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高等教育の明日 われら大学人

<74>鉄道マニアの「てっちゃん先生」
東京理科大学理学部化学科教授
宮村一夫さん

JR、私鉄を 全線完乗 達成
学生にエール「自然に接し、感受性を養え」

団塊世代などに人気のNHKの「ラジオ深夜便」で、「てっちゃん先生の旅のすすめ」に出演、知る人ぞ知る鉄道マニアである。東京理科大学理学部教授の宮村一夫さんの専門は、無機化学、錯体化学で、分子配列の制御と観察という難しい研究を行っている。そうした学者と鉄道オタクという対比がおもしろい。ラジオ深夜便では、「旅については独自の哲学を持ち、途中で起きるトラブルも楽しむという宮村さんに、鉄道の旅の魅力について語っていただきます」と紹介されている。鉄道の全路線を端から端まで乗車することを「全線完乗」というが、1988年にJR全線、2011年には私鉄全線の完全乗車を果たした。鉄道の旅の楽しみは、「計画を立てるのが一番の楽しみ」、鉄道の旅を続けるのは、「そこに線路があるから」と話す「てっちゃん先生」に、これまでの歩み、現在とこれからを聞いた。

鉄道の旅の魅力を聞いた。「この国には、山河があり、海や島がある。四季があり、歴史もあります。外国のような雄大な景色には欠けるものの、多様な風景が散りばめられた宝石箱のような国です」

こう続けた。「この国の鉄道も、路線網は減ったとはいえ、とても充実しています。乗れば車窓が勝手に変わってくれるので、宝石箱のような風景が移り変わっていく様子をゆったりと眺めていくことができます。寝ていても動き続け、気がつけば異郷の地に降り立つことができるのです」

宮村さんは、1956年、東京に生まれた。銀行員だった父親の仕事の関係で、生後8カ月で米国ニューヨークへ。「5年間、ニューヨークに居ましたが、覚えているのは帰国するとき、ロス経由でディズニーランドによって、ミッキーから頭をなでられたことぐらい」

小、中学校は海外で

小学校は、やはり父親の仕事の関係で東京と大阪で4年生まで過ごし、5年生の時、英国ロンドンへ。ロンドン郊外の小学校に編入する。「日本人は1人でした。英語は子ども同士で教え合ったりして何とかなりました」

日曜日は、日本語を忘れないように、ロンドンで大使館のやっている日本語クラスに通った。「体が大きかったのでいじめられることはなかった。英語はともかく、フランス語と算数では優秀賞をもらいました」

当時のイギリスは、景気がよくなく『黄昏のロンドン』といわれた時代。「それでも、住んだ家は3階建てで広い庭があり、4人家族には大きすぎました。日本の住宅がうさぎ小屋、と言われていた時代ですから贅沢な暮らしでした」

子どもの頃の海外生活を振り返る。「海外での生活を経験したことが、少し変わった人格の形成に関わっているように感じています。したいと思ったことは何でもやる、可能な限り実行してきました。それらが経験という宝箱に入っており、人生を豊かにしてくれたと思っています」

中学3年のとき、日本に帰国。私立成蹊中学校に編入、成蹊高校に進む。「高校では、成績が上位だったので、高3になるころ、附属の大学でなく、他の大学の受験を意識するようになりました」。東京大学理科Ⅰ類に進学する。

「入試の成績がよかったらしく、申請もしないのに奨学金団体から半年5万円の奨学金をもらいました。大学では、理科Ⅰ類の親しい仲間と夜ごと麻雀に明け暮れました。勉強?成績のほうは平均80点台をキープしていた」

大学に入ってまもなく、「てっちゃん」の道に入る。「大学1年の時、同級生と紀伊半島1周の旅をしました。東京から名古屋を通って和歌山まで鉄道の旅でしたが、すっかりはまってしまいました。当時、9月の試験の後、3週間の秋休みがあり、これを利用して北海道や九州も回りました」

どんな旅だったのか。「毎月、国鉄の時刻表を購入、急行が乗り放題の周遊券を使いました。東京から夜行の急行で出発、宿はユースホステルで1泊900円でした。いまのバックパッカーの走りかな、ユースホステルでは同好の士も出来て、夜、車座で喋ったり楽しかった」

当時、宮脇俊三の『時刻表2万キロ』がベストセラーで、国鉄のCMソング『いい日旅立ち』がヒット。「こうした鉄道、旅のブームに感化された面もあります。俺も全国の鉄道に乗って、(鉄道地図を)塗りつぶそうと思いました」

勉強のほうは?「将来は化学を勉強したい」と思っていたが、3年進級時に、工学部工業化学・合成化学科にいくか、理学部化学科に進むかで悩んだ。理学部化学科は、70点台後半の成績でないと進学できない人気学科だった。

「工学部工業化学・合成化学科の学科説明会を聞き、学科主任の吉川貞夫教授らと教授室で歓談、先生方の気迫に押されて、ここに決めました」。吉川教授の所属する合成化学科に配属された。

吉川研究室で、学部1年、修士課程2年、博士課程1年の計4年間、「置換基を有する大環状金属錯体」、「アルキル長鎖を導入した金属錯体」などの研究を行う。「学生が自主的に考え、研究テーマが生まれるという研究室の雰囲気を経験できたことは幸運でした」

1979年、東大工学部合成化学科卒業、81年、東大工学系研究科合成化学修士課程修了、博士課程中退後、82年に東大工学部助手になる。同工学部講師を経て、98年に東京理科大学助教授、04年から同教授に。

鉄道の全路線を端から端まで乗車する「全線完乗」は、1998年12月、JRは、新潟のガーラ湯沢~越後湯沢間を乗車したことで達成した。そのあと、2011年には私鉄全線の「全線完乗」を果たした。

JRの「全線完乗」を成し遂げたのは、東京理科大へ赴任してからだった。東大の学生、修士、博士課程から助手、理科大に赴任後...それぞれの時代、どのように鉄道に乗ったのか。

「学生時代にJRは全線完乗するつもりでしたが、博士課程中退で助手になってからは鉄道に乗る機会が減ったため達成が遅れました。学会で地方に出かけた際、時間を見つけて乗っていない路線に乗車したこともあります」

98年12月のJRの「全線完乗」は?「4月に理科大に来たとき、1駅区間残っていました。ガーラ湯沢と越後湯沢間で、冬しか運転しない区間でしたが、スキーもしないのに乗って達成しました」

2011年の私鉄の「全線完乗」は?「JRを乗り終わったら、民鉄も制覇したいという気持ちなりました。民鉄は、沖縄にもあるし、線路もモノレールからケーブルカーまであり大変でした。成し遂げたのは、線路がある限り、という気概ですね」

東京理科大学では、生涯学習センターで「鉄道の旅の楽しみ方」の講座を持つ。「今までの鉄道旅の経験から、旅程の作り方、準備、おすすめの場所等、鉄道旅の楽しみ方に加え、郵便局の記念印の一種である『風景印』の楽しみ方等をお話しします」

いまの学生について。「僕のころは、つまらん講義は聞かなかったが、今の学生の出席率は9割。晴れた日は外へ出て、自然観察でもしたらどうかと思う。自然科学分野では観察が大事で、そこから新しい発見もあったが、いまの学生はスマホに時間を取られ、スマホで済ませている。もっと自然に接して感受性を養ってほしい。大学の研究も役に立つこと、応用が中心で自然科学が疎かになっているのは理学の危機だと考えている」

自身のこれから。「大学では、博士を出来る限り多く育てたい。研究室で、冷結晶化と多段階のサーモクロミズムを同時に起こす化合物が発見された。蓄熱材料として遊具などに利用できるかもしれないので期待している」

趣味は世界を拡げる

こう付け加えた。「趣味は世界を拡げる、が持論なので、これからも鉄道の旅は続けます。新線も出来るし、リニアも登場する。まだまだ楽しみたい」。学者から「てっちゃん」の顔になった。

みやむら かずお

1956年8月、東京生まれ。幼児から小中学校と米国、英国で過ごす。東京理科大学理学部化学科教授。工学博士。東京大学工学部卒。82年、東京大学工学部助手。同大講師を経て、98年に東京理科大学理学部助教授、04年から現職。15年から17年まで理学部第1部学部長を務めた。専門は、無機化学、錯体化学。とくに分子配列の制御と観察を研究。日本化学会関東支部副支部長、日本分析化学会副会長などを歴任。自身のHPにプロフィールが出ている。〈モットー:公平、淡々、特技:突然、行方不明になること、通訳案内士の有資格者、身体的特徴:大肉大背、黒髪、黒目、狸系、趣味:鉄道の旅...〉