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<33>女子栄養大学
全国の“食”のプラットフォームへ
健康と地域活性を目指す取り組み

埼玉県坂戸市は、埼玉県のほぼ中央に位置する。江戸時代には、日光脇往還の宿場町として栄え、現在の人口増減はほぼ横ばいである。2006年に女子栄養大学と連携して「さかど葉酸プロジェクト」を推進し、市民の健康増進を政策として行う。女子栄養大学は、栄養学部(実践栄養学科、保健栄養学科、食文化栄養学科)と短期大学部食物栄養学科を擁し、全国に管理栄養士・栄養士・養護教諭・家庭科教諭・臨床検査技師・栄養教諭等を輩出し、卒業生のほとんどが「食」に関する仕事に就く。坂戸と、東京・駒込にキャンパスを有し、全国の自治体等と様々な地域連携活動を行う。香川明夫理事長・学長にその取り組みを聞いた。

●坂戸市の医療・介護政策に貢献

母体である学校法人香川栄養学園の建学の精神は、「食により人間の健康の維持・改善を図る」。日本の実践栄養学の母であり創設者である香川 綾女史が目指した予防医学と栄養学の実践を具現したものがこれら教育機関であり、学園が目指す地域連携の姿と言える。当然、栄養学を基にしたレシピ開発は「健康」こそが念頭に置かれる。「栄養士は調理師と医師の中間的な存在です。健康は重要ですが、だからといって「まずい健康食」を提供しても誰も見向きもしてくれません。そこで本学は調理の実践ができる食の専門家を養成しているのです」。
坂戸キャンパスには、全身の代謝を測定する人体栄養測定の研究棟(メタボリック棟)を備えた生活習慣病研究センター、「健康科学」、「実践栄養学」、「生活文化・社会科学」、「スポーツ栄養学」の四部門を置く栄養科学研究所を設置し、企業や病院・医療関連施設からの委託研究などを行っている。特に、生活文化・社会科学部門があることから分かるように、「栄養(学)」は主に栄養素を扱うという意味で、食における一つの理系的学問分野に過ぎない。食そのものは、人間を取り巻くすべてに関わり、文化・歴史・国際情勢、あるいは経営・経済、そして、分子生物学、医学、土壌学、生態学等々、その学問領域の間口は広く深い。
地域連携に力を入れる契機となったのは、先述の坂戸市との「さかど葉酸プロジェクト」である。「約15%の日本人は遺伝子的に葉酸欠乏を起こしやすく、これが脳卒中、認知症、心筋梗塞などの病気を引き起こします。市が、本学の研究成果を活かし、市民ボランティアも協力して、これら疾患を予防するプロジェクトがスタートしました」。この活動により、市の医療・介護政策の推進に寄与している。
葉酸を使用した商品開発は多数に上る。株式会社サンメリー(ブレッド開発)、ハウスウェルネスフーズ株式会社(葉酸米の開発)、あみ印食品工業株式会社(野菜だし「葉酸生活」の監修)などと連携、現在も売れ行き好調であるという。全国的にも市町村の依頼に合わせ、例えば、食塩摂取量の多い地域では減塩メニューを開発するなど、地域の特性に合わせた取り組みを行う。

●大ヒット商品となったヘルシー弁当

この大学の数ある地域連携の具体的成果をいくつか見てみよう。
荒川区とは、2006年より「あらかわ満点メニュー」事業を行っている。これは、西川太一郎荒川区長の音頭で、主に短期大学部の岩間範子教授(当時、現名誉教授)とゼミ生が中心に、区内飲食店(現在60店舗ほど)とともにヘルシーメニューを考案し、提供しているもの。一つの店舗ではなく、地域内の飲食店へのメニュー提供という「面」での展開はユニークである。現在では、弁当・惣菜店、居酒屋にもジャンルが広がり、メニュー開発を通じて飲食店の店主側の健康意識にも変化が表れ、満点メニュー以外でも健康を意識した料理を提供するようにもなってきているという。
2013年、香川県と連携協定を締結、食文化栄養学科が協力して商品・レシピを共同開発した。2017年には、学生が、県産のイチゴ、アスパラガス、ブロッコリーを使用したレシピを考案し、「レシピ集」を発行。「ブロッコリー餃子」、「ブロッコリー焼売」、特産のアスパラガスを使用した「さぬきのめざめと鶏もも肉のカレー」は商品化され、JA直売所や東京のアンテナショップで販売している。
群馬県の嬬恋村とは相互協力・連携に関する協定を結んだ。村産のキャベツを坂戸・駒込のカフェテリアに毎月20ケースを送ってもらった。このキャベツは学生に無料配布されるとともに、オープンキャンパス参加の高校生への昼食メニューや嬬恋ランチとして提供。また若葉祭にも出展している。「こうしたことが各メディアで取り上げられたため、『女子栄養大学と協定を結びメニューを開発する』ことで地域活性化を試みる自治体で認知度が上がったのだと思います。大学には、協定を結んだ自治体等から様々な食材が送られてきます。56,000名を超える卒業生ネットワークには、自治体に勤務していて、母校を頼りにしてくるケースも少なくありません」。協定を結んだ地方自治体は、埼玉県の市町村を中心に、秋田県、福井県、香川県、北海道、遠くは沖縄県久米島町まで全国にわたる。
産業界とのメニュー開発の連携も多い。
2012年のイオン株式会社との包括協力協定では、石田裕美教授や豊満美峰子准教授とゼミ生が参加し、同大考案の食事法である「四群点数法」に基づいたバランスの良い商品開発やメニュー提案を行った。「彩り野菜のつくねのっけ弁当」は大ヒットとなり、『ファベックス 惣菜べんとうグランプリ2017(健康・ヘルシー部門)』で優秀賞を受賞している。また、生活協同組合コープみらいと開発した「三色ごまたっぷり 鶏肉のごま醤油焼き弁当」も売れ筋ランキングで上位に食い込み、同グランプリで金賞を受賞した。
埼玉県内随一の栗の生産地・日高市と製造・販売を行う株式会社かにや、浅尾貴子専任講師とゼミ生たちは、高級食材の高麗川マロンを使用したテリーヌ「栗匠 高麗川ブラウン」を開発した。高麗川マロンの購入者の傾向を分析し、ブランド力を強化し、更なる知名度アップと生産者の意識向上を目的としたもので、学生はアンケート調査から試作を繰り返した。市のウェブサイトでは、「直接的な農業者支援だけではなく、営農継続につながる仕組みの構築という間接的な支援を行うことにより、生産者自らの自発性が高まることを期待している」と紹介されているとおり、この取り組みは農産物の継続的な生産という側面においても重要であると言える。
また、建設会社との間では、社員及び建設現場従事者への食生活指導を行っている。建設現場従事者の食事は、栄養バランスが悪いものが多いという。「長い目で見れば、健康を害してしまうかもしれず、そうすると建設工事の計画が狂うかもしれません。毎日の食事は日本社会の営みに大きな影響を与える可能性があるのです」。先述の嬬恋村でも、農繁期には農家の食事バランスが悪くなるため、食事指導を行ったり、こまめな水分補給を提案したりするのだという。
自治体が地域の継続性を考えれば、生産者をはじめ市民一人ひとりの健康を考えざるを得ないのである。

●食を通して意識が変わる

産業界や自治体からの依頼は、まず社会連携課が窓口となり、調整して、教員から適任者を検討する。教員は、食材や予算等の各条件のもと、ゼミ生を交えてメニュー開発等を行う。「基本的には、ご要望いただいたものに関してお受けしています。開発費は食材を含めて拠出してもらいます。学生の食育企画なども合わせると数多くのプロジェクトが進行しています」。また、学園独自の「女子栄養大学生涯学習講師」という卒業生向けの認定制度があり、この認定者に連携事業への参画を依頼することもある。こうして幅広い卒業生ネットワークを有機的に学園に結び付けている。産業界からは寄付として受け取ることもある。
一方で、香川学長は指摘する。「全ての取り組みはパートナーがあってのこと。大学側だけがやる気になっても事業は成功しません。坂戸市のケースでは、市民の皆さんの協力と意欲があったから実現したのです」。健康において栄養は大きな要素の一つではあるが、最も重要なことは、その人が健康でありたいと望む意志である。健康を意識したメニューの開発により、店主の意識も変わり自ら健康志向のメニューを志しているという。また、坂戸市では「葉酸プロジェクト」をきっかけに、市民の健康意識が高まってきたともいう。食の力は人の意識を変えうるのだ。
この大学では、地域連携による食品開発といっても、単純に地域食材を使った商品が売れて経済が活性すればよいというものではない。あくまで「建学の精神」と照らし合わせた食を通じた人々の健康を基本として、学生の成長、そして経済の活性...少し先を見据えた取り組みであると言えよう。
大学として食と健康の専門性という強みをひたすら磨き、卒業生が各地で活躍する。一方で、全国各地には、まだまだ知らない食材が溢れ、それらのいくつかを自治体が提供する。その食材を使って学生が新商品を開発する。それは学生の記憶にインプットされ、卒業後にも食材のレパートリーの一つになっていく。食材を通してその地域に親しみがわくかもしれない。食材には消費者のみならず調理をする人と産地とをつなぐ役割も持っている。ある食材が継続的に生産されるかは、いかに好まれるメニューを開発するかにかかっていると言える。全国の自治体がこの大学に熱い眼差しを向ける理由である。「地元に同様の教育機関があっても、本学を頼ってくる自治体もありますが、それが本学のブランドなのかなと思います。単科大学だからフットワークが軽いのも強みです」。「女子栄養大学」という名称は、教育研究機関であるとともに、ヘルシーで食べてみたいと思わせるブランドなのである。

●健康とは何か

全国各地で起きている食を巡る問題は地域活性化のみではない。むしろ、格差社会、超高齢社会が持たらす深刻な問題がある。例えば貧困である。「栄養管理以前に、食事ができるかという問題です。子ども食堂はその解決策の一つでしょう。栄養の前に「衛生」管理が重要となります。これも栄養士、管理栄養士の重要な仕事の一つです」。
そして、超高齢社会。高齢者が増加すると孤食が進み、摂取する食事の栄養バランスが悪くなる。それを指摘してもなかなか改善しない。「人は誰かのためになら栄養バランスの取れた食事を作るようになります。皆で一緒に食べると楽しくもなります。つまり、コミュニティの創出です。食事を摂るための環境づくりもこれからの栄養士、管理栄養士に求められる力だと感じます」。
香川学長は続ける。「大事なのは健康を願う一人ひとりの意思です。その気持ちがないのに外部から食の力で健康にすることはできません」。自分がどういう生き方をしたいかが、自らの食生活の在り方を形作る。それに寄り添うのが管理栄養士である。これは少子高齢の日本全国において必要な問いではないだろうか。食を通じて改めてどう生きるかを見直す機会を提供しているという意味で、香川学長が提示する問いは普遍的だ。世界保健機構(WHO)は、健康の概念を次のように表している。「身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」。
「そういう意味では、本学の教育の本質は「食育」なのです」と香川学長。女子栄養大学は、揺るぎなく建学の精神を貫き、地域のプラットフォームならぬ、全国の食のプラットフォームとなりうる、世界に類を見ない「食」「栄養」に特化した大学であると言えよう。