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特集・連載

私大の力

<8>3・11の教訓 災害に生きる犠牲的精神
日本人の「良さ」非常時への備え

平山一城

■私大協75周年、連綿とつづく支援活動

 3月11日で東日本大震災から丸10年になった。2011(平成23)年の発生当時、日刊紙の記者だった私には、取材先での忘れられない言葉があった。
 「被災地の復旧といっても、元に戻すだけではいけないと思います。元(旧)の姿を超える復興を目指すのです」。あの非常時の現場で、誰からともなく語られたその気構えに驚くばかりだった。
 当時、この震災が日本人の「良さ」を引き出していた、と多くの人たちが感じていた。私もそのひとりだった。献身や犠牲的精神、そして、どんな苦難のなかでも家族を守り、同胞とともに国を、郷土を支えていこうとする精神力である。
 全国からボランティアが被災地に飛び込み、地域の人たちと泥まみれになって黙々と汗を流す。その日本人の姿を、海外メディアも驚きと敬意をもって報じていた。
 ボランティアの多くは各地の大学生だったが、その光景を目の当たりにして、この国の誰もが、この「日本人の良さ」を無くしてはならないという痛烈な思いにかられたに違いない。
 日本人は、明治維新でも、戦争や災害に際しても、それまでの社会のあり方よりも一段上の理想を描いて前進してきた。その日本人の魂につながっていきたい。被災地で復興を目指す人々は、そんな遺伝子のようなものに導かれていた、とは言えないだろうか。
 日本私立大学協会(私大協)は戦後の混乱期に組織され、今年で創設75周年になった。加盟校とともに、まさに、そうした日本人の歴史と文化を維持、発展させるために努力してきたのだと思う。
 東日本大震災の5年後には熊本地震があった。台風や豪雨による災害も増えているが、私大協はそのつど、被災状況の確認から復旧にいたるまで、各地の支部と連携して対応策を打ち出し、支援に取り組んできた。
 それは、戦後の日本を再び品格ある国家にしなければ、と私学振興に生涯をかけた先達たちからの伝統の灯を輝かせる営為である。

■先月の「10年後の最大余震」でも素早く

 先日、宮城、福島両県をはじめ日本の広い範囲が揺れた地震は、大震災の10年後にして最大の余震とされ、私たちは、地震列島に生きることの宿命を改めて思い知らされた。受験シーズンのピークでもあり、一部の私立大は地震の翌2月14日には、東北地方で実施予定の入試日程を延期したり、試験開始時間を繰り下げたりする対応を取った。
 福島学院大はホームページで、同15日に予定していた福祉学部の一般入試を20日に延期すると公表した。東北新幹線など公共交通機関の運休や乱れが見込まれることによる措置だった。
 盛岡大では、文学部の一般入試を14日午前に予定していたが、公共交通機関の運転見合わせなどを考慮し、仙台、青森、盛岡、秋田の各会場で開始時間をそれぞれ遅らせるなどの手当てをした。
 文部科学省も、被災地域の受験生らが個別入試の受験機会を奪われることのないよう日程の延期や追試験の実施などの対応を呼びかけていたが、私立大学の迅速な対応は東日本大震災の教訓を生かしたものとして評価された。
 盛岡大では、5年前の熊本地震でも、学友会やボランティア委員会「結-YOU-」 が中心となって義援金の募金活動を実施している。学生の呼びかけに教職員も加わり、集まったお金は日本赤十字社を通して被災地に送られた。
 福島学院大では、東日本大震災で宮代キャンパスの本館建物の2階部分が押し潰され、一時教職員らが建物に取り残されるという苦い経験をしていた。
 そうした経験を活かそうと、自治体や警察、消防、自衛隊など公的機関の人たちの労苦に感謝し、地元の人たちと協力して地域全体を元気づける様々な支援イベントを続けてきた。大震災後のリスク管理と情報開示(ディスクロージャー)のあり方について、他地域の大学と連携して研究会なども開いてきた。

■地域医療を自らの「ミッション」として

 東北医科薬科大は2016(平成28)年4月に国内37年ぶりとなる医学部を開設しており、そのミッション(使命)を「東北地方の復旧・復興の核となり、地域医療を恒久的に支えること」としてきた。
 独自の修学資金制度によって、国立大と同程度の負担で修学でき、卒業後は、それぞれが宮城県や東北の5県で勤務する仕組みを構築している。卒業後を見据えて、2年次から「同じ地域に同じメンバーで繰り返し訪れ、地域の生活と医療ニーズを理解し、モチベーションを向上させる取り組み」を展開している。
 東北の医療を支えるには、まず1人でも多くの医師を地域に定着させること。そのための施策のひとつとして考えたのが、東北各県の医療機関などでの一定期間の勤務を条件とする修学資金制度だった。
 これにより、成績優秀ながら私大医学部への進学をあきらめていた受験生に道を開くことができたのである。
 この新設医学部の特任教授、賀来満夫は感染症学のエキスパートとしてコロナ禍でのテレビ出演で有名になったが、世界規模で拡大する感染リスクに早くから警鐘を鳴らし、地域を巻き込んだ「東北感染制御ネットワーク」の活動を推進してきた。
 東日本大震災では感染症を防ぐポスターを作成し、それが熊本地震でも活用された。被災地への情報提供にも積極的に取り組み、西日本豪雨や北海道胆振東部地震などでも、「避難所向けの感染予防のための8カ条」「がれき撤去における感染予防のポイント」などの情報がインターネットからダウンロードされ、使われている。
大 学では「医学部医学科の1期生がいよいよ来年、卒業します。皆さまからのご支援やご指導をいただきながら、地域医療の充実に着実な歩みを進めて参ります」と誓っている。

■「災間」の自覚で地域貢献に一層努力を

 コロナ禍では、日本の実力が再び試されることになった。世界中の国々が自国内のことで手一杯という危機にあって、国民の行動力が問われる。日本人の良さを保持しながら、どのような将来像を新たに描いていくのか。いま、その正念場にある。
 国際日本文化研究センター准教授の磯田道史は、東日本大震災後の社会のありようを「災後」とする声があったことに対して、「災間」ということばを使い、日本列島に生きる私たちは、ひとつの災害と次に起きる災害までの「間の」時間を生きていることを強調する。
 大事なことは、災害の犠牲者へのレクイエム(鎮魂歌)を奏でながら、そこから教訓を読み取り、次の災害に備えること、「起きてもいないことを想像すること」が防災の生き方と訴える。
 その想像力について磯田は、歴史学者らしく、「たとえば信長が殺された時、京都で戦う作戦を持っていたのは豊臣秀吉だけ。それが勝者の法則です」という。
 大学の第一義的な社会的役割はもちろん教育と研究であり、被災していない大学は日常的な教育研究活動を継続することが重要である。
 しかし同時に、「災間」の覚悟を忘れずに、防災の知識を高めて復興に貢献できる人材を育成することが、この時代の大学の重要な使命になっている。大学コンソーシアムや大学間連携を活用することもより一層重要になるだろう。
 私立大学はそれぞれの建学の精神に沿って特色ある教育プログラムを開発し、地域貢献を深めてきた。大震災から10年を機に、大学に何ができるかを改めて、しっかりと考えたい。
(敬称略)