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地域共創の現場 地域の力を結集する

<32>別府大学
“文学部”を地域活性の強みに
文化財保全で九州の多数の自治体と連携

別府市は大分県の東部のほぼ中央に位置する県第二の都市である。日本の総源泉数の約10分の1、湧出湯量も日本最大となる国際観光文化都市だ。大分県も最近は「日本一のおんせん県」を打ち出している。古くは商都・大阪からの瀬戸内海航路の玄関であり、古来より九州の交易の拠点の一つとして他地域から人々が移住した。そして、実業家・油屋熊八がこの地域を観光地として拓いたのである。また、大分県は、有数の発酵食品の生産が盛んな地域でもある。別府大学(佐藤瑠威学長、文学部、国際経営学部、食物栄養科学部)・別府大学短期大学部(仲嶺まり子学長)は、ユニークな地域連携で存続の道を探る。地域連携推進センター長の飯沼賢司文学部長・教授に聞いた。

●環境歴史学の誕生と文化財保全

別府大学の教員は、昭和のころから学生を地域に連れ出し、地域の教育力を活かして教育していた。逆に地域の人々は学生とのコミュニケーションを通じて、自らの地域を再認識する関係が結ばれていた。「西村駿一理事長(当時)も「本学は地域の中で生きるしかない」と語っていましたが、むしろ教員個人が個別に動くので、大学として地域連携活動の全体像を把握できていませんでした」。
そこで、大学組織として取り組むために、2010年「別府大学・別府大学短期大学部地域貢献の方針」を策定、2011年に「地域連携・社会貢献資料集」を作成し、学外への情報共有を図り、2014年に「地域連携推進センター」が発足した。現在の二宮滋夫理事長も地域連携をさらに積極的に進めている。
特に文学部は、史学・文化財学科を中心に、歴史学、考古学、文化財科学、文化財修復学、美術史学、民俗学、環境歴史学など文化財関係の学問分野を擁している。文化財研究所、博物館等の附属機関も合わせて、55年以上にわたり大学は地域との信頼関係を長期にわたり積みあげてきた。
飯沼教授が手掛けてきた学問分野には「環境歴史学」がある。著書『環境歴史学とはなにか』によれば、環境歴史学とは、「自然と人間の関係を意識化した歴史学である。(略)人から自然への働きかけだけではなく、自然から人間に働きかけられる災害などのファクターをも問題にするのである」とある。
「この新しい学問分野を拓く基礎となったのが、国東半島の田染地区(豊後高田市)の荘園村落遺跡詳細分布調査です。水田・村落の景観そのものも遺跡の一部として、地図を考古学の遺構図面としてとらえ、調査によって情報を付け足すことで、当時の記録保全を目指しました」。
この調査が、遺物や遺跡の保存への提言、地域住民の関心を高め、行政への働きかけに繋がった。これが一つの契機になって「文化的景観」という概念が広がり、我が国の文化財保護法に文化的景観に係る項目を加える改正が2004年に制定された。1996年に大学は文化財学科を新設、ここに日本初の「環境歴史学」講座が誕生したのだった。「学生とともに今も地域に入り、環境歴史学を実践しています」。

●本格焼酎「夢香米」の開発

各学部は特長を生かした取り組みを行う。いくつかを具体的に紹介しよう。
一つ目が、本格焼酎「夢香米(ゆめ)」の開発である。大分県、大分農業文化公園との協定で結ばれた学生主体の「大分農業文化公園夢米(ゆめ)棚田プロジェクト」。これに積極的に取り組んでいた発酵食品学科の女子学生が、香り米の米焼酎に挑戦。試行錯誤ののちに試作品が完成、彼女の後輩が今度は商品化に向けて取り組んだ。そして2016年、夢米の香りが立ち上る、本格焼酎「夢"香"米(ゆめ)」が完成した。この取り組みに大学と藤居酒造株式会社が全面協力。国東半島農業遺産のブランドとして、大学関連施設「大分香りの博物館」で販売を決めたのだった。取り組んだ学生たちは当然のことだが、学生たちの挑戦を支援し、夢中になれる環境を提供した同公園や大学の姿勢は他大学にも参考になる。
二つ目が、文化財の保全である。大分県では全市町村、九州・沖縄地域でも数多くの自治体と連携協定を結び、文化財の保全、図面作成を行っている。「2016年の熊本地震で、熊本城の一部が崩落・損壊しました。この時の熊本市民のショックと復興に向けた一体感を目の当たりにし、文化財とは市民の心の支えなのだと痛感しました。地域における文化財の重要性を改めて認識しました。そこで、文化財の耐性を強化すると同時に、図面を作成して残すことにしました」。文化財が損壊しても図面があれば再構築できる。
崩落を免れた熊本城の一部をはじめ、各地の文化財の未図化資料の図化に向けて、それぞれに応じた3Dスキャニングレーザーシステム、蛍光X線分析計、工業用X線スキャン装置、3Dプリンターを運用し実験的にデータ取得を行っている。「各自治体でこうした装置を保有するには高価すぎますし、操作できる人材を揃えることができません。そこを本学が一手に手掛けることを考えました」。この取り組みは、文部科学省「私立大学研究ブランディング事業」に採択された。「九州内の文化財関係専門職(正規職員)の32%は本学卒業生ですし、最新設備は九州国立博物館と同等の機器を完備しています。小規模大学でも本気になればここまでできるのです」と胸を張る。
ブランディング事業を契機に発足した「九州文化財保存連絡推進会議」は、別府大学と自治体が連携し、「九州内の文化遺産の保存・保護への技術的研究、文化財の修復・再建のための保存対策研究の体制を構築し、恒常的な文化財保存力の向上を図る体制の基盤を確立する」ものだ。「すでに文化財修復を学んだ卒業生が400~500名、大分県各市に1人以上います。このネットワークが本学の強みです」。足並みが揃いづらい自治体間の調整や仲介も大学に欠かせない役割の一つである。
三つ目が、「育ドル娘」である。これは2010年に短大食物栄養科立松研究室から誕生した食育普及グループである。県内各地のイベントで学生が歌とダンスを通じた食育ステージを行うほか、地域や企業と共同でレシピや商品を開発するなど、栄養士のたまごとして活動を行う。東京のイベントで大分県産品をPRした際、関係者からは「育ドル娘のおかげで、売り上げが伸びた」と感謝の声があった。
さらに大学食物栄養科学部の、減塩の普及活動を啓発する「湯けむり健康戦隊ゲンエンジャー」の取り組みもある。減塩では、塩の代わりにトマトケチャップを活用したレシピを開発、これをきっかけにカゴメ株式会社とも連携してメニューコンテストを実施している。その他にも、臼杵市のカニ醤油合資会社と学生が商品開発、三和酒類株式会社と共同研究で酵母菌を育種するなど、大学・短大の食物関係の学部・学科の取り組みも活発だ。大分県には農学系の大学はなく、この大学以外にはバイオ系の学部も存在しない。従って、地元の食品系中小企業からは、新開発で必要な分析器の利用依頼が頻繁に舞い込む。
1961年に開講し2018年で55回目を迎える「司書・司書補講習」は、約2か月間の集中講義で、「司書講習の別府大学」として高い評価を受けている。「九州学」は、この大学が提唱する、リレー方式の公開授業である。同大学教員を中心に、県外からも講師を招いて九州の歴史、文化、食を講義をする。2016年度にはJR「ななつ星」「或る列車」をデザインした水戸岡鋭治氏が登壇した。また、豊後大野市の特産「里芋」を活用した「おやコロバーガー」を開発、商品化に取り組んだ。これは、国土交通省、大分県農政部、道の駅みえと大学の「地産地消プロジェクト」である。
さらに、子供向けの外国文化体験、音楽会、料理講習会、地元食品企業との共同開発・検査、過疎化の進んだ地域での祭事運営(神輿担ぎ)、国際経営学部を中心とした温泉での観光マーケティングなど全学部にわたって様々な取り組みが行われている。「現在はセンターとして年間20近くのプロジェクトを把握していますが、やはり個人で取り組む教員もいて、相変わらず全容が分かりません」と苦笑する。

●文学に裏打ちされた観光

別府市は別府大学や市内の大学との協働を前提とした街づくりを行っている。長野恭紘市長は2017年に実現した温泉と遊園地が合体したテーマパーク『湯~園地』を実現するなどアイデアマンである。そんな長野市長が頼りにするのも、アイデアに文化・歴史的知識を肉付けする別府大学だ。飯沼教授はもちろん多くの教員が長野市長と直接繋がっている。長野市長は「別府大学には一番長く協力いただいているので、(略)相互の連携を強化していきたいですね(Be―News113号)」と大学への期待を力強く語る。
別府市以外には、宇佐市、日田市、由布市、大分県、国東市、竹田市、杵築市、姫島村、大分市、豊後高田市、日出町等の12自治体と協定を締結している。中でも、宇佐市には「教育研究センター」、日田市には「歴史文化研究センター」、竹田市には「大学連携センター」が大学のために設置され、主に文化財保全の教育研究等で使用している。
「大分県に限りません。九州・沖縄という広域において様々な自治体と連携しています。国立大学は県名を冠し、県内での取り組みとなるケースが多いかと思いますが、私立大学はどのような範囲でも取り組めます。県内外でも、場合によっては国外も」。韓国や中国に多くの姉妹校を持つだけではなく、遠くフランスのモンペリエ第3大学とは、宇佐八幡宮や中津市の古代条里制等と古代ローマの地割と聖域の関係などで比較研究を行っている。
どの学部学科でも学外で取り組む実習・演習が必修で、センターでは適宜、地域連携のボランティアを募る。「『地域貢献』という言葉はおこがましいと感じます。我々は学生を地域の力で育てて頂いているのです。もちろん、単に地域に出て体験するだけではなく、学生が自ら成長を実感できる仕組みを作っていっています。全学で「自己発展シート」を使用して、学生の自己評価・点検の材料にするとともに、学習相談、就職相談にも役立てることにしています」。
この大学から見る、文学部の意味を考えたい。2012年の豪雨により中津町の耶馬渓は大きな水害に見舞われた。その時、山国川に係る石橋「馬溪橋」に流木が集積して川が氾濫したとして、地域の住民から架け替えの要望が出されていた。しかし、飯沼教授らが、橋のそばの「平田家住宅」や平田城址への観光ルート、そして、馬溪橋自体の歴史的・文化的価値を主張し、結果として馬溪橋は取り壊されることはなかった。平田家住宅はその後、有形文化財として登録された。「地域の人からすれば橋は昔から当たり前にあるもの。しかし、歴史的・観光的価値を見直して、残しませんかと提案しました」。
地域の人々が昔から当たり前にあるものの価値を改めて見直すことは難しい。文学部の教員が外の目から見るということが何より重要になる。一時期、人文学部不要論が取り沙汰されたが、実は文学部こそが地域の歴史的遺産に光をあて、その価値を再発見し、ひいては観光立国日本を牽引するのかもしれない。
数ある取り組みがありつつも、特に、大学の創設者佐藤義詮氏が大学の中核に据えた「文学部」の活躍こそが、今また別府大学の大きな特徴になるに違いない。