Home日本私立大学協会私学高等教育研究所教育学術新聞加盟大学専用サイト
アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.255
一年次教育の意義と課題 第29回公開研究会の議論から

研究員 森 利枝(大学評価・学位授与機構助教授)

 高等教育の大衆化が進むなか、学生が大学教育を受容し、しかるべき効果を上げるための能力と態度の上での基盤づくりが求められるようになっている。とりわけ新入生に対する組織的な働きかけは、その実態も、また、それに対する意識も、この五年間で変容してきているようである。
 7月25日に東京・九段のホテルグランドパレスで開かれた私学高等教育研究所の第29回公開研究会では、(登壇順に)同志社大学教授の山田礼子氏、青山学院大学専任講師の杉谷祐美子氏、早稲田大学助教授の沖 清豪氏の三氏により、「1年次教育の意義と課題」と題して、2000年以来遂行されてきた効果的導入カリキュラムに関する研究の成果が講演された。講演全体を通して強く印象づけられたのは、一足先に大衆化を果たしたアメリカの大学において成長した1年次教育(フレッシュマン・セミナー)が、わが国における受容期を経て、独自の発展を求められているということである。
 今回の講演の典拠となった調査は二つで、一つは全国の私立大学の学部長を対象にしたアンケート調査であり、もう一つは、1年次教育において特徴のある私立大学7校の学生約1600人を対象としたアンケート調査である。このうち、学部長に対するアンケート調査は2001年に行われているが、それは「私立大学における1年次教育に関する調査」と題されているものの、回答者の理解を補助するために、調査の主旨が、「導入教育」の実態を調査するものであると規定されている。さらに、「導入教育」の内容として、高等学校までに学んでおくべき事項の補習のみを行うものを排除しない調査であった。これに対して、2003年に行われた学生に対するアンケート調査は「1年次教育のニーズとプログラムに関する調査」と銘打たれており、その調査内容に補習教育に関する内容は表立って扱われていない。ここに見られる変化からは、2003年までの間に、わが国に単なる補習教育とは異なる意味の「1年次教育」という概念が根づきつつある(あるいは、根づかせようとする動きがある)ことが知れる。
 私学高等教育研究所では当日登壇した3名に加え、本稿の筆者を加えた四名からなる調査研究班が、この問題に関するプロジェクト・チームを形成して調査に当たった。そのプロジェクト・リーダーであり、また、この領域に造詣の深い山田氏によれば、1年次教育とは高等教育を受けるに当たって求められる学習の技能や態度を発達させる教育を指し、補習的な内容の教育のみならず、同時に、時間の管理や図書館の利用、社交性の涵養などをも包摂するものであるとしている。
 講演の最初に山田氏によって指摘されたことは、かつて大学は市場に対して、主に人材の選別の機能を負っていたのに対し、近年では、大学のステークホルダーは、その教育の中身と、学生への教育効果(カレッジ・インパクト)を重視するようになってきているのが国際的な傾向であり、わが国もその例外ではないということである。ここで冒頭に掲げた問題、すなわち、学生における学習のための基盤づくりの機能を果たす1年次教育の問題がクローズアップされるのである。
 杉谷氏の講演は、主として導入教育の実施の実態に関する学部長に対するアンケート調査の分析に基づくものである。この調査は5年前に行われたものであるが、この時点で既に補習教育を行う学部よりも、文章作法、情報リテラシーに関する教育や、あるいは専門教育のための基礎・概論的な教育を行う学部の方が高率で出現することが示された。また、新入生の時点で、とりわけ基礎・概論的な講義や基礎演習等が多く行われていることの背景には、大学設置基準の大綱化以降に起きている専門教育開始年次の低学年化があることが示唆されたことは注目に値しよう。
 さらに、各学部で重視されている1年次教育の内容を、人文系・社会系・理系・学際系の学部系統別に見ると、理系においては、なお補習教育が高率で出現し、人文系・社会系の学部に比して図書館の利用法などが低率で出現することが示された。また、同様に、1年次教育の内容を入学難易度別に見ると、入学難易度が下がるほど、受講態度やマナー、時間の管理、大学への帰属意識など、大学生としての基本的な態度の涵養が重視されることも報告された。これらは、学部長の見出す学生が抱える問題の所在が、同じ新入生に関するものであっても、学部の特性によって多様であることを指し示すものであるといえよう。また、併せて学部長の意見として、少人数あるいは個人指導や、合宿による指導に効果があると考えているという調査結果も示された(この調査に関しては、2003年9〜11月の「アルカディア学報」134135137138を参照されたい)。
 このような教員と学生の密接な接触を要するような指導は、学部長がその必要性を見出しているだけでなく、学生の側からも求められているといえる。2003年に行われた学生に対する調査に基づいた沖氏の講演では、実際に1年次教育を受けた学生の学習上の技術の獲得の程度に関する自己評価は多様である一方、教員の熱意に関しては一様に強く認識されていることが示された。さらに、教員の講義に加えて、課題が添削されて返却されることや、定期的に課題提出を求められることなど、教員―学生間の1対1の接触は、上級生に当たるスチューデント・アシスタントの活用や、新入生どうしのグループ学習などに比して、学生の満足度が高いという分析結果が得られていることも示された。
 それでは、同様に1年次教育を受けた学生の間で、学習上の技術の獲得の程度はどのように異なるのであろうか。沖氏の講演の中では、受験勉強の量の多寡に着目して、学習技術の獲得に関する学生の自己評価の分析が示された。そこでは学生を、複数科目で充分な受験勉強をした経験があると自覚する「多層」、少数の科目で受験勉強をした経験があると自覚する「中層」、ほぼ受験勉強の経験がないとする「少層」に分類した上で、それぞれの学習技術の獲得がどのように自己認識されているかが問題にされ、「少層」において図書館の利用率が低く、ノートの取り方に工夫がなされず、また、授業の予習・復習がなされない傾向にあることが明らかにされた。これらの事項は、学習のための基礎的な技術として、1年次教育を通して獲得されることが期待されているということが、先述のとおり、山田氏によって指摘されている。この調査は入学年度の7月に実施されたものであり、それぞれの学生が受けている1年次教育の効果が、まだ充分に発現していないということも考えられるが、それよりも、1年次教育を「どのような学生を対象に」して「どのような内容を組み込んで」行うのが適切であるかが問われるべきであるというのは、沖氏の指摘するとおりであろう。特に私立大学においては入学ルートの多様化が進んできており、一つの学部においても学生の受験勉強量には格差が出てきていることが考えられる(この調査に関しては、2004年10〜11月の「アルカディア学報」179180を参照されたい)。
 このように見てくると、一口に1年次教育といっても、大学の入学難易度、学部の専門に加えて、学生個人によっても実施の上での戦略が異なってしかるべきであるということが考えられる。杉谷氏、沖氏の講演がともに、各大学の実情に相応しいプログラムの開発や、学生の特性ごとに内容を細分化した、きめの細かい授業運営の必要性を提言するものであり、1年次教育には個別の教員の熱意だけでなく、組織的な取り組みを要するということをあらためて確認しておきたい。山田氏からは同志社大学における1年次教育の実践に関しても報告され、そこでは「自治自立」の精神を涵養することが目標として掲げられている。とりわけ私立大学においては、建学の精神を継承することも大学独自の1年次教育として盛り込める内容である。

Page Top