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ベトナム高等教育法と外資系大学


名古屋大学 高等教育研究センター准教授  近田 政博

 2013年9月15日付のベトナムの新聞「ラオドン」(労働)電子版は、日越友好議員連盟元会長の武部 勤氏がグエン・タン・ズン首相と会談し、両国の共同事業として国際水準の日越大学をハノイ市に設立する計画が進行していることを紹介している。これは「外資系大学」(後述)の一つとして、日本の大学がベトナムに進出することを歓迎するベトナム側の姿勢を示している。現在、日本で学ぶベトナム人留学生は4373人(2012年5月現在)に達し、送り出し国・地域としては、中国、韓国、台湾に次ぎ第4位を占めている。東南アジア諸国では最大であり、さらに増加基調にある。日本とベトナムの主要大学の学長・副学長が一堂に会す「日越学長会議」も、2009年の設立以来、数回に及んでいる。ベトナムは9000万人の人口を擁する東南アジア有数の大国で、日越関係は政治、経済、文化の交流だけでなく、教育・学術分野の交流においても「蜜月」とも言うべき緊密な状態にある。本稿では、ベトナム高等教育の潮流を知る上で重要なキーワードを二つ紹介したい。それは高等教育法と外資系大学である。

1.ベトナム高等教育の構造的問題
 識字率や初等教育就学率が高いことで知られるベトナムだが、高等教育にはいろいろな問題点がある。社会主義国特有の問題としては、第1に法制度の未整備が挙げられる。1党制をとる社会主義国では共産党が行政機関や国会に優越するので、事実上の政策は党や各省庁から随時出される規則、規定、命令などによって決められてきた。ところがこれらは特定の課題だけを対象とするので、体系性や階層性を把握しにくいという欠点があった。そこで1990年代以降の中国やベトナムでは、党が基本的な方針を示した上で、各省庁が従来の規則を体系化した法案を作成して国会で審議する方式に転換した。国会で可決・公布した法律は、従来の規則や規定よりも上位に位置づけられる。こうしたなかで、ベトナムでは教育全般を扱う教育法が1998年に公布され、2005年に全面改正されている。
 社会主義国特有の第2の課題としては、高等教育機関がさまざまな省庁によって所管されているために、教育担当省庁(ベトナムの場合は教育訓練省)が一元的に管理できないという構造的な問題である。たとえば、ハノイ法科大学は司法省が、ハノイ建築大学は建設省が、ハノイ医科大学は厚生省が、国家音楽院は文化・スポーツ・観光省が所管している。こうした単科型大学に加え、ハノイ市とホーチミン市に置かれた二つの国家大学、地方の拠点総合大学、短期大学など、ベトナムにはさまざまな形態の高等教育機関が存在する。2012―2013学年度現在、大学数は207校、短大は214校に達し、これらの機関は約218万人の就学者を擁している(ベトナム教育訓練省のウェブサイトより)。ただし小規模の大学が乱立しているので、いわゆる「規模の経済」が十分に機能せず、効率的な運営がなされているとは言いがたい。
 ここから敷衍される第3の課題は、多くの教育機関に限られた予算を細切れに配分するので、各機関の予算は常に欠乏し、教育・研究施設が劣悪な状態に置かれていることである。さらに、予算不足によって教職員給与の水準が低く(月200~500米ドル程度)、本給だけでは生活できないので、教員は他大学での非常勤講師や高校生への受験指導、あるいは各種アルバイトに忙殺されている。日々の生活に追われているため、大学教員は本務校での授業や研究指導、自身の研究活動になかなか集中できない。こうした状況では大学改革に対する教職員の高いコミットメントを期待するのは難しい。ベトナムのマスメディアでは、諸外国と比較した場合の大学教育の水準の低さや非効率な管理運営がたびたび指摘されている。

2.「選択と集中」方針を打ち出した高等教育法
 こうした社会状況のなか、2012年6月18日に高等教育法が国会で可決され、2013年1月1日から施行されている。この法律は高等教育に関する諸規定を体系的に整理・網羅したベトナム初の法律である。本法の第1の特色は、教育資源の「選択と集中」の方針を打ち出したことである。すなわち、政府は一定の基準に基づいて高等教育機関を「研究志向」、「応用志向」、「実践志向」という三つのカテゴリーに分け、これに基づいて予算配分を行うことを明記している(第9条)。高等教育機関の種別化や機能分化を行う国は少なくないが、高等教育法のなかで具体的に言及する国は珍しいだろう。高等教育の質向上に対するベトナム政府の危機感がみてとれる。
第2の特色は、高等教育の国際化が強く推奨されていることである。具体的には、外資100%の大学、および外国投資家と国内投資家の合弁による大学設立が認められた(第7条)。同じ社会主義国の中国では外資100%の大学設立を認めておらず、外国の大学が中国の教育プログラムを開設する際は、中国国内の大学と合弁する方式をとっている。また、外国の大学との共同教育プログラム(45条)や、外国の大学のベトナム事務所の設置(46条)などが認められている。これらは実態としてはすでに数年前から先行実施されており、法律で追認する形となった。
 第3の特色は、高等教育機関に対する共産党や政府の管理がいっそう厳しくなったことである。たとえば、私立大学や私立短大の理事会に党組織の代表を含める(17条)、教育訓練省は高等教育機関における政治理論や国防安全についての共通教科書を編纂する(36条)、教育訓練大臣は高等教育機関の認証評価基準や手続きについて定める(52条)などがこれにあたる。ベトナムには高等教育機関を認証評価するための第3者機関がもともと存在しない。そこでまず各大学に教育質保証に関する専門部署を設置し、これを教育訓練省の教育認証評価室が統括する仕組みをとっている。中国では2004年に各大学の認証評価が行われているが、ベトナムは準備中である。
 このようにベトナム高等教育法の特色は、国際水準を強く意識し、外国の大学との連携を推進する一方で、質保証や評価の仕組みは政府主導で整備し、高等教育に対する党の関与も維持・強化されている。ベトナムにおいては国際社会への積極的参入や市場化の進展と、党や国家による管理強化は矛盾せず、同時進行しているのである。教育を国家発展の手段として位置づける社会主義国にはもともと大学自治の概念は存在しないのだが、近年の中国の重点大学では少しずつ自主裁量権が拡大しつつある。これに対し、ベトナムでは今回の高等教育法公布に際しても、各大学の自主権が十分に担保されていないとする批判がマスコミで報道されている。

3.「外資系大学」という存在
 それでは今回の高等教育法ではじめて法制化された完全外資の大学とはいかなるものだろうか。ベトナムの従来の大学と何が異なるのだろう。筆者は2013年8月にハノイ市内にある二つの外資系大学(ベトナムRMIT大学とベトナム英国大学)を訪問した。
 ベトナムRMIT大学はオーストラリアの王立メルボルン工科大学(Royal Mel-bourne Institute of Technology)のベトナム校だ。ベトナムでは頭文字をとって「リミット」と呼ばれている。この大学はハノイの新都心にある高層ビルの中にすべての機能が入っている。外資系大学としてはすでに2001年に進出している草分けである。ハノイには校舎のみだが、ホーチミン市郊外にはキャンパスと学生寮がある。ハノイで学ぶ学生は約2000人で、専門分野ごとに異なる学費は年間約100万円と日本の私立大学とほぼ同水準である。提供する分野は会計学、商学、経営学、マーケティング、英語学、コミュニケーション学など実学中心となっている。授業の大部分は英語で行われ、教員は外国人が多数を占める(ベトナム人教員も少数いる)。事務職員はベトナム人の若い女性が多い。ライブラリーの規模は小さいが、図書館から教科書を借り出すことができ、RMIT本校の電子ジャーナルデータベースをすべて利用できる仕組みになっている。学習スペースや学習支援に対する配慮も随所に行き届いている。「安かろう、悪かろう」の印象を持たれているベトナムの他の大学とは対照的だ。
 もう一つの外資系大学「ベトナム英国大学」(British^nUniversity Vietnam)は、都心部の小さなビルが丸ごと大学になっている。提供する分野のうち経営学とマーケティング学は英国スタフォードシャー大学から、財政学と銀行学はロンドン大学から学位認定される。教員もこれらの大学から派遣される。現在の学生数は300名程度、授業料は年間100万円程度。教員の大多数が英国人などの欧米系で、授業はすべて英語で行われる。同大学の入学者選抜は高校卒業試験の平均点に加えて、TOEFLiBT、および大学独自のプレイスメントテストで総合判定する。ベトナムの一般の大学のように全国統一入試は適用されない。
 このように、外資系大学の入試、カリキュラム、学位などはベトナム国内の大学とは完全に別扱いになる。したがって、ベトナムの大学の必須科目である政治思想科目や軍事訓練などは外資系大学には要求されない。外資系大学の学位は母国の親大学の名義で発行される。コモンウェルス(英連邦諸国)の大学が得意とするアフィリエーション(傘下大学への学位認定)の仕組みだ。ただし外資系大学も教育訓練省の設置認可が必要であり、ベトナムの認証評価機関(実質は教育訓練省)から認証を受ける必要がある。
 こうした外資系大学のセールスポイントは、都市部の富裕層の子女が親元から離れずに国際水準の大学教育を受けられる点だ。学位と英語力が国内大学の卒業生よりも信用されれば、ベトナムにある多くの外資系企業への就職に有利となる。さらに、外国の大学院への進学を目指す際の足がかりになる。ベトナムの高校生にとっていきなり外国の大学に留学生するのは心理的にも経済的にも敷居が高いが、こうした外資系大学であれば国内で教育を受けられる。もちろん、ベトナムの国立大学授業料が年間数万円であることを考えれば、年額100万円は破格の高さだ。しかし、外国の大学・大学院へ留学するには民間の留学コンサルタント会社に支払う代金など、大きなコストと複雑な手続きが必要である。それを考えれば外資系大学の授業料は相対的に安上がりであり、この程度の授業料を払える富裕層はベトナムの都市部にはたくさんいる。つまり、外資系大学とは、一握りの都市富裕層の子女からなる海外留学志望者と、残り大多数の国内大学進学者の間に位置するニッチ産業だと言えるだろう。

4.日本の大学に求められるアプローチ
 さて、日本の大学はこうした状況変化にどう対応すべきだろうか。第1にベトナム語で日本留学志望者に対してきめ細かな情報提供を行うべきだろう。すでにベトナムの一部の高等学校では外国語科目として日本語を選択することができる。日本語学科を開設している大学も数多くある。ハノイとホーチミン市の大学には、日本の多くの主要大学が事務所を間借りしている。すでにベトナムの日本留学市場はかなり成熟していると考えてよい。
 それでも日本に関心のあるベトナム人学生からは、しばしば「日本留学に関する情報はどこに行けば手に入りますか」という初歩的な質問をされることがある。たとえば在ベトナム日本大使館のホームページからは、日本留学に関する情報がどこに載っているのかわかりにくい。しかも日本留学に関する情報提供は一般に英語が多く、ベトナム語による詳しい情報がどこで入手できるかがわかりにくい。ベトナムの学生にとっては、日本留学に関する基本的な情報をまずベトナム語で知りたいのだが、必ずしもそのニーズは十分に満たされていない。
 実は、右記の外資系大学にはもう一つの特徴がある。それは、窓口にベトナム人スタッフを配置し、英語・ベトナム語併記のパンフレットを用意し、希望者はいつでもベトナム語で手厚い情報提供を受けられるという点だ。こうした民間企業のような窓口サービスは、親方日の丸の文化が根強いベトナムの国立大学ではありえないことだ。これを参考にするならば、日本政府や日本の大学がベトナム人に日本留学を促すには、ベトナム語で日本留学志望者に対してきめ細かな情報提供を行う必要があると言えるだろう。
 第2に必要なのは、学生にとって最も関心の高い点に注意を払うことだ。すなわち、ベトナム人学生の最大の関心事は、日本留学を経験することが、卒業時の就職マーケットにおいてどのくらい有利に働くのかという点である。ベトナムにおける日本企業の知名度は高く、信頼感も大きい。もし日本の大学がベトナム校を設立するなら、続々とベトナムに進出する日本企業への就職までを一貫してサポートする道筋を提供する必要がある。ベトナム人学生の立場から見れば、そうでもしないかぎり、英語に加えて日本語を学び、高い学費や生活費を負担して日本に留学する甲斐がないからだ。日本の大学と日本企業はJICA等と連携しながら人材育成を行うスキームを早急に構築する必要があると考える。