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特集・連載

私大の力

<59> 私大協80周年 其の三
「基本研」谷岡新担当理事
「新思考」話し合いの場を

平山一城

■12月の記念事業で国際交流イベント企画

 日本私立大学協会創立80周年の記念式典は今年12月1日に挙行されるが、その翌日の2日には関連した国際交流イベントが開かれる。取り仕切るのは、私大協副会長で国際交流委員会の担当理事・委員長をつとめる谷岡一郎だ。
 谷岡は今年3月、令和7年度版「国際交流事業報告書」で、「70周年の時には、いくつかの国々と友好協定を結び、国際シンポジウムも開催しましたが、今年はとくにタイ、台湾、韓国、インドネシア、モンゴル、ベトナムなどの国々からも代表の参加をあおぎ、協定の延長・継続などの文書を交わす予定です」と述べている。
 イベント内容の詳細は現在、委員会スタッフによる詰めの作業が進んでいるが、包括協定の対象国がアジア各地に広がったことで、国際色豊かな、にぎやかな催しになることは間違いない。
 そして谷岡には今年度、私大協でもう1つ「私立大学基本問題研究委員会」の担当理事・委員長の役職が任された。私学行政に精通し、オピニオン・リーダーとして同委員会を長く率いた金沢工業大の黒田壽二が顧問に退いたことに伴う人事だ。
 私大協のホームページには「高等教育の構造的大転換(パラダイムシフト)を目指し、私立大の意見をまとめる」とある重要ポストだが、谷岡は「他に適任の方がおられる中で、委員長などと大それた肩書きを戴くことになり、正直、何をやったらいいのかまだよくわかりません」と、理事一流の軽やかさで答えてくれた。
 「ご存じのように、国の私学行政は、フォッセ(アルカディア市ヶ谷内のレストラン)の日替わり定食のようにコロコロ変わりますので、10年後はおろか1年先すら見通せないのが現状です。この委員会は元々、私学経営の根幹に関わる問題を話し合う場でしたが、問題自体がこうも多く、複雑な世の中になると、考え方を変えなくてはならないのかもしれません」
 とは言いつつ、「いくつもの問題点が切り離しては考えられない状況、になっているのではないか。たとえば、定員充足は入試と関係しますし、入試は大学のポリシーや学部構成、さらには経営母体の体力とも関係する。国際交流も同様です。いま考えているのは、問題ごとに小さなワーキンググループを作り、ざっくばらんに話し合い、統合していく場を設けることです」と熱を込めた。

■私大協との関係は大学生だった19歳から

 谷岡と私大協との関係は長く、19歳だった1975(昭和50)年にまで遡る。しかもその場が、今回担当となった「基本問題研究委員会」だったらしい。
 「当時から『基本問題(研究)委員会』と呼ばれたと思いますが、その会合が関西で開かれた時です。持ち廻りで2泊3日程度のスケジュールと記憶していますが、その年のホスト役は私の父、当時関西支部の責任者だった谷岡太郎(大阪商業大)でした。『お前も手伝いに来い』と言いますので、慶応大で1年目の夏休みに入っていた私も、全行程に参加したのです」
 1975年は、私立学校振興助成法がようやく成立をみた年であり、「国は、大学などを設置する学校法人に対し、教育又は研究に係る経常的経費について、その2分の1以内を補助することができる」と謳われた。私大協の会長は中原實(日本歯科大)、事務局長は矢次保の時代で、私学助成が本格化するとの期待が高まっていた。
 「私は、そうした議論を理解できていたわけではありませんが、中原会長、矢次事務局長をはじめ、のちに大変お世話になる原野幸康先生、黒田壽二先生、森田嘉一先生...といった方々にお会いできたのは貴重な経験でした。あれからもう50年も経ちますが、思い出すのは、とくに原野先生(後の事務局長)にはその後、何度も自宅に呼んでいただき、(私学のことだけではなく)多くのことを学んだことです」
 「あえて2人に絞れば」と谷岡は、「大師匠」と呼んで敬慕する先輩として京都外国語大の森田嘉一と黒田壽二の名をあげた。森田は3年前に亡くなったが、谷岡の父、太郎の後の関西支部長を30年近くつとめ、とくに、国際的な大学の長や責任者が集うことで有名な「世界大学総長協会(IAUP)」との縁を取り持ってくれていた。
 「京都外大にはメキシコ領事機能があり、森田先生は領事も兼ねておられた。私大協副会長として国際交流委員長も引き受け、私にバトンタッチするまで、日本語教育システムを含む多大な貢献をされた。日本を代表する国際人でありながら、伝統を重んじる風流人でもあり、高級料亭での正しい作法、たとえば正月の祝儀の渡し方なども、教えてくださった。まさに私の大師匠(親分)でした」
 金沢工大の黒田との関係で忘れられないのは、1993(平成5)年のIAUP神戸総会の準備中、谷岡が寄付を集めるのに苦労していた時に、黒田が準備委員会の他の理事たちに呼びかけてくれたことだという。
 「黒田先生は『このIAUP総会は私大協が主導して引き受けたものだ。原野さんと一郎君に金集めをさせるのは間違っている』と言い、こう付け加えたのです。『ここにいる皆さん、どうか団結して協力して下さい』と」
 これが呼び水となって必要な金額が集まり、総会を成功させることができた。「それ以来、事あるごとに私に目を掛けて下さり、共済の運営委員長や基本研委員長を仰せつかっておりますが、いずれも黒田先生に『次は頼むぞ』と言われた役割です」という。

■「IAUP」では40年に渡って活動経験

 1980(昭和55)年、慶応大法学部を卒業した谷岡はアメリカの南カリフォルニア大に留学し、修士・博士を修了。アメリカ滞在は通算8年に及び、その間にIAUPとのつながりも生まれた。
 「IAUPは一時、新興宗教の団体に関与したことで、参加を取りやめる大学が多かったのですが、京都外大の森田先生と親しかったメキシコの学長が会長に就任して組織改革を断行します。1986年、メキシコのグアダラハラ市で理事会を開き、国際交流委員長だった父が日本を代表して参加します。その時も、父から留学中の私に声がかかり、アメリカから父に合流してカバン持ちをしていました」
 これが私大協で国際交流に関わるきっかけともなったが、それ以来40年、日本に戻って大阪商大の教職についてもIAUPでの活動も継続し、事務局長補佐や財務担当理事など多くの役職を務めている。
 グアダラハラ市では、1987年に3年次総会が開かれ、3年後の日本での総会開催が打診された。国際交流委員会で検討した結果、6年後の1993(平成5)年開催なら対応できるということになる。総会の3年前に、次期会長と事務局長を決めて準備するとの慣例から、当時、私大協事務局長になっていた原野幸康が次期IAUP事務局長に任命され、会長には開校間もない放送大理事長の宮地貫一(元文部事務次官)が就任した。
 「宮地、原野両先生とも英語は堪能でしたが、国際会議の準備をできるレベルではありません。しかも多忙な方々ですから、私と大阪商大教授(当時)の鋤柄光明が補佐役になり、かなりの距離を移動しつつ、総会の内容を煮つめました。その経験はのちに、桜美林大の佐藤東洋士先生が会長として2017年に横浜総会を開いた時に役立ったと自負しています」
 IAUP総会での準備作業を通して育まれた人脈は、谷岡の大きな財産になった。放送大の宮地を通しては文部行政の幹部たち、さらに全国の国立・公立大の関係者、スポンサーとして協力してくれた経済界の有力者とのつながりもできた。国際機関や国連大学、各国の公務員たちとの交流も深まった。
 その中でも、国連で広報関連の仕事をしていたラムー・ラマドランとは現在も年に1度は訪れるほど懇意な仲だが、忘れられないエピソードがあるという。
 「IAUP会長を打診しようと、あるアメリカの大学の学長宅を訪問した時でした。偶然、ラマドラン氏が顔を見せ、のちに『アカデミックインパクト』という国連が進めるプランの話になったのですが、それが後の国連の『持続可能な開発目標(SDGs)17』の原型になるのです。ですから元々は、IAUPを代表する我々に対してラマドラン氏が初めて提案したイニシアチブだったのです。SDGsがより有名になり、『アカデミックインパクト』は影は薄くなっても今でも生きています」
 IAUPとは別に、留学生交流を促進させるための単位互換システムの活用を目的とした「アジア太平洋大学交流機構(UMAP)」でも35年に渡って活動し、重要な役職を歴任している。

■「AIをどう使うか」リーダーの条件に

 国際交流に大切な「グローバル」な視点について、谷岡は「言語や知識ではなく、相対的な視点を持てるかということ」と語る。進んで新しいことを吸収しようとする好奇心も重要なポイントであり、大学に留学を考えている学生がいたら、背中を押してやってほしい、という。
 「若者の内向き的思考は、外を見て学ぼうとする意欲の欠落に根本原因があるように思えますが、若いうちに機会を逃さず、異文化の世界を是非経験してほしいのです。キャンパスで学ぶ海外からの留学生が増えることも嬉しいことのひとつです」
 これからの世界では、自分で考え決断できる人たちがリーダーになるだろう。AI(人工知能)が活用される社会では「AIに従うだけの人々」と「AIをどう使うかを考える人々」に分かれることが考えられる。自ら新たな文化に飛び込んでみようという人こそがリーダーにふさわしい、と確信している。
 教育には「良きこと」という前提があり、新たな知見は独占・寡占の対象ではない。それは国や立場が異なっても、何ら変わらない。明治以降、多くの中国人エリートたちは日本で学び、国の発展に寄与している。戦後の日本では、アメリカのフルブライトなどの奨学制度の恩恵を受けた人たちが、経済発展の一翼を担った。
 「これからは、日本が他の国々、特に戦争などで迷惑をかけた東南アジアや北東アジアの発展に手を貸す番だと思います。それは私大協の初代事務局長、矢次保先生に言われたことでもあります。現在の日本は経済的に少々苦しい状況のようですが、そのスピリットは持ち続けたいと考えています」。そう力を込めた。