特集・連載
私大の力
<55> 東日本大震災15年
学生ボランティア深化
復興から「教育・発信」へ
■政府も4月から「復興・創生」総仕上げ
東日本大震災から今月11日で丸15年になる。多くの大学で、それぞれ被災地支援を続けてきたが、ここに来て、これまでの支援形態を振り返り、「新たな視点」で工夫する学生たちが増えている。
大学にとって震災は、危機管理の厳しさを教え、長期的な地域再生や人材育成の契機ともなった。また、15年の間には、熊本や能登地方でも大きな地震災害を経験したことで、学生たちの視野もより広いものに変化している。
政府の復興政策も、来年度から5年間の「第3期復興・創生期間」という総仕上げの段階に移る。被災地の地域経済は、成長の道筋をいまだ模索しているものの、今後は新たな産業育成や観光振興などに重点を移していくという。
震災の翌年、2012(平成24)年2月に復興庁を発足させ、出先機関として宮城、岩手、福島の3県に復興局を設置していたが、原発事故対応のある福島復興局を除いて、今月で廃止することになった。
宮城と岩手については、ハード面のインフラ整備などに「一定のめどがついた」とし、今後は東京の復興庁本庁の主導で、「地方創生」「防災減災」「心のケア」など、より広い観点からの支援事業を進める方針だ。
これまでの「復興」という特別枠から、通常の行政施策へと切り替えが進むわけで、大学としても、そうした状況に即応した「新たな形での連携」への転換が模索されるようになっている。
そして、その核となるのが、被災体験を共有しながら「教育・発信」につなげようという新たな取り組みである。
15年の月日が流れ、被災した子供たちも大学生になり、大人になっていく。そうした若者たちが、自らの体験を語り・伝え、地域の防災体制の構築に役立てようと、各地で交流会を開くようになった。
宮城教育大のある女子学生は、能登地方の小学校を訪問して、児童たちに語りかけるなど、積極的な発信活動に挑んでいる。
震災当時、石巻市内の小学1年生だったが、小学校の教員になる夢を共有していた親友を津波で失った。その約束を果たしたいと、「命を守れる教員に」との使命を感じながら、今月、大学を卒業して教職の道に進むことになっている。
こうした現地の「語り部」の活動と連携するように、東北以外の大学でも、災害と向き合う交流会や「伝承」の取り組みが目立ってきている。
■神田外語大では「復興発信」プロジェクト
神田外語大(東京都)では、神田外語グループとして2023(令和5)年に福島県と包括連携協定を締結して以来、教育活動を通して福島との連携を進めてきた。その一環として学生主体で実施しているのが「震災復興発信プロジェクト」で、15年の節目として2月17日、福島の復興と学生の学びを世界に発信する取り組みを実施した。
グローバル人材の育成を目指す柴田真一ゼミの学生たちが、地元新聞社の協力を得て、福島県の浜通り地域を訪問し、新しい産業や特産品、地域振興のようすなどを、自らの目と耳で取材し、日本語と英語による震災復興新聞『福島とともに(英題"Together with Fukushima")』を完成させた。
この新聞を福島県知事(内堀雅雄)に贈呈して、座談会などを企画した。さらに海外提携校を対象に、学生たちが英語でオンラインプレゼンテーションを実施し、学生たちの視点で捉えた「福島の光と影」を世界に発信した。
学生たちは「本プロジェクトを通じて、福島の過去と現在、そして未来を、国内外に力強く伝えていきます」と誓っている。
聖学院大(埼玉県)では、多くの児童・教職員が津波の犠牲となった石巻市の大川小学校に、ボランティアの「スタディツアー」として年1、2度訪れている。これに対し、「これまでの仲間としての関わりに感謝を伝えたい」との現地からの提案を受け、2024年10月、講演会「東日本大震災から仲間と共に未来をひらく」を開いた。
講師には、当時の大川小の5年生で、津波に飲まれながらも助かり、復興に取り組む「Team大川 未来を拓くネットワーク」代表の只野哲也と、宮城県の元教員でネットワーク顧問の佐藤秀明を招き、震災時の大川小の出来事や学校保存、地域コミュニティ再生への想いについて聴いた。
只野の主宰するネットワークとは2019年、聖学院大を含む埼玉県内の4大学の学生が企画したボランティアサミットを契機に、連携が強まった。「未来を拓く」は大川小の校歌のタイトルであり、「大川小から学び、それぞれの"未来をひらく"ことに繋げてほしい。埼玉に住む私たち学生が、東北に関心を持ち、関わることの意味について共に考えていきたい」という。
大川小をめぐっては、東京工芸大(東京都)でも企画展「語りにくさを語る ― 大川小をめぐる15年の対話」を今月10日から22日まで開催する。芸術学部インタラクティブメディア学科アート&メディア研究室が主催し、研究室教授の野口靖の指導で3年生らが企画・運営する。
大川小で起きた津波事故を題材に学生が制作した作品をはじめ、遺族による伝承や表現活動としての映像作品、アーカイブ資料などを展示し、関連する映像作品の上映やトークショー、ワークショップなども実施する。
■津波で亡くした親友との「約束」を胸に
高校1年の時に被災した阿部任(じん)は、震災伝承のための公益社団法人「3・11メモリアルネットワーク」を運営する。昨年8月、「災害と教育―伝承実践交流会」を開いた際に、登壇者のなかに宮城教育大4年の高橋輝良々(きらら)の姿があった。
法人のホームページなどによると、高橋は石巻市の門脇小1年生だった時の被災体験を伝えようと各地で伝承の活動を続け、昨年11月には阿部とともに、能登地震の被災地、石川県穴水町の中学校を訪問し、約70人の生徒たちに語りかけた。
高橋には、共に教員になる夢を語りあった親友が、津波で亡くなったという痛切な経験がある。自分は教育大に入り、その夢を掴もうとしているが、親友は戻ってこない。大学で学生たちが自主的に学ぶ「3・11ゼミ」に所属し、石巻市の震災遺構となった門脇小を訪れて、当時の校長や関係者らと交わる中で、自らの経験を伝えることの大切さを痛感した、という。
「あの日、大切な友人の命が奪われた。命を守れる教員、防災教育に強い教員になりたい」。高橋は交流会に、生前の親友からもらった鉛筆、渡そうと思っていた「ありがとう」のカードを持参し、毎年、震災忌が近づくと親友を宛名にした手紙を書いていることなどを率直に語っている。そして「地震、津波という不測の事態に備え、命を守るために何が必要か、感じて考えてほしい」と訴える。
高橋だけではない。東北各地の大学からは、子供の頃の震災体験を背負って成長した学生たちが「次の世代に、何を、どのように伝えるか」を考える活動が活発化している。そしてこうした動きに呼応するように、東北以外の大学からも連携の伝承活動が生まれている。
■悲しみの「壁」を越えて共有できるもの
東日本大震災で各地の大学は、積極的に復興支援のためのボランティア活動に取り組んできた。当初から、瓦礫(がれき)撤去、募金や物品の寄贈、心のケアなどを目的としたイベント開催などを進め、被災地と連携して復興に貢献する多彩な活動が、大学教育に新たな境地を開いたことも指摘されている。
いわば「教育・研究」の一貫として活動を継続する中で、復興支援の意味を学術的にとらえるプロジェクトなど新しい教育形態が深化するとともに、震災遺構や震災の記憶を継承し、それらを次世代にどう伝えるかという研究領域が着実に育ってきている。
どうなれば、「復興」は完了したと言えるのか。そんな実感が持てることはないのかもしれない、と被災地の人たちは言う。それでも、大地震がいつあってもおかしくない日本で、経験を伝承する意義だけは変わらない。そのことを学生たちが実感するようになった。
「3・11メモリアルネットワーク」の阿部によると、同年代が語り部として活躍する姿に憧れ、震災伝承に参加する若者たちが増えている。そして彼らの多くが、ただ悲しい記憶を伝えるだけでなく、聞いてくれる人たちと共に、生き方の指針を考えるような伝承のあり方を模索している。
「自分は、家族を亡くすような悲しみは経験していない」。実体験のないことを「壁」に感じる学生たちがいることも確かだが、それでも、自らの意思で災禍を学んで伝えようとする姿に希望を感じる、という。
15年を経て、震災直後の緊急支援から、記憶の継承、防災の日常化、地域課題解決型の教育へ、と大学の役割は深化している。
