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高等教育の明日 われら大学人

<83>「栄養と食事」で様々な提案 大妻女子大家政学部教授
川口美喜子さん

患者らに「食べる喜び」伝える
学生に臨床栄養学教える 「10年後の自分探しを」

 学生に臨床栄養学を教える傍ら、管理栄養士として幅広い活動を行っている。大妻女子大学(伊藤正直学長、東京都千代田区)家政学部食物学科管理栄養士専攻教授の川口美喜子さんの研究テーマは、病態栄養やがん栄養、高齢者在宅栄養。島根大学医学部付属病院で緩和ケアチームの一員としてがん患者らに「食べる喜び」を伝えてきた。東京・新宿の在宅医療拠点で高齢者や家族向けに栄養指導を行ったり、栄養と食事、スポーツ栄養などの分野で指導や講演も多い。「急性期病院(病気が発症し急激に健康が失われた急性期の患者や救急の患者のために機能を強化し体制を整えた病院)で回復した時間よりもその後の人生は長いという。「在宅で生きる時間は大切。人は老いを迎え機能は低下する。老いても、病気があっても『ごちそうさま』と家族で食べる喜び・笑顔を持ち続ける栄養と食事の提案を続けたい」と語る川口さんに生い立ちから栄養と食事の研究と実践、これからなどを尋ねた。

 川口さんは、講演する機会が多い。「がんと栄養」というテーマの講演を紹介したい。語り口はわかりやすくて優しい。こんな感じで語りかける。  「出会った患者さんの中には食事を取ること、それは生きること。食事がとれないことは体力を奪われていくこと。そんな思いが強く、食事量が低下することを不安に思う方がいます。食べたいものを食べれないことは辛いことです。体重が落ちていくこと、筋肉が落ちていくことに不安を覚えます。でも、食事にはいろんな工夫があります。これまで出会った患者さんのそんな思いに答えてきました。『諦めなくてもいいんだよ。我慢しなくてもいいんだよ』。食事は、楽しく美味しく食べてこそ、生きる糧になります」
 川口さんは、日本ではまだ少ない「がん病態栄養専門管理栄養士」で、その先駆けの1人。島根大学医学部で学んでいたときから、「食事は治療に代われるか」、「治療のほうが先だろう」という医療界の風潮に対し違和感を感じていた。
 「食事も患者を支える重要な要素であり、これを軽視してはいけない、と多くの患者・家族、医療者を対象にした講演会や研修会などで積極的に提言してきました」
 1957年、島根県仁多郡奥出雲町亀嵩(かめだけ)で生まれた。亀嵩は、松本清張原作の映画『砂の器』で一躍有名になった。『砂の器』で、殺人事件の手がかりとなったのが東北訛りと「かめだ」という言葉。刑事は、出雲地方は東北地方と似た方言を使用する地域で、島根県の地図から「亀嵩」を割り出す...。
 「山の中で農林業と畜産が主な産業でした。野山を駆け巡って遊んでいました。学校から帰ると家の手伝いをするのが日常で、妹をおぶって農作業の手伝いをしました。風呂は五右衛門風呂だし、戦後そのままという暮らしでした」
 県庁のある松江市には、年に1,2回行く程度だった。地元の中学に進む。「部活は陸上部と吹奏楽部、園芸部のどれかに入部するのが決まりでした。姉が陸上の選手だったので、陸上部に所属し記録を求めるというよりも時間を過ごす程度の練習をしていました」
 高校は、学区外の島根県雲南市にある県立三刀屋高校に進む。「自転車、電車、バスを乗り継いで高校まで2時間かかりました。通うのに精一杯で成績はビリから数えたほうが...。ただ、東京の映像や写真を見て東京へのあこがれが強かった」
 あこがれは大学進学につながる。「知り合いを通して小金井市の開業医が家の掃除や子どもの面倒を見てくれれば大学を出させてくれる、という話が来て親も安心で経済的な面も考えて、住み込みの大学生活を始めることにしました。小金井から通える大学を探し、身近な食べ物を学びたいと大妻女子大家政学部を選びました」
 「大学生活前半は、お手伝いとアルバイトをしながら、東京都済生会中央病院(港区三田)でボランティアもしました。この病院の先生が大妻女子大の非常勤講師で糖尿病患者を食事で治すという話をされ、これに感銘して管理栄養士の資格を取り卒業後、1981年から済生会中央病院に勤めました」
 済生会中央病院では、糖尿病患者への透析や治療法の勉強とともに管理栄養士が勉強する様ざまな研修会に出席。「病態別の治療法や栄養治療などの勉強をしました」。その後、ご主人の友人である島根医科大学(現・島根大学医学部)で糖尿病を研究する医師から誘われて同大研究生となる。

医学博士号を取得

 1993年、同大研究生を修了、博士(医学)学位取得。同大第一内科文部教官を経て2004年、同大医学部付属病院栄養管理室長に。「栄養管理室長になるまでの20年間は病院管理栄養士としてではなく、研究者として食をみることができ、栄養管理の大事さを身をもって知りNST(Nutrition Support Team、栄養サポートチーム)を立ち上げました」
 NSTは、さまざまな資格を持つ医療スタッフが参加、患者個人の病状や治療、栄養の状態に応じて栄養管理をしていくチーム方式の医療。患者の早期回復のほかに、治療費を削減、病院の運営コストの軽減にもつながると言われている。
 島根大医学部の10年間は栄養士として医療の力をつけることが出来た。「栄養管理だけでなく、がん患者への栄養治療、アスリートに対するスポーツ栄養の指導と支援、幼稚園から小中学校、高校までの児童生徒への食育指導など多岐にわたりました」
 2013年、母校である大妻女子大家政学科教授に。「私がやってきた病院栄養士をもっと育てたい。一方で、高齢化社会を迎え、在宅療養するケースも増えますが、医療が先で栄養面がないがしろにされています。食生活学、健康科学といった大学の教育・研究でなんとかしたいと思っています」
 先生の学生時代と比べ今の学生は?「与えられたことは忠実にやりますが、冒険心がないような気がします。大学4年間の栄養の学びで、10年後になりたい自分を見つけてほしい。4年間で知識と技術を身につけ、どういう人間に育つか、それにトライしてほしい」
 大学での講義、栄養と食事の指導や講演以外でも活躍は多岐にわたる。

栄養食器セット発売

 「栄養バランス食提供用食器セット」を考案、同大千代田キャンパスで発売。「理想的な栄養バランスの食事の実現が目的です。食器に記載された食材を盛り付け、食に対する日々の意識を高め、栄養バランスのとれた食事の習慣化が期待できます」
 フレイル予防の「ぶり大根醤油」や「さんまの醤油煮」などのレトルト食品をウエルシア薬局とともに開発。フレイルとは、「加齢とともに病気や生活機能が低下するが、介護などの支援により生活機能の維持ができる状態」のことだ。
 「開発にあたり筋肉をつくる働きのあるタンパク質の量を特に意識。1食あたり6~10グラムのタンパク質が摂取できるよう計算。介護食ではなくフレイル予防の食事なので、高齢者はもちろん家族みんながおいしく食べられるように気をつけました」

アスリートにも指導

 筑波大学サッカー部などのアスリートへの栄養指導も行っている。「どんな問題が栄養との関わりの中で必要なのか。辛い練習を日々行うアスリートにとって食べることが喜びであり、辛くあってはならない。好きなものを制限してはならない。勝つための栄養はないけれど、勝つために栄養を味方につけることが大切です」
 大妻女子大学管理栄養士スキルアップセンター(大妻女子大卒業生以外も対象)を3年前に立ち上げた。「地域・在宅療法の栄養問題に係る研究の推進と、その成果を社会に還元するのが目的です。大妻女子大卒業生以外にも地域における栄養ケアや在宅訪問栄養指導ができる管理栄養士を育てていきたい」
 これからを尋ねた。「管理栄養士スキルアップセンターは、管理栄養士の卒後教育でもあります。研修を終えたら修了証を出します。これまでに全国から56人が受講しました。栄養治療のできる管理栄養士を育て、超高齢化社会に健康と食事の面から健康長寿の方を支えていきたい。そのためにもセンターをもっともっと充実させたい」。そう言って目を輝かせた。医学博士と管理栄養士の目をしていた。

かわぐち みきこ 

1957年、島根県生まれ。管理栄養士、医学博士・がん病態栄養並びにスポーツ栄養(病院栄養士)。1981年、大妻女子大学家政学部卒業、1993年、島根医科大学(現・島根大学医学部)研究生修了。博士(医学)学位取得。同大第一内科文部教官を経て2004年より島根大学医学部付属病院栄養管理室長を務める。2013年より拠点を東京に移し、大妻女子大学家政学科食物学科管理栄養士専攻教授を務める。研究分野は、食生活学、身体教育学、公衆衛生学・健康科学。夫と長女、長男の4人家族。