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地方私大からの政策提言

画一的な大学観を越えて

共愛学園前橋国際大学学長 大森昭生

2017年8月20日付の日経新聞社説は「大学をどう変える(上)「公共財」としての価値を高めよ」であった。「公共財」と大学を呼ぶなら、それ相応の......と、言いたくもなるが、ここでもまた、「問題はむしろ学生の選抜機能を失い教育の質の低下が懸念される地方の小規模大学だ」と、最近富に流布している「地方小規模大学」言説の表出を見るのだ。社説は東京の定員抑制策を「木を見て森を見ず」と批判する。それは同感だ。ただ、「地方小規模大学」を一括りにすることは逆に「森を見て木を見ず」とは言えないだろうか。

どれだけの地方大学、小規模大学が、日々心血を注いで教育にあたり、地方創生の拠点として汗を流しているのかを見ずして、どれだけの学生たちが生き生きと地域の中で成長しているかを語らずして、「地方小規模大学=課題」とする言説は、いわば「風評被害」であるとさえ感じている。「地方小規模大学」で地域の未来を築こうと頑張っている学生たちに、自信と希望を与えることこそ、私たち大人が成すべきことではないだろうか。種々の報告書やメディアの中でも、そして、私たち当事者もこの言説を利用していることを反省する必要があるのかもしれない。

今、中央では各省、各会議体で盛んに地方大学のあり方について議論がなされている。これほどまでに国民的な議論が盛り上がっていること自体はありがたいことである。大学数も進学者も増えてきたことは、社会のニーズと支持があったためであることを踏まえた議論に期待したい。単に財政支出削減を念頭に置いたそれだとすれば、それこそ「地方小規模大学」をターゲットにしてもあまり意味はないだろう。

こういった議論の中で新たなトピックが出てきている。例えば、大学と自治体との関係性である。その具体的な動きとして内閣府と文科省の交付金が報じられた。この流れ自体は歓迎したい。元来地方大学はその地域のための人材を育成しているのであり、自治体との一体化はより促進されるべきであるからだ。加えて、各自治体が地域の大学に係る施策を自分事とする契機となることも期待したい。現在でも、地方大学と自治体は積極的に協働しているが、あくまでも地方創生という共通目的に後押しされ、気持ちの部分で共鳴しているからであり、多くの自治体には大学を所管する部署も予算もないのが実情だろう。それは、原則として大学を管轄するのは国であるとされてきたから仕方がない。故に、自治体が自分事と捉えるためのインセンティブが用意されることは良いことだ。加えて、予算を有効なものとするためには、市町村等の取組も視野に入れていただきたい。

もちろん、基礎自治体の膨大な数、大学が存在しない自治体の多さを踏まえると制度設計が困難なことは容易に理解できるが、目に見える動きを展開するのは市民と直接関わる基礎自治体である。

一方で、自治体の財政規模は様々であることにも留意しなければならない。例えば交付金が50%助成である場合など、手を挙げられるところが限られてしまう。よって、地方大学を自治体任せにするのではなく、これまで以上に基盤的経費は国がしっかりと持ち、地域人材育成や地方振興の取組は自治体を通して支援するという両輪を担保する必要があるだろう。一過性ではなく持続的に自治体が自分事化していくためには、事業ベースの施策に留まらず、地方交付税の算出根拠に公立大学のみならず、私立や国立の大学も加えるべきであることは付言したい。

財政措置に連関して言えば、小規模大学への私学助成は微々たるものであるが、大学運営の基盤的な経費は規模の大小によらない部分もある。大規模な大学には異論があろうが、私学助成のあり方も、基盤部分を共通に担保したうえで規模に応じて計算する2段階方式を考える必要もあるのではないか。そのことにより、より適正規模を模索する動きも加速されよう。また、直接的な大学補助ではないにしても、無償化の議論も無視できない。学費で差がつかないならば教育質転換が進む私学に分があると思うし、経済的な理由で進学や就学継続を断念する地方の若者に光がさす。しかし、私学助成の規模はそのままで、学費設定権が担保されなくなるような制度設計は避けなければいけないだろう。

大学のあり方に関する議論に表出するテーマの中で、社会人の学び直しについても一歩踏み込んだ取組が必要ではないか。地方において2年や4年を学び直しに費やす機運も環境も十分ではない。履修証明プログラム等によるニーズに合わせた科目履修が現実的だろう。しかし、どれだけ多くのプログラムを用意しても、科目履修社会人がいても、それは学生数にカウントされない。故に大学は定員を割らないよう、補助が削減されないよう、18歳をターゲットとし続けるのだ。より社会人の学び直しの循環を加速させるのであれば、プログラム受講生や科目履修生を学生としてカウントする仕組みが用意されなければならない。

東京一極集中是正の効果はまだわからない。ただ危惧しているのは、地方進出の議論である。知事会はまず地元大学振興のための施策を要求すべきであり、サテライト設置を議論するのは、地域のために頑張っている地方大学として寂しい。しかし、中央の大学が地方に出るとしてもさほど大きな学部や大学が設置されるわけではない。結局は小規模大学が新たに設置されるに等しい。そして、そこで学ぶ学生は地域に根付くのだろうか。教員たちはその地域に住むのだろうか。地域への思いと覚悟をしっかり持った法人が、地元に残りたいのに大学が無いために叶わないという若者のいる地域に出ることに限定されるべき施策だろう。

過日、東京の新聞社に「貴学は知名度が無いのになぜ集まるのか」と聞かれた。「東京で知らない=知名度が無い」という構図はあまりにも古い大学観ではないか。本学は群馬の若者のための大学である。ただそれだけである。各大学が小さな東大になろうとする時代は終わっている。森の中には実を結んでいる木も、花を咲かせている木も、芽吹こうとしている木もある。それが見えないからと森全体を批判するなら、人々はその森に近づかなくなるだろう。議論の場が中央であるのは仕方がないが、より多くの木々を見て回ってほしい。そして私たちも、いつでもその議論に参加する準備はできている。

おおもり・あきお

1996年共愛学園女子短期大学専任講師、1999年共愛学園前橋国際大学専任講師、2003年同助教授・国際社会学部長、2007年同教授、2013年同副学長、2016年より現職。