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高等教育の明日 われら大学人

<77>「がん探知犬」でがんの早期発見めざす日本医大教授
宮下正夫さん

山形県金山町で健診実施
医大生にエール 自分の夢、ロマンを持て

 「がん探知犬」を知っているだろうか。犬が持つ特殊な嗅覚を利用して、がんが発生するにおい物質をかぎわけ、がんを早期発見するように訓練された犬。日本医科大教授で同医大千葉北総病院(千葉県印西市)のがん診療センター長、宮下正夫さんは、2010年から、がん特有のにおい物質や探知犬の可能性について研究を進めてきた。これまでの研究で、探知犬は早期のがんをほぼ100%嗅ぎ分けている。検査は尿を提出するだけでよく、体への負担がない。陽性の場合も他の検査データから、がんの種類の絞り込みが可能になるという。宮下さんの指導で、「がん探知犬」を使った健康診断が山形県金山町で行われている。金山町を含む最上地域の1市4町3村は胃がんによる死亡率が高く、特に女性の胃がんの死亡率は全国ワースト。金山町は「がんを早期発見し、町民の健康に役立てたい」と期待している。宮下さんに生い立ちから医師になった理由(わけ)、医学部のこと、がん探知犬の可能性などを聞いた。

 宮下さんと「がん探知犬」の出会いは、こうだ。「8年前、テレビで、九州大医学部の先生が、がん探知犬を使った検査をやっているのを見て知りました。自分で探知犬に、人間の尿を使って調べましたが、全てかぎ分けました。がんを見つけるセンサーを開発する会社と一緒に研究を始めました」
「がん探知犬」の能力をめぐっては、マスコミや市民と医学関係者で異なった。「マスコミや一般の人は、理解してくれましたが、医学関係者は冷ややかでした。彼らは匂いが、がんの診断のマーカーになるということを教わったことがないことが大きな理由のひとつです」
宮下さんは、1953年、東京都目黒区に生まれた。近くに目黒不動や大鳥神社などがある住宅街だった。父親は会社役員、母親は専業主婦、兄と2人兄弟。どんな子どもだったのか。
地元の区立の小中学校で学ぶ。「元気な子どもでしたが、小児喘息で年に何回か発作が起きて、学校を休んだりしました。成績?小学校1年の時の通知表はオール3でした。空き地で野球するなど遊びに夢中で勉強はあまりしませんでした」
それでも、小学校高学年のときは、学級委員を務めた。「遊びの中心にいたから、先生もそれで選んだのではないかな。両親は、勉強しなさいとは言わなかった。好きなことをさせてくれました」
小児喘息が治ったころから、水泳にのめり込んだ。小学校6年の水泳大会で優勝して代表選手になり、中学2年からスイミングスクールに通った。記録が伸びて、当時、100自由形で東京都の中学生のランクトップにまでなった。
「水泳でオリンピックをめざそうと思いました。当時の仲間からモントリオール五輪に出た選手もいます」。都立広尾高校に進む。「毎日が水泳の練習で帰宅は夜10時過ぎで、受験勉強はしなかった。入れる高校にいけばいいと思っていました」
高校でもスイミングスクールに通った。高校1年の夏、転機が訪れる。「中学時代のベストタイムが、越せなかった。このままではオリンピックには出られないと思い、高2で水泳は辞めました」。そこで、「何になろうか」を考え出したとき、1本のテレビ映画と出会う。
民放で放送していた『外科医ギャノン』。「ロスのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)を舞台に心臓の外科医が活躍する番組で、水泳やっていて心臓や生理学に興味があったこともあって、UCLAに行って外科医になりたいと本気で考えました」
「勉強のほうは、英語はできたが、他の科目は中の上で、親戚に医者はいなかった。予備校に通い、2年浪人して日本医大に合格しました」。同大を卒業後、大学院に進み、病理学の研究を行う。
米国のNIH(アメリカ国立衛生研究所)のがん研究所で、2年半、発がん研究を行った。帰国後、東京・千駄木にある日本医大付属病院で、食道がんの手術で実績を残す。6年前から千葉北総病院に移り、外科部長、がん診療センター長を務める。
「がん拠点病院のがん診療センターの責任者となり、すべてのがんの取りまとめ役で、がんが早期に見つけられる仕組みづくりを考えました。そのとき、テレビで見たのが、人間の息や尿の匂いで早期がんを発見する能力があるがん探知犬でした」
がん探知犬の能力の報告がされたのは1989年で、ロンドンの皮膚科医が症例を医学雑誌に報告。女性の足のあざの匂いを繰り返しかぐ飼い犬の行動を不審に思った女性が、皮膚科を受診、そのあざが悪性黒色腫(皮膚がんの一種)だった。その後、訓練した犬で、肺がん、乳がん、子宮がん、大腸がんなどで匂いを介して見分ける報告がされた。
冒頭でも触れたが、がん探知犬には、医学関係者の反応は冷たかった。「大半は、ばかにしていました。みんな想定内のことしか認めようとはしない。そんなことはない、と考えることが大発見につながるのです」。大いなるロマンの持ち主。
宮下さんの検査は、10歳のラブラドールレトリバー犬で研究を続け、子宮がんでは50例以上の尿サンプルで全てのがんを嗅ぎ分けた。なぜ、犬にできるのか。「がん細胞の代謝により発生する有機物質のにおいを犬が嗅ぎ分けているのでは」と話す。
山形県金山町から、「がん探知犬」による検査をやりたいと言ってきたのは2年前。町の健康診断の受診者のうち同意した人を対象とし、日本医科大千葉北総病院が研究のとりまとめを担う。
「検体となる尿は町立金山診療所が採取し、うち(千葉北総病院)に送ります。がん探知犬は、良性の腫瘍には反応せずに、がん患者が出す息や尿からがんの有無を嗅ぎ分けて知らせます」
病院側は探知犬による検査に加え、尿に含まれるにおい物質などを特殊な機器で精密に分析し、がんの有無を判定。約3カ月後に陽性か陰性かの結果を知らせる。受診者に負担を掛けずに早期発見できる検査方法として、実用化が期待される。
金山町は、今年5月、2017年度、探知犬検診に同意した922人の検診結果を明らかにした。探知犬が陽性と判断したのは、男性4人、女性14人の計18人で、41歳から81歳。精密検査の結果、1人が早期の子宮頸がんと診断され、17人は経過観察となった。
課題も残った。探知犬が陰性とした6人に通常の検査でがんが見つかった。「探知犬の個体差や尿を入れる容器の大きさなども関係しているのではないか。全体的には、一定の成果はあったと思うが、正確性を期すため、検体数を絞るなど検診方法を一部見直すことを含め考えていきたい」
宮下さんの外科・消化器外科は、食道、胃、腸、肝臓、胆嚢、胆管、膵臓など消化器の疾患とヘルニアなどの疾患を扱う。各種消化器がんの他、良性疾患さらに腸閉塞など緊急性を要する急性腹部疾患などにも対応している。
医学部教授の立場で、医学生に言いたいことを尋ねた。「今の学生は、国家試験に通ることが第一で、そつなく優秀だが、型にはまっていて個性がない。型にはまった優等生になってほしくない。いろんなことに興味をもって、目先でなく20年、30年後の自分のロマン、夢を持ってほしい」
「私の夢?探知犬の訓練施設を金山町につくりたい。金山町の探知犬の検査をもっと広げてモデルケースにしたい。そうすれば、センサーの開発にもつながり、がん検査が簡便になり医療費削減にもつながる」。宮下さんのロマンは、探知犬から医療費削減へと大きく広がった。

みやした まさお 

学、敗血症など。2010年から、がん特有のにおい物質や探知犬の可能性について研究を進めてきた。山形県金山町で、「がん探知犬」を使った健康診断を指導する。日本外科学会指導医・専門医、日本消化器病学会指導医・専門医 日本消化器外科学会指導医・専門医、日本がん治療認定医機構がん治療認定医・暫定教育医などを務める。