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研究成果等の刊行

No.1(2000.06)

「現代日本の私学高等教育」 ―展望と課題―世界のなかの日本の私学

主幹 喜多村 和之

はじめに

 日本私立大学協会附置・私学高等教育研究所の発足に当たり、研究活動の責任を負う者として、いささか私見を申し上げさせていただきたいと存じます。すなわち、  第一に、現代日本の高等教育研究は、国内及び国際社会において、どのような位置にあり、どのような課題に直面しているか。  第二に、さしあたって日本の私学にとって研究・調査の対象とすべき重要な課題とは何か。  第三に、私学高等教育研究所とはいかなる組織であり、これからどのように研究をすすめていくか。  以上の三点についての私の考えに対して、みなさまの御教示や御批判を賜れれば幸いに存じます。

高等教育の「ユニバーサル化」時代は私学が主役となる

 現代日本の高等教育の特徴のひとつは、まず私学部門の占めている比重が圧倒的に大きいことで、私学の存在なくしては今日のような大衆化した高等教育制度は成立し得なかったことは、しばしば指摘されるところです。
 例えば、1999年5月1日現在で、私立大学は全大学(622校)の73.5%で457校(国立大学は99校、公立大学は66校)、短期大学は全短大の86.0%、専修学校は89.9%、各種学校は98.0%が私立です。そこで学んでいる大学生の73.7%、短大生の91.7%、専修学校生の93.3%、各種学校の98.8%が私学に在籍しています。 こうした「大衆化」が達成されたのは、単に私学が量的に拡大した結果ばかりではありません。量の拡大に応じて高等教育を求める多彩な需要に柔軟かつ迅速に適応してきた私学の「多様化」への努力によるところが大きいと私は考えております。教育の「大衆化」は単に量的な変化だけではなく、質や水準や機能における変化である「多様化」が伴ってはじめて達成されるものだからです。学生の数が増えれば校舎、教室、施設設備を大きくし、教職員の数を増やしさえすれば万事解決できるのではなく、学生の入学水準、選抜方法、カリキュラム、カウンセリング、教授法や教員の養成(FD)等々にいたる質的・機能的な革新も必要になるからです。とすれば今日の「少子化」の時代には、人口の減少に伴う構造的変化に応じた革新が必要になるということでもあります。
 1999年度で全国の国・公・私立大学に設置されている学部は198学部ありますが、そのうち私立大学にしか設置されていない学部は約半数の93学部に達します。これに各学部の学科、短期大学や専門学校の学科等を加えれば、国・公立部門では提供していない学習機会が私学によっていかに多彩に開かれているかがわかります。そのほか私学でしかなし得ない教育、研究、サービスにおけるユニークな試みは極めて多岐にわたります。
 このように日本は世界に類をみないほど急速に高等教育の大衆化を達成した国のひとつですが、それはひとえに巨大で多彩な高等教育の機会をもとめる需要に柔軟に適応してきた私学という巨大な民間活力が存在し、これを国民が支持し、学生や保護者が私費によって支援してきたからにほかなりません。
 これからの世界の高等教育制度は、マーチン・トロウのモデルによれば(図表1 参照)、限定された少数者を対象とする特権的機会としてのエリート型段階から、青年層の多数者を対象とするマス型段階へ、さらには年齢や職種を越えた万人が時間・空間の制約なく学ぶことのできるユニバーサル型段階へと移行するとされています(マーチン・トロウ『高学歴社会の大学』『高度情報社会の大学』参照)。日本では、これまでのエリート型からマス型への移行を担った主役は私学であったのですが、さらに大衆化と多様化が進行するとみられる高等教育のユニバーサル化へと移行する時期には、限られた数の国・公立大学だけで高等教育の機会を提供することは到底不可能であります。したがってこれまで大衆化と多様化を迅速に発揮してきた私学こそは、ユニバーサル型の高等教育の方向性を先取りする主役となり得ると期待されます。
 ユニバーサル時代の私学高等教育に求められる新しい目的、役割、教育、研究、そして経営の在り方を明示することは、基本的な研究課題となるでしょう。

高等教育の「私学化」(プライバタイゼーション)と日本の私学

 世界の私学高等教育は、国際比較の観点からみると、(1)大規模私学部門、(2)公立・私立部門併存型、(3)私学周辺型の3つのタイプにわけられますが、日本は(1)に分類されています(Roger Geiger :Private Sectors in Higher Education.1989.)。つまり量的には圧倒的に私学部門が公立部門を凌駕しているのです。アジアは私学が最も強力かつ盛んな地域で、日本と並んで韓国、台湾、フィリピンなどは、巨大な私学部門をもち、規模においては公立部門を圧倒し、いずれも学生総数の8割が私学部門に属しています。
 世界最大の高等教育体制を誇るアメリカ合衆国は、大規模で高度な私学を持つ社会ですが、量的には学生数の2割を占めるに過ぎません。アメリカの高等教育の大衆化は州立大学やコミュニティカレッジのような公立部門によって引き受けられていて、公立高等教育に属する学生は実に8割を占めているのです。公立部門が責任をもって高等教育の機会均等化を公費によって推進する社会と、大多数の青年男女に私費での負担を負わせている社会とは対照的です。
 ヨーロッパ諸国の高等教育はほとんどが国・公立部門で、私学は例外的存在なので、高等教育費の圧倒的部分は授業料を徴収せず、公費で負担されてきました。しかしながら最近では高等教育の急速なマス化とこれに伴う財政難のため学生納付金を徴収する動きがでてきており、いわゆる「公立部門の私学化」(privatization of public institutions)現象がおきつつあります。イギリス、ドイツ、フランスなどには、少数ながら私学がつくられていますし、ロシアや中欧、東欧、中国のような社会主義諸国でも、私学が続々と生まれつつあります。中国では学費の徴収が始められるとともに、「民弁大学」と呼ばれる政府未認可の高等教育機関が2,000校もあるといわれています。
 とりわけ顕著なのはラテンアメリカ諸国で、最近では高等教育における公から私への大変動がおこりつつあり、ブラジル、メキシコ、コロンビア、ペルーでは、全学生数の少なくとも5割が私学部門に属しているといわれます。また私学部門の拡張が急速に進行している例としては、アルゼンチン、中国、ハンガリーが挙げられています(P.G.Altbach ed :Private Prometheus:Private Higher Education and Development in the 21st Century.1999.)。
 すでに述べたように、高等教育の私学化(プライバタイゼーション)の傾向は国際的にも今後ますます進行すると思われます。そこで特に国・公立の高等教育制度が支配的な諸外国では、いずれも公費負担の限界に直面していて、公立部門だけでは高等教育のマス化に対応できなくなっています。そこで、どのようにして日本のような大規模で活力のある私学部門をつくることができるのかに、切実な関心が寄せられるようになりました。古くからの私学の伝統の上に、草の根的民間教育の精神をもち、私学経営の経験やノウハウを豊かにもつ日本の私学は、国際的にも注目されるだけの価値をもっているといえます。このような世界における日本の私学の特性を提示し、諸外国の私学研究に協力することも、重要な事業課題のひとつです。現在、経済協力開発機構(OECD)やカリフォルニア大学、ボストンカレッジ、ニューヨーク州立大学等の研究者からは、当研究所に日本との国際比較共同研究への参加の呼びかけが来ております。
 アメリカの比較高等教育学者のアルトバック(ボストンカレッジ教授)もいうように、私学高等教育は、21世紀において最もダイナミックで高度成長がみこまれる部門のひとつとなるでしょう。

高等教育の経費は誰が負担すべきか

 このような「私学化」現象が広まっている背景には、もはや巨大な高等教育制度を国家ないし地方の政府の公的財源や税金だけでまかなうことが不可能になっているという事情があります。とりわけこれまで公費で高等教育を維持してきた西欧諸国では、近年の急速な高等教育のマス化の進行によって、公費による負担が巨大となり、そもそも高等教育の受益者は誰であり、誰が支払うべきかが争点になっています。
 日本でも行財政改革を契機として国立大学の法人化問題が浮上しており、賛否両論がかわされております。これはいかにして財政の削減や行政の効率化を達成するか、という問題にもかかわっています。
 田中敬文・東京学芸大学助教授の試算によると、日本の私立大学(438校、1998年度)の消費支出の総経費は約2兆2,500億円(日本私立学校振興・共済事業団『平成11年度 今日の私学財政』による)で、国立大学(99校)の総経費は約2兆2,000億円にほぼ相当します。国立大学の総経費の21%は学生納付金や病院収入で、残り79%を税金でまかなっていると考えられ、私立大学の総経費から国から得ている経常費補助等の国庫助成3,380億円(大学・短大・高専の合計)を単純に差し引くと、国は新たに約1兆4,400億円を負担しなければならないことになります。言いかえれば、国は国立大学の場合ならば当然かかる経費を負担せずに、73.3%の学生を抱えていることになる、というわけです。
 日本の高等教育に対する公的投資が諸外国に比して極めて低いことは周知の通りですが、その中でも政府は高等教育経費の公費の大部分を学生全体の2割弱にすぎない国立大学に注ぎ、8割の学生を抱える私学には設置者負担の原則で私学及び学生納付金で負担させるという、政府にとっては安上がりな政策をとってきたといわれる所以です。研究費や奨学金等の場合にも見られますが、このように公費を国立の機関に集中的に配分するという政策や慣行も再検討される必要があると思われます。
経済不況、財政難、少子化、高齢化等に直面している日本において、とりわけ学生納付金に大きく依存している私学にとって、教育費の負担をどうするか、学校経営をどう安定させるか、総じて高等教育の経済的側面は、私学経営に直結する最も緊急な研究課題であります。同時に、設置者負担の原則に基づいて、総合的な私学政策を形成し得ていない日本の文教政策に対しても、根本的に再検討が加えられるべきだ思います。

国立大学の「法人化」と私学

 政府は近く国立大学の「法人化」を推進するはこびとなりましたが、これは従来の文部省の「設置者行政」の基本的見直しを意味するような、大学の法的地位や設置形態の基本的な改革なのか、それとも実質的には国立大学の存在を維持し保護するための行革対策にすぎないのか、見極める必要があると思います。
 去る平成12年5月26日に開催された国立大学学長等に対する文部大臣説明会では、国立大学が独立行政法人に移行した場合には、大学の自主性、自律性が大幅に拡大され、独立採算制ではなく、移行前の公費投入額を十分に踏まえて、「使途を特定されない運営交付金等を受ける」とされています。また国からの運営交付金の年度間の予算の繰り越し、教育研究組織の編成や教職員の配置等の柔軟化なども可能になるということです。
 その問題はともあれ、ここでは次の点だけを指摘しておきたいと思います。
 まず第一に、文部大臣は国立大学に向かってだけでなく、国民、とりわけ納税者や私学に子どもをおくっている保護者に対してもわかりやすく説明をすべきでしょう。国民の税金でまかなわれている国立大学は、独立行政法人化されることによって、例えば国立大学の従来の財産は国、大学、国民の誰に帰属するものとなるのか、財産を管理する主体はどこになるのか、独立行政法人化によって国費がどれだけ節約できることになるのか、国立大学の教職員の身分はどうかわるのか、そのことによって国全体の高等教育、とりわけ私学にどのような影響が及ぶことになるのか、政府はこれまでの高等教育政策や設置者行政をどう変えていくつもりなのか、といった基本問題に言及すべきでしょう。国立大学の関係者だけ集めて、独立行政法人化の利点を強調するだけでは、国民にこの問題への理解を求めることはできないと思います。
 国立大学の法人化問題は、ある意味で国立の「私学化」という側面をもち、実質的には国立大学が私立大学の地位や設置形態に近くなるという可能性もありますので、私学にとって対岸の火事ではなく、学生確保や研究資金の獲得競争などの面で大きな影響を受けることがあり得ます。したがって国立大学の法人化に対して私学がどう対処すべきかは、当面の緊急な研究課題になるでしょう。同時に国立大学が法人化されるならば、次には現行の学校法人の在り方も、再検討の対象になり得るでしょう。そうなるとすれば、現行の私学経常費助成の方式も再検討の対象になるのではないでしょうか。私学助成を含めた国の私学政策はどうあるべきかという根本問題も、長期的な研究課題となるでしょう。

大学評価とランキング

 平成12年4月には第三者大学評価機関として、「大学評価・学位授与機構」が設置されました。当面は国立大学を評価の対象としていますが、設置者の判断によっては評価を受けることができるようになっています。すでに私大関係団体は、国の機関が評価に介入することには原則的に反対の意向を表明しています。しかしながら、国の機関による評価は行われないとしても、私学も年間約3,000億円程度の国庫助成を受けており、税金を負担している国民や学費を支払っている学生、保護者に対する説明責任を免れることはできません。したがって私学もなんらかの形で外部機関の評価を受けるか、自ら信頼されるに足る評価を実施することが必要となると思われます。したがって、私学にふさわしい評価の内容・方法を開発することも緊急な研究課題となるでしょう。
 今後はあらゆる政策や行政が評価の対象とされ、その結果に基づいて予算や資源の配分や優先順位が決定されることが多くなるでしょう。国立大学に限らず、国の補助金や助成を受けている私学も、その例外ではなくなると予想されます。例えば私学経常費助成を受けることによってどんな効果があがったのかを評価分析し、今後の私学助成の指針とするための「政策評価」も導入される可能性があります。大学評価は高等教育にとって、避けて通ることの許されないすぐれて現代的なテーマとなるでしょう(喜多村編『高等教育と政策評価』近刊、参照)。
 評価の問題に関連して触れておかなければならないのは、ますます盛んになってきた市場評価の影響です。今や大学のさまざまな側面を格付けしたり序列化するマスメディアや評価機関によるランキングは、国内のみならず欧米、アジア諸国をはじめ国際的規模で広まっています。インターネットの発達によって、いまや学生は学校選択(カレッジ・チョイス)の範囲を世界の学校へと拡大しつつあります。その際に問われるのは大学の国際競争力であり、その指標のひとつにランキングの順位も含まれています。市場評価はその正当性や信頼性はともあれ、現実に学校選択や大学の威信のイメージに影響を及ぼしているのです。当研究所では、さしあたってアカデミック・ランキングの功罪や信頼性、さらにはその影響力に関する研究を実施する予定です。
 21世紀に向けて私学高等教育が当面する重要かつ緊急な課題だけでも以上につきるものではなく、これからも無限に出てくるでしょう。例えば人口減少に伴う学生確保の方策は、私学にとって生き残りをかけた切実な問題です。また国立大学の法人化に伴って大学や学部の合併、統合、連合の動きが盛んになってくることが予想されますが、私学の側ではどのような戦略をとるべきかも重要な課題となるでしょう。ユニバーサル化に伴って学生の多様化はますます進むと予想されますが、多様な学力、進学動機、学校への期待を抱いてくる学生に対して、どのような教育・研究・サービスの体制でのぞんだらよいのかは、最も難しい、未知の研究課題であります。
 発足したばかりで、まだ体制ができあがっていない当研究所が、これらの重要課題のすべてに適切に対応していくことは不可能であることは言うまでもないことで、所外の多くの大学関係者や研究者の方々の絶大な御支援と御協力を得ることなしには、私学高等教育の研究をたちあげることはできないのです。そこで私たちは、所外に研究員、客員研究員、外国人客員研究員、研究協力者等のかたちで当研究所の事業に御助力いただく研究協力ネットワークを形成することを切望しているのです。

私学高等教育研究の必要性
 以上に縷々述べてまいりましたように、日本においても諸外国においても高等教育における私学の役割や影響力は極めて大きく、今後も最も成長していく部門であり、同時に国・公立部門の「私学化」の傾向もますます進行していくと予測されます。それにもかかわらず、私学高等教育の実態や全貌は、十分に社会に知られているとはいえず、国政や行政の面でもその役割にふさわしい位置付けを受けているとは思えません。 その理由のひとつは、私学高等教育を研究対象とする人材が限られており、調査・研究の蓄積も十分でなく、私学に関する情報、知識、知見も欠如しているからではないかと私は考えます。例えば私学関係の情報やデータは限られており、従来の高等教育研究も国・公立部門の高等教育に比して量質ともに乏しいように思われます。こうした状況では、政治や行政に対して私学部門の発言力を強めていくことは難しいのではないでしょうか。このような私学研究の貧しさという傾向は、単に日本だけではなく国際的にも共通の現象のようです。
 これまで日本の私学高等教育の研究は、すでに幾多の研究成果も発表されてきています。しかし従来の研究者の多くは国立大学の出身者や関係者によって担われ、国公立部門の立場や国立中心の視点から取り上げられたものが目立ちます。これに対して、私学関係者や私学出身者による私学研究は残念ながらまだ多いとは言えないように思われます。
 無論、私学の研究は私学出身の研究者によってのみなされるべきだ、などという偏狭な考え方をする必要は全くないのですが、それでも国・公立とは大きく異なる私学の現場を踏まえた研究が少ないのは残念なことですし、私学の実態にせまるには、どうしても私学の立場と目線からアプローチすることが不可欠だと思います。本研究所はこうした私学の側からの私学研究をおこしたいという動機も強くはたらいています。

私立大学研究所設立の念願

 私事にわたりますが、私はこれまで約30年余にわたって国立大学や国立研究機関に勤務してまいりましたが、出身は中学、高校、大学と私学であり、官にあっても私学出身の意識と誇りを持ち続けてまいりました。なぜなら私が高等教育の問題に目覚めたのは、大規模な私大の学部から小規模な公立大学の大学院に進学して、その余りの公私格差に愕然としたショック以来からだからです。当時の私には、一人の日本人青年が、なぜ設置者の違う大学に入学しただけで、学生数、教師数、施設設備、少人数クラス、授業料等々で、天と地も違うような条件のもとにおかれるのか、どうしてもわからなかったのです。
 私はこうした疑問を解くには、日本の高等教育を、従来のような「官」中心の観点からだけでなく、「私」の視点から見直してみる必要があると考えました。それにはどうしても私学の側から私学研究をおこすことが必要だという結論に達しました。この構想は以前に私大関係の雑誌に発表したことがありますので、やや長文にわたりますが以下に引用をお許しいただきたいと存じます。

「私大問題総合研究所」の設立を

喜多村和之(広島大学・大学教育研究センター助教授)
『大学時報』1977年11月号

 私は私立大学を卒業し、大学院を公立大学に学び、現在は国立大学に勤務しておりますので、国・公・私大をひととおり通過してきたことになります。私が入学したのは代表的なマンモス私大でしたから、日本一のミニ公立大に移ったときは、そのあまりの"格差"に仰天し、その当時のショックは今日の私の大学問題にたいする原点となったと言ってもよいほどです。
 5年余り前に広島大学に日本で最初の大学・高等教育の専門研究施設ができて、私は国立大学に籍をおくことになりました。大学に関する基本問題の研究というのが私共の使命ですが、追求すべき対象はあまりにも多くかつ複雑であり、国立大学固有の問題でさえわれわれの手に余るものばかりです。ましてや300校の私大、400校をこえる短大を擁し、学生総数の8割近くをかかえる私立大学の問題を究明することは、とうてい非力のわれわれのよくなしうるところではありません。それはたんに研究条件や能力の限界によるばかりでなく、国立大学のなかにいて私立大学を理解することは、本質的に不可能なことだからです。それにもかかわらず、日本の大学問題は、私立大学の問題を抜きにしては決して理解も解決もできないのです。
 日本の大学の構造と特質を明らかにし、21世紀の将来に向かう高等教育の展望を求めるためには、国公私全体の大学が協力して大学の自己研究を積み上げていくことが大切だと思います。そこで私は、全国の私立大学が提携し合って「私立大学問題総合研究所」のようなものをつくり、そこに若干の常勤研究員や研究協力者を置き、経常的に私立大学に関する研究成果を蓄積していくようになることを、以前から念願しておりました。
 もしこのような研究施設がつくられ、両者の機関の間で研究スタッフや研究成果の交換や交流がおこなわれ、それぞれの専門領域が適切に分担されるようになったら、国・公・私立大学間のコミュニケーションはいまよりはるかに改善され、日本の大学全体の統合化にも役立つようになるのではないでしょうか。 経営難の折柄、そんな迂遠な目的に多額のカネを投入することは無駄だという意見もあるでしょう。しかし大学が教育・研究を使命とする社会制度だとするならば、自己を調査・分析の対象とすることも大学の当然の義務であります。全国の私大が資金をもち寄って自己の現状と将来のために研究に投資することは、長い目でみると決して無駄とはならないでしょう。

私学高等教育研究所の創設の意義

 以上の小文に示した私の考えは当時といささかもかわっておりませんし、あれから23年後の今日、日本私立大学協会の見識によって、こうした組織がつくられたことに敬意を表しますとともに、私学高等教育研究の機会を与えていただいたことを非常に光栄と思うものであります。
 私学高等教育研究所は、日本私立大学協会の総会の総意によって創設され、私大協に附置された機関であります。したがって、日本私立大学協会の加盟校の発展に資することが第一義的な使命であることは言うまでもないことであります。しかしながらこの研究所が私大協の単なる下部組織でもなく、あるいは「附属」機関でもなく、「附置」されているというところに、私は深い意義を感ずるものであります。
 「附置」という用語は、大学附置研究所のように、たまたま特定の大学に置くが、その大学だけの所有物ではなく、天下の研究機関であり、その目的やサービスの対象はそこにおかれている大学をこえて、ひろく全国や世界に広げられている、という意味をもっています。そのことを自分なりに解釈すれば、当研究所はあくまでも私大協加盟校に直接的に役立つような研究を中心に進めていくが、研究の対象や範囲は私大協にとどまらず、全私学、短大、高専、専門学校を含めた内外の高等教育全体にまで及んでいかざるを得ない、ということになります。なぜなら、現代の高等教育は、公と私、初等中等教育と高等教育、学校教育と社会教育とが密接に重なり合い、関連しあっており、教育問題の解決のための研究調査には、全体的な視点とネットワーク的文脈からアプロ-チすることが不可欠だからです。私学を理解するためには、国・公立部門も含めた高等教育の全体システムからの発想が不可欠だと私は考えるものであります。
 また「附属」というのは、あくまでも親機関があって、その下部組織という性格が強いのですが、「附置」というとその親機関のヨコにあって、あたかも叔父叔母のような関係であることを示唆します。さしあたって研究とはまず真実を正確に把握し、必要な解決策を提示することだとすると、そのためには研究機関は親機関から一歩離れた地点から冷静に分析・評価する自由が保証されなければなりません。親機関に気に食わない結論は出せないような状況にあれば、長い目でみて研究が現場に貢献することはできないと考えるからであります。そういう意味でも本研究所が「附置」と名付けられていることに、私は敬意を抱くものであります。
 なお当研究所の英文名について付言させていただきますと、当機関は Research Institute for Independent Higher Education attached to the Association of Private Universities of Japanと名付けられております。ここに私学とは単に私事ではなく、国や政府から自立した地点で、独自の教育・研究をめざすという精神がこめられていると私は考えます。なお、もし国立大学の独立行政法人化が確定され、公立大学もなんらかの形で法人化されるような事態になるとすれば、日本の大学は国・公立すべてが独立した、より自立的な組織として、より対等の立場と基盤をもつ可能性も開かれるわけです。そうなれば、国・公・私が互いに独立した組織体として切磋琢磨し合い、連携協力し合って、世界に誇り得るような日本の高等教育の形成に貢献し合うことも期待されるのではないでしょうか。
 以上、当研究所の研究事業の責任をお任せいただいた者として、いささかの感慨を述べさせていただきました。私学高等教育の振興と向上のために、各位の絶大なる御協力と御支援を心からお願い申し上げる次第です。

*** 「付録 データブック 日本の私学 2000」部分は割愛しました。 ***