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特集・連載

地域共創の現場 地域の力を結集する

<22>東北福祉大学
新産業を興す福祉大学
「予防福祉」「減災」概念を生み出す

仙台市は、奥羽山脈の東、仙台湾にかけて広がる地域で、東北地方の経済・文化の中心であり、北日本では札幌に次ぐ第二の都市である。商業・サービス産業を中心とした第3次産業比率が高く、その多くが市外にある本社等の支店・支社であることから「支店経済・仙台」とも呼ばれる。国公私立大学が密集する地域でもある。その中にあって強い特色を打ち出すのが東北福祉大学(大谷哲夫学長、総合福祉学部、総合マネジメント学部、教育学部、健康科学部、通信教育部)である。2011年の東日本大震災時には、仙台も被災地でありながら、いち早く救助活動に取り組み、迅速に全域で展開するなど、防災・減災の取り組みには一日の長がある。大学の地域共創活動について、中林稔晴企画部長、皆川州正IRセンター事務局長・教授、榎本等広報課長に聞いた。

●国の施策の先を行く取り組み

東北福祉大学の歴史は古く、日本福祉大学、日本社会事業大学と共に、日本の3大福祉大学の一角を担い、主に東北の福祉を主導してきた。保育園・幼稚園、看護学校、病院なども含め、グループ全体で20近くの福祉施設を持つ。

1995年に法人認可を受けた「社会福祉法人東北福祉会」は大学の建学の精神、「行学一如」(学問研究と実践実行は全く一体である)の具現化を図ることを目的とし大学内に法人設立準備室を設け、教育・研究機関である大学が社会福祉法人を設立するその意味と社会的役割について議論を積み重ね、誕生したものである。同法人の設立趣意書には、「その時代、その時代で社会、地域、住民の方々が必要として望む、新しい福祉サービスの創出・創造」「その成果を社会化して全国に発信する」「その時代、社会、人々が望む福祉教育の新しいシステムを作る」とあるが、まさにこれから紹介するこの大学の地域共創の理念が盛り込まれていると言えよう。

従来の高齢者福祉施設における集団処遇を排し、新たな個別支援に徹する「ユニットケア」の実践や、地域包括ケアの重要な一端を担う「地域密着小規模多機能分散型ケア」等の実践は、後に国の施策に組み込まれている。一方、1999年の高齢者保健福祉計画に「認知症高齢者支援対策の推進」が掲げられた際に、全国に3つの認知症介護研究・研修センターが設置された。その1つが、宮城県、仙台市、同大学がバックアップを行う『仙台センター』である。つまり、政府や自治体の福祉政策の先行し、また、政策にうまく乗りながら現場での展開を行い続けているのである。

中でも「感性福祉」、「予防福祉」は、要介護状態になることをできる限り防ぐことを目的とした取り組みで、この大学が提唱・推進する概念である。2004年に経済産業省「保健医療福祉分野に於ける標準化事業」や文部科学省「学術フロンティア推進事業」に選定され、新しい健康サービスの開発とシニアの雇用創出を目指した「仙台ウェルネス・コンソーシアム」を学官連携で取り組んだ。

●震災復興では全域に展開

災害の復旧・復興支援活動は、この大学の代名詞となりつつある。1995年の阪神・淡路大震災では、大学を挙げて即急に救助隊を派遣した。「教職員・学生も、福祉大学として、当然のことだと感じています」と中林部長。新潟県中越地震や宮城県沖地震などの災害でも、現地で支援活動を行った。

2006年には地域減災センターを立ち上げた。当時の小松洋吉センター長は、「マグニチュード7.5クラスの宮城県沖地震の発生確率は世界一であり、「Xデー」は近いといわれております」とセンターのウェブサイトを通して「減災」の重要性を訴えた。そして、2011年3月11日にXデーは来た。

大学の動きは素早くまた広範囲にわたった。特に津波被害があった宮城を中心とする市町村に支援部隊を派遣し、復旧・復興活動で継続的に関わり続けた。代表的な取り組みだけでも、気仙沼市(医療支援)、東松島市(グループホーム復旧支援)、山元町(被災者支援)、釜石市(診療所再開支援)、陸前高田市(避難所支援)、女川町(リハビリ・介護支援、農業支援など)、松島町(避難所支援)、亘理町(介護支援)、南三陸町(いきがいづくり支援、地域振興支援)、登米市(高齢福祉仮設住宅支援)、利府町(災害ボランティアセンター支援)、石巻市(復興応援コンサート、島おこし支援活動)、多賀城市(健康支援)、七ヶ浜町(避難所支援)、富谷市(医療品仕分け補助)、仙台市(施設、子ども支援、農業支援)、名取市(菜種による東北復興プロジェクトなど)...。継続中のプロジェクトも多数存在する。

●広義の福祉のために

2006年、地域での無数の取り組みを、「地域共創」という言葉に想いを込めて、全学として取り組むことを確認した。

学生サークル「まごのてくらぶ」は、この代表的な活動である。大学を中心とした半径1キロメートル圏内を重点地域と位置付け、大学立地地域の国見の町内会との協定により生まれた組織である。「自助・共助・公助」を基本とし、痒い所に手が届く地域の孫の手役として、日常生活における「ちょっとした手伝い」を通して、より良い地域づくりに貢献することを目指している。

高齢者の個人宅を訪問し、庭の草刈り、荷物整理、運動会や夏祭りの運営、神社などの神輿担ぎなど伝統文化継承、地域の見守り支援活動などを行っている。いわば、地区のソーシャルキャピタル向上を学生が担っていると言える。活動日数、部員数は順調に増加しており、現在は、国見地区連合町内会から青葉区も加わり三者協定を結んでいる。町内会からは「学校と地域が結びついた学社連携の素晴らしい活動」と評価され、「地域での活動に参加している学生は学修アンケートや学修ポートフォリオでも成長していることが示されています」と皆川教授。更なる取り組みが期待されている。

東日本大震災直後には、この「くらぶ」も石巻、女川町、南三陸に赴き支援活動を行った。女川町から無償貸与された「ふれあい農園」は、高齢者の孤独死防止、地域との絆作り、働く場所の確保と一石三鳥を目指す「民学共働」の取り組みであり、復興庁においても大きな期待を寄せられた(現在は終了)。ここでも、地域の現場の声こそを重視した建学の精神「行学一如」を貫いている。

社会福祉、健康、防災・減災、そして、教育...同大学が手掛ける「福祉」はこれだけに留まらない。「広義の福祉とは、人の幸せに関わる全てのこと。つまり本学の地域共創のテーマは、専門領域に限らない全てのことともいえるのです」と中林部長。

例えば、総合マネジメント学部の鈴木康夫教授は、宮城、岩手両県で漁獲されるナマコを「三陸ナマコ」としてブランド化しようと、産学連携の一般社団法人アグロエンジニアリング協議会を立ち上げ、大学とナマコを主原料とした新商品の開発を行っている。高級食材として流通している中国からの訪日観光客向けの販路拡大も狙う。今のところ、餃子、スープ、サプリメントなどの試作がなされた。海外向けの見本市にも出展し、復興庁のモデル事業にも採択されている。

過疎が進む県端にある七ヶ宿町とは、2012年に「地域資源を活用した地域共創に関する協定」を締結。人材育成の拠点として学生の田植え体験、林業体験に結び付けた教育も行っている。「東北の林業を活性化させる必要があります。樹齢60年ほどの杉が多く、これを切り出して地元の小学校やホールを建設するなど、産業に結び付けることが必要だと考えています」と中林部長が述べるように、この大学は東北全体を活性化させるため、新産業を立ち上げる気概がある。

●取り組みに熱心な教職員

伝統的に教職協働が進んでおり、それは地域共創事業についても当てはまる。社会貢献・地域連携に関する組織は総務局に位置付けられ、社会貢献・地域連携センターの下に、地域共創推進室、予防福祉健康増進推進室、地域福祉研究室など九つの部署が置かれている。「事業が始まると、まず担当する部署を決めます。現場に職員も行きますし、むしろ地域共創への意気込みは職員の方が強いくらい」と榎本課長は述べる。

頼まれれば断らない。すぐにやる。そして継続して行う。こうした大学の文化風土が、地域からの信頼を確実なものとしている。学長、副学長のリーダーシップにより、大学の様々な取り組みを一つのコンセプトにまとめ、「減災」「感性福祉」など新しい言葉を作り出す。この大学の真の強みは、地域のためには労力を厭わない教職員の一致した組織力にあろう。

行政機関との連携については、仙台市をはじめ、津波被害のあった自治体、少子高齢が急激に進行する東北の市町村との連携も盛んである。きっかけはさまざまだが、先方から教員に連携依頼があり事業が始まるケースが多い。

東北を中心に各地で卒業生が働き、また、教員は各地域の福祉施設や社会福祉協議会などと繋がりがあるため、文字通り東北各地に網の目の「福祉大ネットワーク」が張られている。教員には個別に行政からの問い合わせも多く、現地に赴けば更なる依頼を抱えて大学に戻ってくる。事務組織の担当部署が連携して事業が始まる。

防災士の養成でも自治体との連携が増えている。東日本大震災以来、各自治体も防災士に注目し、防災士養成や小学校などでの普及の協定を結ぶようになった。そもそも東北で防災士養成講座を行っているのは同大学のみ。「学生防災士で構成するNPO法人東北福祉大学防災士協議会Team Bousaisiは、宮城県の角田市、更には茨城県の高萩市とも協定を結び活動を行っています。高萩市との防災協定は、草間吉夫前市長が本学卒業生だったことから繋がりができ、連携を行うこととなりました。養成講座は岩手県宮古市、釜石市、福島県いわき市、山形県でも行われています」と榎本課長。

●福祉大学が産業を興す気概

仙台は市内に多くの国公私立大学を抱える地域ではあるが、福祉大学はその中でもいち早く地域共創の概念を打ち出し、地域づくりに貢献してきたという自負がある。同じく仙台市内の東北大学ともすみ分けができており、現場の声をきめ細やかに応えるのは福祉大学、という地域の人たちからの反応もあり、ある地元企業からは「実際に動くとなると福祉大学だ」と期待の声をかけてもらっている。

このように現場の声に真摯に向き合うことは、時に前人未踏の分野にもなり得る。同大学が地域に関連施設を次々と設置する背景は、当然、福祉施設関連事業を行うとともに、学生の実習先確保という理由が大きいが、現場を持ち地域の人たちの声に耳を傾けることこそが重要であることを承知しているからである。先の「まごのてくらぶ」のみならず、学生による多数のボランティアサークルの活動も大学と地域のホットラインを増やしている。大学全体で現場の生の声、課題、困りごと、苦情などをきめ細かく拾い上げ、そこから新しい研究・事業の種を見つけ、教育に結びつける。そこに果敢に挑戦し、取り組みを体系化し、例えば、「感性福祉」、「予防福祉」や「減災」等の新概念を打ち出していく。

「これからは、大学が新しい雇用を生み出すような事業に積極的に踏み込んでいかなければならないと思っています。"三陸ナマコ"のブランド化がその例です」と中林部長。新しい課題にいち早く取り組み、法人設立や経営を行ってきた福祉大学は、実は「起業」に対して相性が良く、学内でも積極的にその可能性が議論されている。教育においても、「1年時から全学生が地域や社会をテーマに新たな視点による問題解決学習に取り組み、人々の助けを借り、地域住民の参加を促し、組織と連携する力を養うことを目指しています」と皆川教授は熱く語る。

福祉分野では現場での実践が欠かせないし、地域の人たちとの触れ合いにより人間的にも成長する。この確信があるからこそ、大学は積極的に学生を「地域共創」の現場に出そうとする。その結果、学生たちの進路は、社会福祉施設だけではなく、近年は企業からのニーズも高まり、4割近くが一般企業に進む。また、公立学校の教員採用試験の合格者が今年初めて延べ人数で100人を超えるなど、多様な人材が輩出されている。そしてその多くが自身の地元を中心に活躍している。地方は課題先進地域と言われるが、現場に十分に向き合い課題解決をあらゆるリソースを使って行う。それを新産業として全国に発信する。

これこそが、東北福祉大学の最大の「地域共創」であるとも言えよう