった。70年代に私立学校振興助成法の制定や私立学校法の改正により実現したのは、全私学を対象に経常費の二分の一補助を努力目標とする部分的補助であった。同時に前述した私学を含めた高等教育計画が策定された。こうした政策も財政の逼迫などから80年代以降次第に行き詰まりとなった。
 90年代以降は私大の多様化が一層進行しただけでなく、大学審議会や文部省によってそれが容認され、さらには奨励されるようになった。その結果、公私の接近とは逆に私学内部の格差が拡大した。それに対応して私大政策もまた多様化が不可避となることから、前に失敗に終わった部分的同化政策が復活してくる可能性がある。一部の私学は同化政策の対象となり、残りの大部分は放任政策ないしは救済政策に委ねられることになる。そうした政策が採られることになれば、恣意的な種別化に代わる線引きの手段として必然的により客観的な外部評価が要請されよう。
 私学政策の基本方針が不明瞭なことは戦前から専門家によって指摘されてきたが、私大側も私学教育の理念・本質の究明をないがしろにしてきた。私学政策が確立するためには、行政・私学双方が私学の理念・私学教育の本質を明確に把握することが先決要件となる。私学とは何か?私学教育は公教育か私教育か?そもそも公教育・私教育とは何を意味するのか。教育基本法にいう「公の性質」(public nature)、憲法が規定する「公の支配」(public control)とは何を指すのか。私立学校認可の法的性格は「特許」か「許可」か「認可」かなど、検討されるべき課題は多い。
 これに加えて近年は国公立を含めた大学政策の基本方針が不明確である。高等教育の大衆化、普遍化に伴って高等教育ないしは大学教育が実質的に中等後教育ないしは第三段階教育と化してきている。それ自体は理由のあることであるが、そうであればあるほど高等教育の本質、大学の理念が求められる。それは"より高次の教育(higher education)"、"真の大学(real university)"とはいかなるものかということである。
 今日大学審や文部省によって大学改革が性急に進められているが、部分的な改正案が次から次へと打ち出されるだけで、全体的な構図はいっこうに明示されない。大学改革は管理運営の円滑化だけが求められ、効率のみが追及されている嫌いがある。むろん現在の大学改革でも"個性輝く"とか"卓越性を求めて"など、理念らしきものは掲げられているが、いずれも内容が実質を欠いている。他方、各大学は追加財源を求めて空虚なミッション・ステイトメント作成に狂奔しており、大学改革を覆うニヒリズムは否定しがたい。今こそ大学政策には価値観の確立と改革の基本理念が必要とされよう。

IV. 第2回公開研究会の討論から  杉谷 祐美子
   私学政策の在り方 -第2回公開研究会の討議より-


 去る9月18日、当研究所主催による第2回公開研究会「私学政策の在り方を点検・評価する―私大の助成と規制」が開かれた。教育経済・財政を専門とする2名の問題提起者が、私学助成を中心としてこれまでの私学高等教育行政の実績を評価するとともに、今後のあるべき方向性を示唆したのである。
 田中敬文研究員は、個々の私立大学が創意工夫を凝らした自由な経営を行えるように規制改革が必要であり、私立大学が公共的使命をもつ以上、奨学金制度をはじめとする財政支援を拡大すべきだと主張した。一方、NPO(非営利組織)として見た場合の私大は比較的恵まれた経営条件にあるとも指摘し、それを有効に活かすと同時に、支援を受けるからには情報公開にも努めなければならないと苦言も呈していた。
 これに対して、これまでの私大政策を統制の強弱と助成の大小の両面から四類型に分類して評価した市川昭午客員研究員は、量的拡大を遂げた私立セクターは公立セクターと機能(私事性と公共性)が接近した反面、私学間における格差が広がったと考える。その結果、私学政策と一口にいっても一律の政策をとることは困難で、必然的に多様化せざるをえないと述べた。そして、今迄も不明瞭だった私学政策がその基本方針を確立するためには、行政・私学双方が私学の理念を明確にする必要があり、ひいては国公私を含めた大学政策を確立するうえで何よりも大学の理念が求められると言葉を結んだ。
 その概要については問題提起者自身の論稿に譲りたいが、視点は異なるものの、どちらも現在の私学が直面している本質的な問題を提起し、行政の責任と個別大学自身の責任の両方を問うていた。その厳しい言に喚起されてか、その後の討論においては意見が百出した。問題提起者との論議の応酬はほとんどみられなかったが、私学関係者から元官僚に至るまで多様な立場の参加者から様々な意見が出されたことで、論点はより広がりをみせたといえる。その内容を一参加者であった筆者の目から見てまとめるならば、およそ3点に集約できるだろう。
 第1は、私立大学の公共性と経費負担の配分の問題である。私立大学において高等教育機会を享受するということをどのようにとらえるべきか。大学・短大への進学率が5割に近づき、なおかつ学生の約8割が私立大学に在籍している現状を踏まえれば、もはや高等教育は生活水準の一部であるとの前提に立って、私立大学も公教育の重要な一環を担うものと位置づけられるだろう。この点については、参加者の間にほぼ共通理解が得られていたように思う。国が「助成」するという発想から、国庫負担という形で国が「責任」や「義務」を負うという考え方に切り替わるべきだと提言され、実際1971年に中教審答申が出された頃には、そのような見解が既に文部省内でもあったとの話題も上った。
 また、私立大学はこのように公共性と社会的便益をもつものであるから、その経費を国家、設立責任者、受益者の三者で均等に負担して当然だとする意見も提案された。あるいは、もう一つの均等負担策として考えられるのは、直接の受益者たる学生(もしくは保護者)と、研究費、人材養成費、目的税のいずれの名目にせよ、間接的受益者の社会・企業等から、そして究極の受益者である国家によって、三者が均等に負担するべきだとの案である。後者は私立大学協会のかねてからの要望でもある。
 たしかに、これらの提案は正論であり理想的であろう。しかしながら、私学助成の現状を鑑みるにつけ、国家財政に3分の1を依存するには到底及ばず、仮に私学全体としてこの水準を達成できたとしても、今後個々の大学にそれが均等に配分されるとは想像しがたい。むしろ、特別補助などの競争的経費の増大が象徴しているように、情勢はますます厳しさを増すのではないかと筆者はみている。
 そこで、第2の論点、公費の合理的配分とその基準が大きな問題となってくる。少なくとも国立大学に限ってみれば、資源配分と大学評価は否応無しに結びつけられていくものと予想される。会場からは第三者評価機関に対する指摘はわずかにとどまったが、前回(第1回)の公開研究会で問題提起されたように、公的補助を受けるために、第三者評価機関による評価が私立大学にも適用される可能性は少なからずあるだろう。
 ある意見者は、行政の手法が事前の管理から事後のチェックに移行する場合、いかに大学が自主的に質のコントロールを行うかが問題となろうが、それは現在の大学評価でもアクレディテーションでもよいと述べた。しかし、事態はそんなに甘いものではない。質のコントロールを目的とした大学評価が、いつしか財政配分のための評価というもう一つの役割を付加されてしまう危うさは否定できない。そうかといって、評価が完全に市場原理だけに委ねられてしまうというのもまた大学にとっては受け入れがたい。いずれにせよ、早晩大学は試練の時代を迎えることになるだろう。
 元文部官僚は公費財政負担の合理的配分に関して、今後は文部省が大学を選択するのではなく、学生が選ぶ方法しかないだろうと述べた。また、もう一人の元官僚も、将来的には私学への経常費助成は廃され、育英奨学金と科学研究費の二本立てになると予測する。つまり、一定の能力水準以上の学生が奨学金を獲得し、そうした持参金つきの学生を各大学がどれだけ集められるかが勝負となるわけである。そうなれば、独立行政法人となった国立大学も学校法人も同様に、いかにして優秀な学生を惹きつけるか、国公私を巻き込んだ競争的環境が生ずるだろう。それゆえ、独法化を私学とは無縁な問題として片づけることはできないのである。
 ここで、第3の論点となった国立大学の独立行政法人化問題が浮上してくることになる。今回のテーマは「私学政策」であったため、問題提起者からも国立大学に直接ふれるような発言は少なかった。だが、会場からは国立大学との関係において私学の問題を考えるべきだとの声も上がり、とりわけこの独法化問題に意見は集中した。
 元ジャーナリストは、驚いたことに文部省いわく、国立大学の独立行政法人化は私立大学とは何ら関係ないというが、私立大学の助成策の問題や国立大学の国費の問題を取り上げれば無関係では済まされないのは明白だと指摘した。それでは、先にも述べたように、資金の獲得をめぐって国公私を巻き込んだ競争となった場合、一体私立大学にはどのような未来が待ち受けているだろうか。
 最後に問題提起者から、独法化は一部の国立大学の生き残り策ではないかとの鋭い批判が浴びせられた。ある国立大学の学長が、独法化した場合には定員を増大すると洩らしていたそうである。授業料の水準がこれまでと同様に私立大学よりも低い水準に維持されるならば、当然のことながら、定員を増大したその大学に学生は集中し、周囲の私立大学は大打撃を被るだろう。しかし、国立大学の独法化がそうした脅威をもたらしかねないことについて、現在の私立大学が果たしてどれほど自覚的であるか。会場では、元文部官僚自らが、これほど国私間に財政的格差をつけておきながら同じ土俵で「競争的環境」だとはよくいえたものだと述べているのである。独法化された場合、表面上は「公正な競争」がまかり通ってしまう危険性を見過ごしてしまってもよいものだろうか。
 高等教育の理念はまず大学関係団体のアクションから生み出していくべきではないか、との発言が心に残っている。私学のみならず国立も含めた高等教育政策を考えるべきことはいうまでもないが、各大学、さらには私学団体そのものの自律性や在り方も見直す時期に来ていると思われる。

*** 「公開研究会講演録及び関連資料」部分は割愛しました。 ***