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特集・連載

教育改革

-3-インストラクショナル・デザイン学士課程教育構築の方法論になるか
インストラクショナル・デザイン入門(下)

熊本大学大学院教授システム学専攻長 鈴木 克明

 前回に引き続き、インストラクショナル・デザイン(ID)入門の後半は、出口(卒業生像)と入口(入学生像)をつなぐ成長プロセスをどうデザインしていくかについて述べていく。
 大学教育設計の視点として、五つのレベル(いらつきのなさ・うそのなさ・わかりやすさ・学びやすさ・学びたさ)と四つの要素(システム+コンテンツ+アクティビティ+変革プロセス)を抑えるのが良いというのが今回の結論である。
 大学教育設計の五つのレベル
 ID研究の半世紀の中で、様々な教育設計技法が提案されてきた。筆者は、eラーニングの質保証の観点からそれらの技法を五つのレベルに整理した。それは、いらつきのなさ(精神衛生上の要件)、うそのなさ(教育内容の専門家的要件)、わかりやすさ(情報デザインの要件)、学びやすさ(学習効果の要件)、そして学びたさ(魅力の要件)である。これらの五レベルをeラーニングに限らず大学教育全般の設計にあてはめて、論を進めていく。
 いらつきのなさ(精神衛生上の要件)とは、学習環境の生理的・物理的整備を指す。eラーニングでは広帯域回線の確保などによりスムーズな動画配信を実現すること(あるいはそれが確保できない場合は広帯域を必要としないメディアを選択すること)などがそれにあたる。
 一般の教室では、適切な照明や室温管理、騒音からの遮断、黒板・スクリーンの見やすさや音響などの環境整備に加え、一方通行の講義型授業を前提として設計された什器などの配置の見直しやノート型パソコン持込に備えた電源の確保など、多様な授業形態を支える学習支援環境構築への配慮などが含まれよう。
 一般教室に加えて、図書館の電子化、必要な資料・助言体制の整備など、学生が「学びたい」と思ったときにそれをサポートする体制が十分でないと「学びたいのに学べない」といういらつきが生じる。それを防ぐための環境設計がまずは必要である。
 うそのなさ(教育内容の専門家的要件)とは、教育内容が必要十分であり、無理・ムラ・無駄がないことを指す。教育内容の適切性、時代適合性、必要性、多様性などを確保して、「この内容を学ぶことには正当な理由がある」というメッセージを学生に伝える努力をすることが肝要である。「教授が話したいことを何年も同じノートを見ながら話している」という印象は払拭しなければならない。ID技法としては、教育内容の必要性を職務行動から逆引きするためのニーズ分析などが確立されている。
 わかりやすさ(情報デザインの要件)とは、いわゆるユーザビリティ(操作容易性)であり、情報伝達が適切に行われていることを指す。eラーニングでは画面設計や操作性(ナビゲーション)に配慮して、使いやすい学習環境を設計するためのノウハウが蓄積されている。一般の授業では、配布資料の読みやすさ、口頭説明の聞きやすさなどが確保され、少なくとも「何を説明しているのかが分からない」という状態は避けなければならない。
 授業がわかりやすいかどうかは、話している立場では評価できないという難点がある。学生による授業評価アンケートは、聞いている立場の意見を表明してもらう一手法であるが、アンケートをとっただけで放置していては意味がない。ID技法としては、学ぶ側に協力を求めてわかりやすさを評価し改善するための形成的評価と呼ばれるプロセスが確立している。
 学びやすさ(学習効果の要件)とは、わかりやすい情報提供に加えて学習者が身につけやすい環境を整えることを指す。ID技法の中核的な課題として様々な理論・モデルが提案されてきた。「学習者中心設計」という用語を使うまでもなく、授業は学びを支援するためのものであり、学びやすい要素が含まれている(つまり学習効果が高い)授業が良い授業と考えることが出発点である。
 講義をして情報さえ提供すれば、あとは学生が自ら学んでくれる、と期待できる古きよき時代は良かったが、昨今では手取り足取り学び方まで教えなければならない「連中」も増えて世話がやけて困る、という嘆きも良く耳にする。高校までに学び方を教えていないのが悪いのだ、とさじを投げても問題は解決しないので、手を変え品を変え「転換教育」を試みる。ここにこそ、ID技法を応用し、「自分で学ぶことができる学生に育てる」ことが求められているのではないか。
 ID技法の中核は教え方のモデル・理論であり、それを自らの学習に応用できれば、自律的な学生が誕生する。入学時にそうなっていないのであれば、せめて大学卒業までには、自分で学ぶことができる学生にして世に出したいものである。
 上記をすべて満たして、さらにその上に存在するチャレンジは、学びたさ(魅力の要件)の確保である。学びたさとは、学習意欲(学ぼうとする気持ち)であり、その気持ちを涵養し、維持する学習環境を整備することを指す。授業に来る学生が教授の教えようとしていることをすでに学びたいと思って来ると仮定できれば極楽である。
 しかし現実的には、とりあえず単位をとるために教室に来る学生に、自分の専門の魅力を伝え、学習意欲に目覚めさせ、「先生の授業を取ってよかった」と感謝されるような結末をどのように迎えるのか。これが学びたさを設計するというチャレンジである。ID技法としては歴史が浅いが、魅力や没入感を設計するためのモデルも提案され、各分野で効果を上げている。学生を子ども扱いしないという観点からは、成人学習学の知見も参考にしたい。
 飴や鞭で当座の「やる気」は喚起できたとしても、長続きはしないし、やらされた感が残るだけだろう。結局は学生に学ぶ意義を伝え、学生の実力を伸ばし、学び舎を巣立つときには「この大学に来て本当に良かった」とプライドを持ってもらうための地道な努力を積み重ねる以外に王道はない。しかしその目的達成のために打つべき手・打てる手は多くある。
 四つの要素(システム+コンテンツ+アクティビティ+変革プロセス)
 「打つべき手」を考える際には、四つの要素を抑えるのが良いことを最後に触れたい。変えるべきは、大学システム全体なのか、授業内容(コンテンツ)なのか、学生に何をさせるか(アクティビティ)なのか、そして現状から目標までの変革プロセスをどう設計するか、という点である。学長主導で変革の旗印を掲げて着手できることは、まず大学システム全体の改善であろう。一方で、意識ある教員が自分だけでも着手できるのはコンテンツとアクティビティの改善である。その両者があいまって大学全体として何をいつまでにどういう形に変えていくのか、という変革のプロセスを描き、それに向かって新しい大学を創造していく。全体と部分を往復しながら、そして成果を確認しながら前に進む修正案を出し続けるのも、ID専門家職能の重要な一要素である。
 大学に限らず、どの業界であっても「同業他社」の動向を横にらみしながら、「あそこがやったのであればうちもやらないとまずいかな」という契機で改革が進むのが常である。ライバル意識を上手に活用し、一歩先を行く事例に学びながら、より教育力の高い組織に成長しようとする大学が増えることを期待したい。その目的達成のためにIDの研究成果が大いに役立てられることを楽しみにしている。