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教育改革

-2-インストラクショナル・デザイン学士課程教育構築の方法論になるか
インストラクショナル・デザイン入門(上)

熊本大学大学院教授システム学専攻長 鈴木克明

 インストラクショナル・デザイン(Instructional Design:ID)という言葉を耳にしたことがあるだろうか。
 わが国ではeラーニングの隆盛とそれへの過大な期待が裏切られた頃に、「どうも質の高いeラーニングを実現する手法として、IDというものがあるらしい」ということで注目を集めた。それは今世紀に入ってからのこと。欧米では、大学教育はもとより企業内研修や軍隊での訓練などで「教育の効果・効率・魅力を高めるための教育工学研究」として半世紀余りの実績があり、アメリカでは大学院レベルで一〇〇を越える養成機関が存在する。
 一九八七年にフロリダ州立大学大学院教授システム学専攻でPh. Dを取得した筆者の同級生・同窓生たちは、全米各地の企業や政府組織で教育専門家として教育研修のプログラム立案や管理を指揮、あるいは大学等の教育実践研究センターやID専門家養成課程に籍をおき研究者として活躍している。
 「教育的効果を高める」という視点からeラーニングが設計できる教育専門家を育てようという旗印で、熊本大学大学院に「教授システム学専攻(修士課程)」をわが国で初めて開設したのが二〇〇六年四月。欧米諸国やその影響を強く受けて(小中高教員以外の)教育専門家を輩出してきた韓国・シンガポール等のeラーニング先進国には、かなり水を開けられた状況である。
 大学で「教育課程を見直し、学習環境の構築と教育方法の改善に力を入れます」と謳ったところでそれを実現する専門家が養成されていない。この事態を何とか解消したい、教育内容の専門家(教員)と協働できる方法論の専門家を育成したい、という我々の想いに賛同して入学してきた大学院生の三分の一が私学関係者(事務部門が中心)である。とても心強いことだと感謝している。
 さて、二回にわたるID入門は、まずIDの視点で大学教育を眺めることから始めよう。
 結論から言えば、「出口(卒業生像)と入口(入学生像)をつなぐ成長プロセスとして、教育理念・カリキュラム構成・科目単位認定要件の三層構造と点検・改善メカニズム」として大学を見ることになる。次回は、そう捉えた大学教育設計の視点として、五つのレベル(いらつきのなさ・うそのなさ・わかりやすさ・学びやすさ・学びたさ)と四つの要素(システム+コンテンツ+アクティビティ+変革プロセス)の設計を解説する。
 出口(卒業生像)と入口(入学生像)をつなぐ成長プロセス
 IDの視点で見ると、いかなる教育システムもその大小に関わらず(四年間の課程全体であろうと一時間単位の授業であろうと)、出口と入口のギャップを埋める機能として把握することができる。大学の四年間にあてはめれば、どんな学生を入学させて(入口)、どんな学生として育てて輩出するか(出口)になる。一時間の授業にあてはめれば、どのレベルにある学生(入口)に何を教えるか(出口)を設計することになる。
 昨今の大学を取り巻く状況を眺めると、出口は徐々に厳しさを増して多方面からの要求が寄せられる一方で、入口に求められる厳しさはどんどん低落しているようで、いきおい四年間で埋めるべきギャップは大きくなっているように見える。それゆえに、大学の教育力(すなわち広がるばかりの出入口のギャップを埋める実力)が声高に叫ばれているのであろうが、出口保証と入口のオープン化がもたらす溝を埋める術を身につけることや、他大学にない独自の出口像を探ってアピールすることへの切迫感は大学によって温度差があることなのかもしれない。
 出口(卒業生像)は、大学設立の理念から導き出されることの他に、社会ニーズに応えるという使命によっても微調整が必要になる。学部ごとに関連する業界標準の動向を注視し、就職先にヒアリングし、あるいは同窓生の追跡調査などによって、敏感に出口を決め直していく柔軟性と内外への分かりやすい形での公開(たとえばコンピテンシーリスト)が求められる。
 「あなたが学んだことで就職してから最も役立ったことは何ですか(うちの卒業生のどこが魅力ですか)?」「あなたが学ばなかったことでこれを学ぶ機会があればよかったのにと思うことは何ですか(何が不足していますか)?」
 このような切り口で、教育内容の社会的妥当性を探る手法は、例えば筆者が学んだ専攻では定期的に実施されている常套手段となっている。大学に注文を付ける役割の同窓生集団が活躍している。
 一方の入口(入学生像)はどうだろうか。入学試験の多様化が進み、「何を入学生に共通して求めることができるのか」という問いへの確実な答えを得ることはもはや不可能という大学もあると聞く。多様性を尊ぶのは良いとしても、そうであれば多様な出口を用意するのか(そうなると出口保証はどうするのか)、それとも多様性の中のある共通項は、四年間で全員を同一レベルに押し上げる責任を内外にアピールするのかは考えておく必要があろう。
 加えて、入口は入学試験の内容と方法の予告効果も検討する必要もある。その入試に求められる(競われる)事柄を重視して選抜することは、その実力を持っていることが入学後に役に立つ前提条件となると考えていることを内外に告知している、という事実である。もし、「基礎知識の多寡はこの際多少どうでも良いから、もう少し別な資質(例えば将来展望の確かさ)を求めたい」と考えているのに、相変わらず基礎知識を問う入試をやっているとすれば、それは改善の余地がある、ということになる。
 教育理念・カリキュラム構成・科目単位認定要件の三層構造と点検・改善メカニズム
 出入口の確定と並んで大切なことは、学生の成長プロセスを保証するための「品揃え」である。ID的に大学を見るとき、筆者は、教育理念・カリキュラム構成・科目単位認定要件の三層構造で捉えることを推奨したい。自己評価・自己点検の体制づくりが叫ばれているが、その視点としてこれらの三層構造の把握から始める必要があると思う。
 私学の場合は、とくに設立からの教育理念を如何に実現していくのかという観点は重要である。カリキュラム全体に及ぶ科目横断的な指針は、教育理念から導き出されなければなるまい。
 次の段階は、専門領域ごとのカリキュラム構成。わが国の大学は、大学設置審議会への説明と四年間の監督期間経過までは存在していたはずの修了生像・就職先から導き出された履修プランや科目間連携図などが、時代の経過とともに忘れ去られ、「担当教員が好きなことを(勝手に)教えている」という、いわばカリキュラム不在の状態であると言われ続けてきた。入学から卒業までのギャップを埋めて産業界が求める人材を輩出するために必要なのは、カリキュラム(教育課程)であり、履修プランであり、科目間連携図である。それをもとにして必修・選択科目が割り振られ、科目間の内容深化を図るために前提必須科目群(いわゆる先修要件)が指定される。この「当たり前」を復活・機能させるだけでかなり良くなる大学も多いのではないか。
 最後の砦は、科目ごとの単位認定要件の明示と完全履行である。科目ごとに習得されるべき学習目標を明示し、どのような評価方法によって目標へ到達したか否かを判断するか。単位認定の最低基準となる要件を全履修者に予告し、それに到達しないものには断固として単位を認定しないというルールを徹底する。本来それは「シラバス」の役目であるが、シラバスは整備したがそれを見ても単位認定最低要件が分からないという事例が多いと聞く。
 形式だけ整えたのでは大学教育の実質は高まらない。単位認定要件の明示と完全履行の実施のためには、「本当にこの科目でこの評価に合格することが全員に必須なのか」という教育内容と評価方法の妥当性の吟味が必要であり、「一度で合格しない学生への救済措置はどうするのか」という学ぶ側への再チャレンジ機会の提供と教える側への完全習得支援への責任体制の整備など、大学教育の根幹に関わる難問が横たわっている。
 その問いへの正面突破こそが、真の教育力実現への王道であり、それを可能にするのがIDの真価であるといえよう。(つづく)