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高等教育の明日 われら大学人

<73>中国・孔子の78代目の子孫 東日本国際大学非常勤講師 孔 暁キンさん

日中の教育・文化の懸け橋に
中国語と論語講義  「教え方が丁寧」と学生に人気

「日本と中国の教育・文化の小さな懸け橋になりたい」。東日本国際大学(吉村作治学長、福島県いわき市)非常勤講師の孔暁キン(コウ・ギョウキン)さんの夢である。現在、同大で中国語と論語素読を教えている。中国生まれで、留学生として日本に来てから滞在11年半、ドイツで5年過ごし、日本語はペラペラ、英語も話せ、ドイツ語も少々という国際派である。姓をみてもわかるように釈迦、キリストと並び世界の3聖人と言われる中国の思想家、孔子の子孫で、78代目にあたる。留学中の早稲田大学大学院法学研究科で法学博士を取得、専門は、法学・公法学で、「中国人民陪審員制度研究」(日本評論社)という大著を刊行している。勉学だけでなく、中国琴の「古筝(こそう)」の名手で、大学や市民団体などのイベントで披露している。そんな孔さんに、これまでの歩み、大学生活、将来の夢などを尋ねた。

中国江蘇省徐州市に生まれた。徐州市は、人口900万人の大都市。父親は銀行員、母親は学校職員で、3人姉弟の次女。「姉と弟とはそれぞれ六歳離れていたので一緒に遊んだことは、あまりありません。古筝が好きで、子どものときは、毎日のように自宅で弾いていて、毎週日曜日は稽古に通っていました」

地元の小中学校に通った。小学校では絵を描くのも好きで、中学では合唱や民族楽器に親しんだ。勉強は?「成績はよかったほうです」と笑顔になり、「数学が好きでした」。高校は、地元の進学校に進んだ。

「高校2年になると、文系と理系に分けるのですが、私は化学が苦手なので文系に進みました」96年、名門の中国東南大学法学部に進んだ。父親の母校でもあった。

「大学に入るのは難しく、入ってからも熱心に勉強をしました。卒業が近づいたころ、外国へ行きたいと思いました。姉が日本に留学していて、『日本人は親切で、先生も優しく、とてもいいところ』と言っていたので、姉と同じ大学へ進みました」

2001年、九州国際大学日本語別科に進み、1年間、日本語を学んだ後、同大大学院法学研究科(憲法専攻)で修士を取得。「九州での3年間は楽しかった。勉強だけでなく、日中友好交流活動に参加し、姉と一緒に中国民族音楽のコンサートをやったこともありました」

大学院を終了した04年、「日本以外の国を知りたいと欧米に行きたいと思いました。友人を頼ってドイツへ留学しました」。半年間、ドイツ語を学び、現地のコンサルティング会社に就職した。

ドイツで4年半、仕事をしたあと再び思案した。「やはり、日本が好きで、大学の先生の仕事をしたい」。09年、早稲田大学大学院法学研究科(公法専攻、博士後期課程)に進む。

「しばらく仕事ばかりで勉強をしていなかったので、法律の文献を理解するのが難しかった。日本語を読むのは何とかできましたが、書くのは大変でした」。それでも、努力の甲斐があって14年に法学博士号を取得した。

卒論は、「中国の人民陪審員制度研究」。昨年8月、この卒論が大著となった。中国語と日本語の膨大な文献や現地調査報告書を読み解き、日本語で執筆。清朝末期から現代まで中国における陪審員の歴史、現行の人民陪審員制度の概念、実施状況、問題点と改革を論じた。

早大大学院を終了後、大学などで法律を教えたいと考えた。「中国に関係ある法律を教える日本の大学は数えるほどで、なかなか見つかりませんでした」

そんなとき、「法律だけでなく、中国語や中国事情、孔子論など幅を広げたほうがいい」という友人の助言があった。シラバスを作成して再挑戦、東日本国際大学が中国語、論語素読で採用してくれることになった。

同大学を運営する学校法人、昌平黌の緑川浩司理事長は、「目上の人に対する立ち居振る舞いなどは、日本人以上だと感動しています。中国出身ということで、発音や話し方が本物でとてもきれいと学生から好評です。これからの日中関係を鑑みて、本学の学生はじめ日本の若い世代と絆を結んでくれたらいいなと思います」と話す。

現在、4年制の経済経営学部・健康福祉学部と同法人のいわき短期大学で中国語、論語素読、中国語会話の3つの講義を行っている。「教えることが、こんなに楽しいとは思いませんでした」とこう続けた。

「皆さん、真面目に講義を聞いてくれます。特に、短大の女子や市民開放授業で見える社会人の方は予習復習を欠かさず熱心です。野球部など体育部の学生は、トレーニングで疲れているのか、ときどき居眠りする子もいますが...」と笑った。

中国と日本の大学生について。「中国は1人っ子政策もあって、親たちはこの1人の子どもの教育に全力を傾けています。また、中国は人口が多く、競争が激しい社会。いい仕事に就こうと必死に勉強します。成熟社会の日本では、そうした危機感はあまりありません。でも、勉強も遊びやサークル活動もやれる環境は羨ましいです」

日本の学生に言いたいこと。「中国の学生のように勉強しなさいとは言いませんが、中国の学生の勉強への取り組みや発展途上国の現状を知ることによって、自分たちは幸せな立場いるということを自覚してほしい」

授業を受ける学生の反応。「教え方が丁寧だし、中国語の発音が綺麗でわかりやすい」、「中国で起きていることなど授業以外のことでも親切に教えてくれるので楽しい」、「問題が出来たら褒めてくれるけど、怒る時は怒る、アメとムチを使い分けている」、「男女の区別なく、熱心に教えてくれる」と好評だ。

ところで、孔子の子孫というのを知ったのは?「もの心ついた時から、毎年、家族でお爺さん、お祖母さんのお墓参りに行っていました。お墓は、孔子の故郷である山東省曲阜市の孔林というところにあります」。孔林は、孔子と10万を超える孔子の子孫の墓碑が散在する。

文化大革命(1966年~1977年)のとき、孔子とその教え=儒教は、旧思想の代表として批判にさらされた。「当時、私は、まだ生まれていませんが、孔子の子孫でもあり、学校の先生として知識人でもあった祖父は非難されて自殺しました」。それまでにない悲しい顔をした。

孔子の家系図『孔子世家譜』(2009年に改訂)によると、登録された孔子の子孫は、200万人。「直系の子孫は、蒋介石と共に台湾に移り、現在も住んでいます。孔子の誕生日に行われる祭孔大典には世界中から子孫が集います」

中国では今、孔子が脚光を浴びている。中国政府は国外で展開する中国語学校を「孔子学院」と名づけ、習近平国家主席は公式なイベントで孔子を称えている。孔子についての思いを聞いた。

「血が繋がっていることが誇りとはおこがましくて言えません。大学で論語を教えていますが、2400年も前に、現在でも通用する言葉を編み出したのはすごいと思います。もっと(孔子を)勉強したい」

論語で好きな言葉は、「己所不欲 勿施於人(己の欲せざる所は人に施すこと勿れ)」。こう解説した。「人の気持ちが分かるようになること、相手の身になって思い・語り・行動することができるようになることです。これは人との付き合い、もっと大きくいうと、国と国との平和的な付き合いにも役に立つと思います」

最後に、ご自身のこれからを尋ねた。「日本は、中国にとって隣国で、昔から文化の繋がりがあります。いま、日中関係はいい状態とは言えません。日本で、若い人たちに中国語、中国の文化、現状、法律制度などを教えることで、中国を理解してもらい日中の友好に繋がればいいですね」。自身の論語の好きな言葉と重なった。

コウ ギョウキン

1979年生まれ。現在、東日本国際大学非常勤講師。2000年、中国東南大学法学部を卒業。04年、九州国際大学大学院法学研究科を修了。04年から08年までドイツでコンサルティング会社に勤務。09年、早稲田大学大学院法学研究科(公法専攻)に入学、一四年、同大で法学博士を取得。著書に「中国 人民陪審員制度研究」(日本評論社)。8歳から中国琴の古筝(こそう)を習い始め、中国でさまざまなコンクールに出場し多くの優秀賞を受賞。日本でも演奏会を行い、東洋の古典音楽の伝承・普及に尽力している。